お笑いの「お約束」と空気を読むことは根が一緒ではないのか?

東京の人間なので、若い時は関西というか大阪的なノリは全然分かりませんでした。

要は吉本的な笑いは、1970年代後半になってようやく知ったというか。「やすきよ」の影響が大きかったです。
プロポーズ大作戦の司会をやってましたからね。

その後、「THE MANZAI」を経て、「俺たちひょうきん族」でさんま、紳介を始めとする吉本の芸人達を通して、関西的な掛け合いやテンポを知りました。

いやさすがに関西の有名な芸人さんは知っていましたよ。
ただ若手が少なかったせいか、スピードのある掛け合いはあまり記憶がなかったのです。
現在のように、お笑い芸人があちこちの番組に出るってこともなかったですし。

1980年代以降になって、ボケとツッコミの様式が、広く知れ渡ったように思います。要は何か言われたら、瞬時に面白いことを返すってことですね。

その中で定番化したのは、こう言われたらこう返すという「お約束」のやり取りです。

センスのいいことを返すことができればいいですが、誰でもできることではない。ならば誰にでもわかる定番ならみんな真似できる。
これが「お約束」ってやつです。
今でも受け答えに失敗したときによく聞く「そこはXXだろう!」のXXって部分。

「お約束」って日本人は好きですよね。
これってよく考えると「空気を読む」とよく似ています。
どちらもこういう場面では、みんな納得する(であろう)振舞いをするってことです。
また表現上の規制がうるさい世の中になってせいで、ますますその傾向が激しくなったと思っています。

先日書いた昭和レトロの場面に三丁目の夕日を流すのも、同じようなにおいを感じるのです。
でもいいトシになったせいか、お約束はもういいよって感じになってきました。

空気を読むこと自体は否定しませんが、よほどトンチンカンでなければ、いろいろ言っていいんだと思います。
誰にでも属性や立場はあるので、何かを言えば誰かが傷つきます。
でも言われたことの中に、気づきがあると思うんですよね。

言葉なんてものは、発する方も受け取る方も、己の度量が試されていると思うのですが。

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