見出し画像

編集者(記者)がどうしても伝えたい「仕事を頼みたくなる」ライターの条件って???

 アイコンの写真に意味はない。書く。

 さて。「note」では、ライターの仕事論についての文章を目にする機会がやたらと多い。

「文字単価を上げるコツ」「未経験の私がライターになるためにやったこと」「ライター1年生が伝えたい仕事術」……そういった類の……。たまたま俺がそういう風にターゲティングされているのか。このプラットフォームにライター(ワナビー含む)が多いからなのか。理由はわからん。が、とにかく目につく。

 そしてそのほとんどは「ライター」が「ライター」に向けて書いているエントリなのだ。正直なところ、「そんなものに意味があるのか?」と疑問で仕方ない。なぜなら、ライターは(100%に近い割合で)仕事を「受注」する=「依頼」される存在だからだ。

 野球で例えるならば、ライターは選手、編集者はコーチ・監督といった立場に置き換えられる。選手が選手に指導するよりも、コーチ・監督が選手に指導する方が一般的かつチームにとって効果的だろう。コーチ・監督は試合に臨むにあたって、選手一人ひとりに求める能力を認識しているし、選手は監督・コーチよりもパフォーマンス面で優れているのだから。

 にもかかわらず、文章コンテンツ制作の話題(アフィ除)は、「ライター」が「ライター」に向けて書いているエントリがほとんどなのだ。

現場で起こるミスマッチ

 だからこそ現場ではミスマッチが起こりまくる。その証拠の一つにあげられるのが、どの編集部にいても必ず一度は耳にする「いい書き手(ライター)知らない?」という話だ。ライター向けのコンテンツが、これだけ世に広まっているにもかかわらず、編集者はいいライターを探し求め続けている。1億総ライター時代といってもおかしくないほどの状況にもかかわらず、編集者は「いい書き手(ライター)」を探し求め続けている。おお、神よ、このズレをどのように埋めればいいのか……。

 一つ考えられることといえば、先に挙げたようなライター向けのエントリが、本来的には編集者ないし発注者側によって書かれるべき……と理解される状況を生み出すことだろう。ライターは編集者ないし発注者側が書いたものを読んだ方が利がある。構造上自明だ。ライターにとっても編集者にとっても、お互いがお互いの立場の違い(言わんや上下ではない)を認めつつ、相手方に求めている職業的素養を伝え、理解しようと努めていくことは大切かつ、気持ちよく良い仕事を進めていくうえでの最短距離になり得よう。

 そこで、ここでは「編集者(某ニュースサイトで働く俺の名刺の肩書は記者になっているが実態は編集者が適切)」の立場として、「仕事を頼みたくなるライター」の素養・条件について書いていく。

……なんて、とんでもなく偉そうな書きぶりだが、ライターがライターに向けて書いた数多の<censored>クソの役にも立ちそうにない</censored>記事が需要され、受容されているわけだから、こんなテンションのエントリも許されたい。

 前置きが長くなってしまった。さて、というわけで本題に入る……前に最後に記す。

 ここにまとめる内容は書籍編集歴約8年、Webメディア記者歴約1年の、若手(?)編集者が「自分にとってやりやすい・いいライターさんってどんな人だろう」と思いながら書き連ねたものだ。一つの例として、「編集者はこういうポイントでライターの良し悪しを判断してるのかな……」といった具合で読んでもらいたい。あくまで一つの例として、だ。

 また、「編集者」と書くと、あまりに指し示す範囲が広すぎるので、このエントリを書いている俺の守備範囲について、もう少し細かく明かすと、「月間数億PVのニュースサイトの編集部に在籍」「担当する記事は自由」「依頼先を選ぶ裁量はある」「広い意味でカルチャー・生活・食に関する企画を考えることが多い」といったところ。SEO <censored>とは名ばかり</censored>の解説記事を物量作戦で量産するスタイル(=フリーライターを名乗りたい人の主戦場[偏見])の編集者とはズレがある。念頭に置かれたい。

