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パニック障害という名の私のナビゲーションシステム。私の時系列?

6/6ふたご座新月でしたねー

私の中のイメージ、ふたご座って健康ってワードが浮かんでくる。♊🌑

胃腸とかとくに。笑

そんな意識もあってか

新月の夜に決めたことがある。

4年ぶりにパニパニちゃんの病院行こうかな。と

実は、私、勝手に治ったと思って生きてきました!😂

2017年初めてパニパニになって

一切外に出れなくなりました。

カーテンも開けられない毎日(今じゃ絶対考えられない)

運転もできなくなりました。(正直、これは今でもその日その日の自分次第です)

1年半くらいだったかな、傷病手当をもらいながら引きこもり生活を経て

まだまだ復活するには時間が欲しいと思ったけど

当時、在籍だけしていた会社を辞めました。

幸いなことに、私はセラピストとして働くことも多かったので

知り合い、お友達を通じて

自宅でだったり、サロンとして場所お借りしたりして

アロマや湯たんぽ使って

オイルマッサージやもみほぐしをやって

また少しでも、人と繋がっていなきゃ、稼がなきゃってやってた。

そのうちにまた、このままではだめだ、、、!!
(なにが?wってくらいこのエゴキンマンによく餌あげてたなー。w)

が、来て。すこし経った頃

知り合いの紹介で(コネですね)

症状のことも承知の上で雇ってくれる方が現れ

お金を稼がなきゃ精神の私は働いてみました。
(この頃自宅から15分圏内であれば運転も少しづつやれるようになりました)

春の出来事でした

精神的にまだ自分の扱い方を知らなかった私は

精神的に他人の周波数をとても受けとりすぎて

久しぶりの発作を起こしてしましました。

たまたま、それを目の当たりにした店長が
(この時は電話中に発作が出てしまい、話していたのが店長だった)

本当にガラッとってこういうこと言うんだなって

いうくらい態度が変わったと受け取ってしまい

私は自分の捉え方がしんどくなって仕事はやめました。

今思うと、本当に弱い子ぶっていたなーと。w

いや。しんどいのも事実

頑張りたいのも半分くらいはあったのも事実

とにかく、死なないようにすることに必死に生きてました。

死にたいと思ったところで死ねないからね。しんどかったよ

このあとは、自分の調子で働ける仕事を探したいと

個人事業主でセラピストをやることにしました。

知っている顔ぶれに安心感もあり

しばらく、自分の体調を考慮できる環境でやっていました。

この時もまだ薬に頼って生きていた。

初期段階の症状が本当にひどすぎて

それと比べて、よくなったと感じ始めたり

戻ってみたり。

薬を服用していた後半

もう、記憶はなくなるし

周波数めっちゃ重くてすべてがしんどい

イライラが止まらない

誰かに何とかしてほしくて、つらくて泣く

とにかく情緒がだだ崩れで。

記憶がなくなることが一番怖かった。

自分は一体どんな姿を見せていたのだろう。

自分が自分を見てない恐怖感にめちゃめちゃ襲われて。

当時、お付き合いした人にも振られました。

そりゃそうだよなw

それはそれはひどい姿だったと思いますよ。

今思えば、この時振ってくれて本当にありがとうって思えます(o^―^o)

この失恋をきっかけに

このままではだめだ!

このまま、居たくない!って、本気モードで思えたから。

薬も手放しました。

最初は母に預け、薬も管理してもらっていたけど

今度、それはそれで母に対して

別物の感情をすり替えてイライラしたり

依存チックになったり

自己嫌悪の連続でした。

たまたま、親戚の家に連れて行ってもらい

失恋で弱りすぎた私は1人で寝ることもできなくなってて

母や伯母が一緒に寝てくれていました。
(なんて守られていたのか、、)

(他人がどれだけ守っても、自分自身が自分を守ってあげれてないから、
みんながしんどいよね)

朝、アラームをかけて寝るのですが

どれだけの爆音でも起きないことが続いて
(上の階で寝ている私のアラームが下の階にいる親戚たちにまで聞こえるほど爆音)

薬のせいだから、睡眠薬やめろといわれ

不安と疑問と様々な感情が湧いてきたのを覚えてます。

その頃は、様々な発信者の

自己啓発系を見たり

宇宙理論みたり

禅の教えなど諸々見て

わたしの精神は成長したがっていました。

少しづつ、眠れなかったらいいや

寝なくていいやっておもえて 

全部の薬を捨てました。

その代わりに私は安心グッズを探し始めました。

湯たんぽ

アロマ



ビニール袋

これがあったら大丈夫を持って

どこに行くにも湯たんぽを抱えていました。(夏でも)

この時期まで来ると、仕事も

完全歩合制。

体調も大切、でもお金が本当に自分の

望みとは違う結果でいました。
(またあのエゴキンマンに餌やってたんですねーw)

時給で働いてみようかと、思い始めました。

まだパニパニの不安も抱え

でも、現実的にお金がないのは生活できない!

