人生で本当に残酷なことは何をしようが時間はただ過ぎ去ってしまうこと
若い人(という言い方もなんですが)は、懐古主義は嫌がりますよね。
かつては自分も強烈にそうでした。というか年長者はほとんど嫌だった(笑)
戦争中の話なんかされた日にゃ、反論できませんからね。
とにかく先を向いて進めば、新しい何かがあると思っていました。
少なくとも状況は変えられる可能性はある。
なのでその勢いを妨げる「昔はよかった」は敵なのです。
いいトシになった今でも、基本的にその考え方は変わりません。
自分が動けば何かが生まれることは間違いありませんから。(当然失うものもあるけどね)
だから(精神的にも)動かない高齢者に、もう少し何かやってみれば?
と思うこともあります。
そんな自分は失敗ばかりの人生ですが、あまり後悔はしない方です。
その時に判断したそれなりの理由はありますから。
もちろん反省くらいはしますけど、次回からそっちを選択しなけりゃいいだけです。
ただですね、いいトシになってみると、ただ前向きに毎日を充実させようとするだけでは、カバーできない闇があるのに気付きました。
それは過ぎ去っていく時間。
ふと過去の記憶を呼び戻しても、そこにいた人も建物も風景も時代の雰囲気も、もう無いのです。
いやその人が生きていているのなら、今でも会えるでしょう。
建物は変わっても物理的な場所(位置)は残っているでしょう。
でももう当時の空気や場には二度とは戻れない。
どんなお金持ちでも不可能です。
惨めだった記憶ですら愛おしいのです。
これはあの人に告白すればよかったとか(笑)、
別の職業を選べばよかったのようなこととは別の話です。
どんな道を選択しても、時間が過ぎるのだけは止められません。
そりゃ例えば我が子が成長して立派になったとか、自分の興した会社が大きくなったとかの、時間が過ぎることで結果が出た喜びはあるでしょう。
しかし、ただただ時間が過ぎてしまう現実そのもの。
それに気付くととてつもない無力感・空虚感に襲われ、底なし沼に吸い込まれそうになります。やばいやばい。
それがある程度長く生きてきた人間の、根本的な「苦」の正体ではないでしょうか。それから逃れようとして、せめて今の生活を充実させようと足掻くのです。
ただ何とかするためのヒントは、ちょっと分かってきた気がします。
それは精力的にいろいろやるというより、目の前のことを丁寧に行い、人と丁寧に接するような当たり前のことではないかと。
雑に過ごすと、どうしても人生の忘れ物が多くなると思うので。
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