 前置きはここまで。これから、俺が、ライターさんに、求めている、条件を重要度別に書いていく。

重要度☆ 日本語が書ける

 あまりに書けなければこちらで直すし、多少の拙さは書き手の個性として片付ける主義なので、巷でよく謳われる「文章の上手さ」はライターに求める条件としてあまり気にはならない。

 むしろ美文は困る。助詞が適切に使えているかどうか。それくらいの話。ある程度の日本語は書いてほしい。重要度は低いものの、ある程度の日本語が書けることはライターに求めたい一つの素養……って当たり前か……。

 とはいえ、わざわざ「日本語」が「書ける」ことをはじめに挙げたのは、ライターを自称している人の中にも、あまりに日本語が書けない人がいるからだ。この文章を読んでいる人も、もしかするとその一部かもしれない。ということは書き残しておきたい。

 追記すると、誤字脱字は別にどうでもいい。校閲を通す。

重要度☆ 締め切りに対する意識がある

 締め切りに対する意識があることはライターの方に求めたい条件だ。などと書くと、これまた当然のことのように思われるかもしれない。とはいえ、ライターがライターに向けて書いたハウツーで謳われるほど、締め切りは重要ではないというのが実感。求めたい能力としてのクラスは星ひとつだ。

 締め切りを守るよりも、時間をかけて意義・価値のある文章を書いてくれた方が嬉しい気持ちになる。嬉しい。「締め切りを絶対に守るけどダメな原稿をあげる」のか、「締め切りを守らないけど素晴らしい原稿をあげる」のか。この二択であれば、後者の書き手と仕事をしたい。そうでなければ、仕事が作業に成り下がってしまう。

 そもそも、締め切りをコントロール(嘘の締め切りを伝えるなど)することは編集者サイドの技だし、締め切りを守ることに躍起になりすぎて<censored>クソみたいな</censored>原稿をあげられるのはお互いにとって本末転倒だろう。

 俺が某軽薄体有名作家さんに酒席で言われたのは「締め切りとパンツのゴムはいくらでも伸びる」の一言。わからなくもない。その方は常に素晴らしい原稿をくださった。そういう人ほど「本当の締め切り」はしっかり守ってくれる。

 なんだろうか。別に締め切りを守らなくとも(質の高い原稿を上げてくれるのであれば)、仕事上はまったく気にしない。しかし、何度も締め切りを破られると「ああ……普段からだらしない人なんだろうな……」と邪推してしまうような気持ちにはなる。人間なので……。そうしてアンビバレンツな面はある。だが、(何度も繰り返すように)素晴らしい原稿をもらえることが編集者としては何よりも嬉しい。

重要度☆ 専門性がある

 専門性があるライターさんはありがたい。というか……依頼しやすい。

 編集者がライターに新規で仕事を頼むうえで、最も多いパターンは「編集者が企画を考える」→「書ける人を探して依頼する」というパターンだろう。企画の内容によっては、ここで「いや……書ける人いねえな……」となって頓挫することも決して珍しくない(優秀な編集者はそのサーチ・調整能力が高いが……俺の場合は……)。

 卑近な例をあげると、「クーラーの効きを良くするコツ」といった企画があるとして、書き手にふさわしいのは、家電ライターか。エアコンメーカーの人か。もしかすると、理系の学者の人か。うーん。誰に頼もうか。少なくとも、なんのバックボーンもない人には頼めない……と、考えるわけだ。編集者は。

 メディアに記事をあげる以上、信憑性を担保するためにも、企画に対して専門性のある人に頼みたくなるのは編集者としての当然のムーブ。理解されたし。

 こうした考えを知ってか知らずか、最近は「FP×ライター」なり「税理士×ライター」といった、資格×ライターの建て付けで自身を名乗る人が散見される。わかるが、そういった人の「資格」は、編集サイドからすると活きてこないことが多い。あなたじゃなくても他にも選択肢が多いからね!資格だから!