みたいな、考えでした。

(今思えば、どこに行っても私の頭の中が変わっていないから違う形で同じことを繰り返していた。)

そして、また仲のいい友達の紹介で

ご家族がやっている飲食店へ。

この時は、パニパニのことは言わないで行こう。

って、決めていました。
(もしかしたら、わたしが病気宣言するから、私の頭の中で私は病気。っていう現実を創り出しているかも。って思った)

そしたら、本当に本当に人に恵まれた。

そのころから、私は頭の中の習慣づけの練習を

毎日、毎日やっていた。

朝、起きてゲッターズ氏の本を音読から始め
(声に出したほうが脳が覚えるかなって思ったw)
効果は良好😊

ヨガを習慣にし始め、歯磨きするときには

二ーーーーー😊😊って、笑顔の練習

お店に行ったら、今の自分にできること、、、

それは、とにかく声をだすことだ!!

って、信じ切り

「いらっしゃいませー!!!!」

「ありがとうございましたー!!!」

を、めっちゃやってたのを覚えてる。w

今思うと、頑張りすぎて

キャラになりきろうとしすぎて

自分のルール厳しくて

それに、反すると自分で減点してた。

1回苦しくなりすぎて

戻れなくて、いい人たちに

見せたくない!こんな姿!嫌われたくない!

が、ほんとうに出た。

逃げるように、、

はじめて、嘘ついて帰ったんだ。

5ケ月程、働いてまたやってきた。

お金足りない思い込み。

一体なににつかってる?

服買ったり、出かけたりしていなくても

生活に必要なお金が足りない!

ってなってて。

そしたら、そのお店の別の家族のやってる店を紹介してくれて

異動?することになった。

そこで、私はさ、個々としてみることをまだ覚えていなくて

こんなに良い人たちの紹介だから大丈夫だろう

と、思って行ったんだけどね

すごかった。笑

きっと一般企業ではありえない働き方。

ブラックといっても過言ではないだろう。

私はそれでもまだ、マシなほうだった。

女だったから。

それも変な話だが。

とにかく、本当に毎日が必死でした。

朝9から夜中まで、休憩もなし

ご飯もまかないがあるのかないのかわからない毎日

出たとしても飲み物ですか?

の、スピードでまた秒で戻る

そもそもの食べ方が遅い私には、きつかったー。。

帰るころは日付が変わる寸前だったし。

やめたくても、私の大好きな人たちの紹介で来たから

言えなかった。(関係ないのにね)

そんなこんな、必死すぎていた毎日

私は、たまたま受けた子宮頸がん検診で

精密検査が必要になったんだよね。

初めてのことで、正直

「え、がんなの?」

って、まだ精密検査の段階で不安が膨大になっていったのね。

そして、私は正直、昔からいつ死んでもいい

入院とかもしなくていい

「だって、本来めちゃめちゃ昔の人たちは術もなくその命を使い切ってきたわけでしょ?」って

ひねくれた考えの持ち主でした。(すねきんまん)

でも、実際そうなって

「もしも、このまま死ぬことになったら?」

「治療とかしなくていいけど病気で痛く、苦しいのもヤダ」

とか、矛盾だらけのいろいろな考えが来て

このまま、死ぬことになったら、、

「いや、なんもしてなくないか?貧乏で苦しい思い出が残りすぎてて
その感じで死ぬのは嫌だよな。」って思ったんです

現実的にっていうより

精神的に自分の精神成長に満足してないっていう

その恐怖感がすごくきて

もう、こんな生活はやめようって

自分の身体を労わってみよう。

って、めちゃ勇気出して、やめたい旨を伝え、、

いろいろと、気まずい終わり方になったけど

最初の方々とは今も仲良くしているし

ここで、この選択をしたから

以前どっかで書いた、東京ライフ始まるわけなんですが、、

そこから、またどうして

病院に行くことにしたのか

次の記事で書いてみよう~~

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