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ヒサばあちゃん

いつも不幸な知らせは突然やってくる。

テレビ電話先で救命装置を付けられたばあちゃんは意識はほぼなかったと思う。

最後にばあちゃんの名前を呼んだが正直、何と言っていいか分からなかった。

今年の2020/9/2、じいちゃんが天国へ旅立った。

寛明という名を親から授かり、天寿を全うし大往生した最後だったと思う。

そして2020/11/19、後を追う様にばあちゃんが亡くなった。

家族が2人も亡くなり、帰省の支度をしようとしたが、コロナウィルスの風評や噂が立つからと、東京からの帰省は今回見送ってくれとの事だった。

2人の死に目に会えないのはつらいし悲しい。

実の母、父を亡くした様に悲しく、未だに心の整理が良く着かない。

年老いてから老人ホームに入っていたため、子供の頃の元気な記憶しかほぼ無い。

父と母は共働き、家にはじいちゃんとばあちゃんがいて面倒を見てもらっていた。

小さい頃からばあちゃん子だった。

幼少期は母親と思っていた頃もあった。

記憶はいつも鮮明であの時のままで再生させてくれる。保育園のバスの迎えにいつも出てきてくれた。小学校や遊びから帰ると台所で夕飯の支度をしていて、いつも1番につまみ食いをさせてくれた。

幼い頃はじいちゃんと一緒に45度の熱い風呂に入って外で遠くの新幹線を眺めるのが日課だった。

夕方を過ぎると辺りが暗くなり、新幹線が通ると光る窓が続いてまるで近未来の異質な乗り物の様な感覚だった。

この頃から東京や大都市に夢を見ていたのかも知れない。

生前、じいちゃんに言われて深かった言葉がある。

「おめぇには東京の水が合わねえんだ。」

亡くなる2年ほど前に東京から帰った時に言われた。

生まれ育った土地を離れて別の土地で生きていくということはそれまでのライフスタイルがほぼ変わるし、向いてない土地というのがあるのか、または風水的な意味でそう言ったのだろうか、と色々と考えた。

だが恐らくどれも違う。伝えたかった事はシンプルに東京で生活する生活水が体質に合わないという事だと思った。

または帰って来て土地を守って欲しかったのかも知れない。

生まれた土地の水で育ったのだから、当たり前だろ、と当然の様に言われそうである。

記憶では2人ともとても仲が良かった。オシドリ夫婦と言うのだろうか。昼食を終えるといつも2人でのど自慢を観ながら寝転がって昼寝をしていた。

お互いにお互いを尊重していて、温厚なばあちゃんが唯一怒りをぶつけられる相手でもあったと思う。

そんな2人が大好きだった。

そんな2人や大好きな人達の沢山の愛を受けて育ったんだと今更ながら実感する。

だから、旅立つ時は優しさと沢山の愛に包まれて安らかであってほしい。後は任せて何も心配しないで。

悲しいけど、俺の一部となって俺のところに帰ってきた感じがした。無くしていたパズルの1ピースが見つかったみたいに、どんどん完全に近付いていく自分。近付いても決して触れられないけど、俺が生きている間は絶対忘れはしないよ。

この記憶たちが大切な宝物。

俺もまた誰かにそうしてあげたい、自分がそうされた様に。

2人ともとても偉大だった。

戦争を経験したり、激動の時代を生きて来たから、苦労の方が多かったと思う。

次は平和な時代に生まれて、今世が大変だった分、好きな様に生きて欲しいと思います。

2人ともずっと大好きです。

あなた達の孫に生まれて本当によかった。

何も心配せずに安らかに眠ってね。

また何処かで会えるのを楽しみにしています。

育ててくれて、ありがとう。

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