无伝から垣間見えた「人寄り」三日月宗近について

※この記事には舞台刀剣乱舞 无伝のネタバレを多大に含みます。ご注意ください※腐の視線も入ってますごめんね。













■「誰も所有できない刀」三日月宗近?

その価値故に、所有者がいなくなることなく
主を転々し、それゆえに「だれも所有できない刀」三日月宗近
それは幸福なのか、孤独なのか。
高台院の言葉をずっと考えています。答えはまだない。

でも逆を言えば、だれも所有できないからこそ
皆の心には三日月への思いや心があり、
「皆の三日月宗近」としての心が
彼に宿っているのかもしれないな…

恐れ多くも、そう思いかけてしまうぐらい、
ステの三日月宗近が人寄りの個体に見えてしまう物語でした。

■人寄りの個体、拡近

无伝を通して、
拡近は「三日月宗近個体」と比べて
ずいぶん人寄りだなと思いました。
それは「終わりなき戦い」の根元に
「帰る本丸があるから」なんだろうし、
それを拠り所にしてしまったが故の
「感情を慈しむ」三日月宗近なのかもしれない。

寄せられた心が彼を形作るなら、
「感情を慈しむ三日月宗近」は
どう出来上がったのか考えるだけで胸が苦しいです。

「他の刀に慈しみの心を寄せた」感情を
「慈しみの心で返された」結果の姿かもしれないし、
どちらが最初かはわからないけども…
でも虚伝初演の三日月さんは本当に楽しそうで美しかったんだよ

そして、彼に向けられた心の声で
明らかにまんばの声が大きかったんだよね。
だから、三日月はまんばに心をかけたのか?
ねぇジジイ今どんな気持ちよ…
んばみかの民としてどういう顔をすればいいのかわからないよ…

■无伝で安心した話

悲伝までの物語で、拡近が
「自分だけで円環を引き受けるEnd」を疑ってたので、
彼も本丸に帰る意思があるって分かって
安心しました安心しました(2回言う)

「終わりのない戦いに終止符を打ち、本丸に帰る」ために
冷徹に、底見えない狂気で臨んでいる三日月宗近が
愛おしくてたまらないんだ…

人や本丸への「愛しい」がカンストした結果の
「底の見えない純粋さ」、
「終わりなき戦いを終わらせ、本丸へと帰る」ために
手段を択ばず時に冷酷に立ち向かうところ。
あまりに老練だから、
外野は拡近の本意を測りかねていたけど、
ふと見せる、本丸への愛情が本当に本当の三日月宗近だったんだなと。

今はてくてく円環をめぐって、
とばりの先の男士たちに手をふっているけど、
いつか彼がとばりの先の本丸に戻れるように、今は見守りたい…

という巨大感情です。
あのED考えた末満さん天才じゃないか??もう無理です
どういう顔していいかわからないよたぶん泣いている。

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