人寄り染鶴と物寄り健鶴の話
※こちらの記事は刀ステ无伝のネタバレを多大に含みますのでご注意ください※
■染つるは人神寄り、健つるは物神寄りだな、と思った話
染鶴「この終わらない戦いに、驚きを通り越してぞっとする」
お前それかなり人寄りの感情が入った感想ジャン…
无伝でぞっとしたところである。
この発言は物寄りの鶴丸国永(想像)とズレがありました。
物寄り個体差、神寄りの個体差をもつ鶴丸なら
「主張が違うもの同士、争うなら果てがないのも承知」
と一歩引いて見る気がする。
と思ったところから考えた考察妄想です。
※以下、[神/物/人]寄りの個体差がある鶴丸=[神鶴/物鶴/人鶴]と略しています
①義伝で「鶴丸っぽくないな」と思った話
義伝で黒甲冑に取り込まれた鶴丸を見て
ふと「鶴丸っぽくないな」と感じたのですが、
これは私が人鶴が特に好きで、
人鶴の解像度が(無意識に)高かったからかもしれません…
人鶴なら黒甲冑に取り込まれたりはしないのでは?
「戻らなかったら皆が悲しむ」という感情が彼を冷静にする
だから、手に負えないものからは距離を置き、対策する。
一方けんつるは「驚き=知らないもの」を求めて甲冑と同化した。
それはその結果として自分が折れても
「物だからそういうこともある」という根本思想も見える。
一方で、慈愛の神でもあるから、
伊達と粟田口の面倒を一歩引いて見るところもある。
このことから、ステの染鶴は人寄り、
健鶴は物神寄りなのかなと思っています。
②无伝での三日月と鶴丸のシーン
「三日月ならそれにどうやって耐える」
无伝で全審神者が泣いたシーンの染鶴のセリフです。
それを聞くということは
染鶴はずっと耐えているのか…?
三日月以外には迷いを出さず、悟らせず、
ただ果てのない中で戦い続ける。
なんて、いじらしい刀なんだと泣いた。
「それは、たやすいことだ」
対して、問いに迷いなく言い切った三日月さんが印象的でした。
彼にとっては、もう何度も何度も何度も
円環の中で自身に問いかけていて、
何度も何度も何度もたどり着いた自明の答えだったんだな…って思って泣いた。(BGMはドlリカlムの何度でも)
三日月の本丸という答えは染鶴の耐える理由としては
納得いかなかったんだろうけど(※想像です)、
「あの」三日月が殊勝なことと本心から言っているのが
面白くて、愉快で、
染鶴はにこにこしちゃったんだろうな。
果てをいったん忘れて「もう少し先を見てみたい」と
彼が思えたのならいいなぁと思いました。
③无伝から垣間見えた「人寄りの」鶴丸について
①で語った健鶴と比べて、
染つるは「果てのなさへの恐れ」を抱いたり、
長谷部やまんばをからかったり、
ずいぶんと人らしいのではないか?
それって刀剣男士としてつらくないか?
その結果が三日月にした「問い」に出ているのではないか?
元々の個刃差もあると思うけど、
きっかけがあったらめちゃ聞きたいな…
と思ってから考えた妄想です。↓
(維伝パンフの顕現順参照)
もし健鶴が折れて染鶴が顕現したとしたら、
本丸の刀達から「もう折れないで」
「自分を大切にして」と思われて顕現したとしたら、
それが、人寄りの染鶴としての有様だったとしたら、
そう考えたら残酷だなぁと思いました。
大切に思われたせいで「果てなさ」に苦しむ鶴丸国永。
物寄りであれば、苦しむこともなかったのに。
でも、かつて健鶴が神として与えた本丸への愛が
本丸の気持ちとなって染鶴に宿って
感情を大切にする、人寄りの染鶴として、顕現し、
彼の物語が、続く本丸の進み方を変えるとしたら。
たとえその感情で染鶴が悩み、苦しむとしても
その姿を与えた本丸は彼を救ってくれるのだろうなと信じています。一生愛す。[完]
[余談]
「粟田口の話を愛おしそうにする鶴丸」が性癖の審神者なので、まさかの2.5次元で摂取してしまい悪酔いしています。これは夢か??本丸の皆で鶴さんをぜったいに愛す…
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