クリーニング沼<後編の下>
働いている姿をとても「家族」には見せられない。
そう思ったらその会社、辞め時です。
「100」というボーダーラインに、魂を支配されている作業者達。
(詳しくはクリーニング沼<後編の上>を参照)
しかしその中で、1人だけ「サービス労働」をせずに働いている人がいた。
間違ったことはしていない
その人は「50代後半」の男性だった。
雇用契約は「パート社員」職種は「配送担当」。
決してお金に余裕がある方ではなかった。
この男性の「マイペース振り」に、周りは毎日「ブーイング」を起こしていた。
この「100」というボーダーラインは「配送」に掛かった時間も込みの為、早く帰ってくればその分「成績」が良くなる。
だがこの男性の「配送時間」は、他の人と比べると少し時間が掛かっている。
「きっと時給稼ぐのに遠回りしているんだ!ざわざわ・・・」
「足を引っ張っている!ざわざわ・・・」
周りの作業者はそう悪態をついていた。
そして他の「配送担当者」は、少しでも工場の「成績」を良くする為に
運転しながら昼食をすましていた。(片手でおにぎり等)
それに対し、この男性はきっちり1H掛けて「お弁当」を食べていた。
この休憩時間の取り方にも、周りは苛立っていた。
「何で協力しないんだ!ざわざわ・・・」
「何でサービス労働しないんだ!・・・ざわざわ・・・」
しかし、これが本当に正しいことなのか?
正当な理由で「昼食」を摂り、正当な理由で「労働」しているのだ。
間違ったことは何ひとつしていない。
「就業規則」に沿った行動をしているに過ぎない。
「本社からの視察」という敵から自己防衛するために、一致団結して「サービス労働」をする。
「痛みを分かち合って働きやすい職場を保とう!」
こんな「スローガン」だろう。
正直、いい大人がやる行為とはとても思えなかった。
仮に「昼食」食べながら運転し、事故でも起こしたらどう責任をとるのだろうか?
そのような「努力」は私の視点では「努力」でもなんでもない。
「根本的な」問題からの逃げに過ぎない。
これもこの「100」という「悪のシステム」がそうさせている。
もう傍観はしていられない
入社から約3ヶ月が過ぎた辺りから、私はこの仕事に心底うんざりしていた。
・毎月必ず起こる「クレーム対応」。
・タイトな納期が起こす「サービス労働」(残業)。
・パート同士の「足の引っ張り合い」や「陰口」。
もう我慢の限界だった。
そして1番私を苛立たせていたのは、普段は現場で威張りデカい顔をしている「職人達」が、上の人の前になると「従順な犬」のように大人しくなってしまうところだ。
だから何も変わらないんだと思った。
ある月の「ブロック会議」にて
毎月定期的に行われている「ブロック会議」に出席した私は「経営陣」からある指摘を受けた。
「加工した数に対して○○代が上がってないね」
この○○代とは洗剤のような物で「加工した数」に沿って減っていく。
なので「加工した数」は確定しているので、それに沿って減っていないとおかしいのである。
私
「納期を守る為に加工時間を短縮しました。」
私
「納期厳守と聞いておりますので納期重視でいった結果です。」
上層部
「つまり加工不十分で納品したということですか?」
私
「そうゆうことになります。」
この一部始終を、たまたま出席していた会社の「№.2」が聞き、その後激高した。
№.2
「今から1件1件のお客に謝罪してこい!!」
同席していた「マネージャー」は青い顔をしていた。
私
「通常通りやっていたらとても間に合いません。」
「毎日が納期遅れのクレームになります。」
№.2
「いいから1件1件のお客に謝罪してこい!!」
お互いの主張が噛み合わない。
これでこの会議は「強制終了」となったのを覚えている。
終了後、他の工場の「マネージャー」や同じ「生産管理」のスタッフに
「なんで馬鹿正直に言ったの?」
そのように話かけられた。
もう全てが我慢の限界だったのだ。
その後の私
納期に不満があり「馬鹿正直に」現場の状況を話した私を、上層部は「解雇」しようとしていた。
そこから「パート社員」へ降格する処置へ変更となり、そこからまた一転して「降格なし」で収まった。
おそらく貴重な「生産管理」(クレーム処理)として駒で使おうと思ったのだろう。
その後、工場に恐れていた本社の視察が入り、私は周りの「作業者」からブーイングを受けた。
「痛みを分かち合って働きやすい職場を保とう!」
そのような「スローガン」の真逆の行動をとったのだから、仕方のないことだろう。
何もしなければ何も変わらない。
それから数ヵ月経ち、私はこの会社を退職した。
在職期間は9ヶ月だった。
おわりに
「フォーリング・ダウン」という映画をご存知だろうか。
主演の「マイケル・ダグラス」が、会社をクビになり、妻や子供とも別れ、たった1つの「コーラ」の値段に腹を立てたのをきっかけに、次々に街を破壊していく「イカレた」映画だ。
私は退職後、すぐにこの映画を鑑賞し、車の中では「浜田省吾」のMoneyやJ.Boyを聴いていた。
そうやって社会に対しての不満を少しでも抑制していたのだろう。
あなたは、働いている姿を「家族」に胸を張って見せられますか?
クリーニング沼 完
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