雑談 テーマ「AIと人間、史学とエントロピーの回収」

ふと、思いついたことを書く。
人間とAIというものについてなのだが、
AIはデータを食って、傾向を掴むことが
人間よりもさらに長けている。
ただ、人間も長年それをやり続けていて、
歴史なんかのデータをもとに、
法律を作っていったりするわけである。
AIというのは学習するという意味で
人間に近しい存在であるといいたいのだが、
よって、AIを深く見つめることによって、
人間自身の性質も見えてくるのではないか。
このことは多くの研究者によって既に研究や発見があるのかもしれない。
しかし、あえて門外漢だからこそ、
何か似ているところはないものかと、
さがしてみたい。

そのように意識して考えると、
過去のことをここまで執拗にほじくり返すのは
AIと人間だけではないかと思える。
自然界を見れば、犬や猫、虫や植物、キノコなんかがある。
かれらは彼ら自身の生存にかかわる大抵のことにおいて、
DNAによって学習している。
それぞれの個体による学習ではなく、
種としての学習、進化というわけである。
その中でも、特に脳みそや中枢神経のある連中を
人間はとりわけ区分して考えているが、
チンパンジー、クジラの類いはともかく、
多くが知能や知性、感情といったものを
有しているというわけではなかろう。
日々の行動は生存のための本能であり、
時折見せる感情らしきものは生存のための反射である。
もちろん、ヒトも完全な知能を手に入れているわけではない
(というか、そんな存在はこの世にはいない)ので、
あくまでグラデーションの問題ではある。
とはいえ、精神というものが本能と理性によって成るとするのであれば、
人間のいわゆる精神に対して、
彼らの持つ精神における知能の割合は著しく低いことは否めないであろう。

そこで、彼らとの違いを考えてみる。
生物と人間では被ってしまう部分があるので、
便宜上、本能と理性との違いとしておく。
感情については面倒なのでまたのちに考える。
ともかく、本能と理性とで違うことは
過去に対する執着であろうと思われる。
本能も過去から学ぶことはあるが、
起きた出来事自体を覚えているわけでもないだろう。
まして、言語化することも文章に書き起こして保存する機能があるわけでもあるまい。
その点、人間は過去に非常にこだわるのである。
同じ単細胞生物から分かれたとは到底思えないほどには
昔話が大好きで、過去の失敗は忘れられないものだ。
この違いが生まれた原因はなにか。
社会性によるものではないかと思う。
ありきたりな結論ではあるが、理由は自分で考えている。
学者曰く、社会の最小単位とは家族なのだそうだ。
まあ、まだ家族はいい。
動物だって家族くらいは作る。
これが定住して、何百年も続くような国を作ろうとしたら大変である。
ここで、現代でも解決していない問題を持ち込む。
どこまでが同じ国なのかということだ。
この時代であれば、どこまでが同じ民族であるかということである。
そのころの解決策は簡単である。
同じ物語を継承していたら、同じ民族なのである。
そこで神話だのなんだのが作られる。
このくらいのレベルになればもう立派なもので、
何代続こうと同じ民族になる。
だから、社会にとって過去というのは
非常に重要なものである。
ただ、別に学問ではないから正しい歴史である必要性はないのだ。
同じ民族であるという証明書のようなものでしかないのだから。
その点は今のいわゆる歴史とは感性が変わってくるだろう。

つまり、自分が何者なのかという問いが
社会性動物にはつきものなのである。
AIはその点、自我を認識していないだろうが、
過去(データ)がなければからっぽであるという点で一致していると思う。
生物がデータや経験のない赤子の状態から
中身があるのはその役目をDNAが果たしているからである。
AIであれば、元のプログラムであろう。
ただ、それは本能の話であり、理性における自我の認識は赤子のころ空っぽであることは諸氏のよく知る通りである。
理性には経験が必要で、それは過去を振り返ることによって得られる。
AIは人間の知性の部分に特化しているともいえるし、
これから人類が繰り返してきた何十億年という進化の経験を食わせれば
化ける可能性もあるであろう。
もっとも、DNAによってつくられた本能を理性と経験によって再現できるかは別である。

とにかく、自我についての認識が理性には必要だ。
しかし、世界の原理的には
DNA以上にさらに高次的な働きと言わざるを得ない。
エントロピーによって、世界のありとあらゆるものが拡散、分散しているからである。
そもそも、DNAはそのエントロピーに対抗するべく、
変化し続けるなかで、個体が残り続けたものである。
にも拘らず、キノコと我々を比べればわかるようにここまで拡散している。
いや、存在を固定するために個体が変化する必要があったといったほうが適切であろうか。
DNAは過去の存在を記録している。
この後も成功し続けるかはわからない。
データは逆だ。
どちらかと言えば失敗を記録している。
なんともない、なにもない、変わらない。
そんなデータは何の役にも立たない。
記録するのは変化しているものである。
生物にとって変化とは敗北である。
変化を強いられたのだから。
だが、人間社会の理性はそのままであることを許さない。
個体ではなく、社会を残し続けるには変化するしかない。
だからこそ、過去の敗北(変化)を見続け、
次どのように変化(敗北)すれば社会が残るのか
考える。
変化を好まないのは人間が一個の生物であった時の名残であろう。

かくして、人間は世界の真理に逆らって、
拡散するデータを拾い、回収し、蓄積するようになった。
社会を固定するため、かつ、社会を変化させるため。
AIはこのうちの変化させるほうにはおおいに貢献するのではないか。
しかし、あくまで理性(経験)によって生きているAIは本能によって変化を拒む人間を理解できないであろう。
少なくとも、人間が歩んできた成功体験が理解できるようになるまでは。



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