 中古車販売業者で20年勤めてました……みたいなほうが「素晴らしい!」となるケースが多い。なんというか、そういうことだ。

重要度☆☆  友達が多い

 ライター自身にリサーチ……(?)を頼む機会も珍しくない。

 具体的にいうと、普段車関係の記事を書いてもらっているライターに「交通ルールの欺瞞」について書いてもらうとなった際、ライター自身が「交通ルール」に明るくなかろうと、法律に関する記述はほしい。そこで、ライターに法律関係に長けた友達がいるとなると、途端に記事完成までのスピードが上がる。もちろん、その辺りはイーブンな関係で、編集サイドがライターの明るくない専門領域をカバーすることも、ままある。

 とはいえ、そうした具合で、友達が多い人間は強い。自身に専門性がなくとも、専門性のある人間が周りにいる(つくれる)ライターはそれだけで頼りになる。友達が多い人間は頼りになる。六次の隔たりってやつだ。

重要度☆☆ 企画を提案してくれる

 言わずもがな、編集者は常に企画を欲している。そうでない編集者を俺は知らない。これは間違いない。だからこそ「書く」だけでなく、「企画を考える」ライターは強い。あなたが、もし企画を提案した機会がなくても、企画を提案したい、企画を持っているのであれば、すぐさま提案すべきだ。

重要度☆☆☆ 変なこだわりがない

 ライターを志す……ないし、ライターとしてお金を稼ぐ人であれば、文章に何らかのこだわりがあるだろう。<censored>なければ辞めた方がいいと思う。そんなにイージーに稼げる仕事でもないですし。そもそも稼げる仕事でもないですし。</censored>

 とはいえ、そのこだわりは編集者からすると、ときに途轍もないネックになりうる。例えば記事のタイトル。PVであったり、SEOであったり、そうした記事自体の根幹に関わる部分は、きっとあなたよりも編集サイドの人間の方が力を入れて考えている。そこに作業量リソースを注ぎ込みたいから、ライターさんに(本文を書く)仕事を依頼するケースすらあるほどだ。ライターのエゴでそこをねじ曲げなければいけないとすると……。

重要度☆☆☆☆ 腹を割って話せる

 以上に書いてきたとおりのことを伝えられる人と仕事をしたいし、その方がお互いの先々につながる。仕事もやりやすいだろう。編集者に送るメールだから文明も丁寧にしなければ……などと考える時間は不毛でしかない。

 仕事。ときに、全くお互いのためにならない(ブルシットな)依頼をし、される機会もあろう。そんなときに「すまん、これはしょうもない仕事やけど、今度ええ仕事頼むし、ちょい、これはやっといてや」と伝えられた方がよいだろう。究極的には友達と仕事をするのがベストだ。

……以上。そんなところだ。

「文章」を書いて「稼ぐ」って……

 偉そうな書き出しからここまでツラツラと連ねてきたが、「ライター」だとか「編集者」だとか、そうした個人と個人の関係性で成り立つ奇怪な「職業」はそうない。だからこそ、個別具体的に1対1の良好な関係性を築くことがなによりも重要だ。恋愛みたいなもんだ。お互いがお互いをうまくコントロールしなければ仕事として成り立たない。

 恋愛の例えだけでは飽き足らず、(この文章を目にした誰もが忘れているだろうが)はじめに書いた野球の例えを引っ張りだすと、監督・コーチによって活躍する選手が異なってくる(落合政権時代の英智を思い出されたい)ように、ライターの方も編集者との相性によって、優れたパフォーマンスが残せるかどうかにブレが出てくる。

 それだけに、ここに挙げた条件にまったく当てはまらなくても、素晴らしい仕事を残すライターの方は絶対にいる。もしも、ここに挙げた条件に当てはまる人がいたら、ぜひ連絡を。一緒に仕事をしようじゃないですか。いい仕事頼みますんで。腹を割って仕事していこうじゃないですか。


 こんな記事を書こうと思ったのは、東京西側放送局というネット配信ラジオで話した「プロのライターとは?」話による影響が大きい。そんなところだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?