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アイヌの隣人として、ウポポイができる前に思うこと

2013年9月、私と廣川は白老のポロトコタンにいた。
その前年、国立遺伝研究所などの研究チームによって、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近いことやアイヌが縄文人の系統をよく残している※ことが明らかになり、アイヌの狩猟採集や交易に関する資料に興味が尽きなかった私たちは、ボランティアガイドのおじさんに1時間以上も解説をしてもらっていた。そして、ふと自分のことを言いたくなったのだと思う。たしか弓矢で使う鷹の羽根がアイヌの交易品として重宝されたという話のときだ。

「そういえば、うちの家紋は鷹の羽なんですよ」と言った私に、ガイドのおじさんは「あ、そりゃ悪いやつだ」と言い放ったのだった。家紋について深く考えたことのなかった私は急所を突かれたようにドキっとした。

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おじさんはアイヌを最初に裏切ったのが鷹を扱う商人だと言った。

それは北海道の鷹が将軍への献上品として高値で取引されていた頃の話だ。もともとアイヌは金属製品や絹織物、ガラス玉、漆器類を動物の毛皮や鳥の羽根などと交換する交易を行っており、アイヌの生活圏には鷹待など和人の業者が出入りしていた。松前藩が交易を独占するようになると、徐々にアイヌは不当な扱いを受けるようになり、有名なシャクシャインの戦いが起こる。接戦の末、松前藩との和睦の機会が設けられるが、その酒宴の席でシャクシャインはだまし討ちにあうのだ。

そこに私の先祖がどう絡んでいるのかは、わからない。私が知っているのは旧伊達藩士の曾祖父が北海道に入植したのは大正期であること。しかし、さらに時代を遡ったとき、良質な鷹を求めて北海道に入っていた和人の中に、鷹の羽の家紋を持つ先祖がいたとしたら? 思わず口をついて出た言葉は「すみません」という謝罪の言葉だった。

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10代の頃、テレビや新聞でさかんにとり上げられていたアイヌの話題といえば、二風谷ダム建設への反対運動だった。自分たちの聖地を守るためにプラカードを掲げて闘争するアイヌの姿は目に焼き付いていた。アイヌが理不尽な差別に苦しんでいることも、その報道を通して知ったと思う。

しかし、私は函館に18年間住んでいる間、一度もアイヌと交流したことはなかった。博物館でアイヌ文化に触れることはあっても日常的に接する機会がなかった。私の住んでいた道南は松前藩の拠点が置かれた場所で、アイヌと和人が熾烈な戦いを繰り広げた場所でもある。それなのに縄文を探求するまでの私は、アイヌのことはどこか他人事のように思っていたし、自分が何者かなどと考えたこともなかった。だが、アイヌから見たら、私は紛れもなく和人なのだ。

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日本人の大多数を占める和人。言い換えると大和民族になるのかもしれないが、北海道で生まれ育った私は、本州を「内地」と呼び、古いしきたりや習わしの影響を受けずに育った。自分を和人や大和民族だと意識したことがないし、家族や友人とそういう会話をしたこともない。おそらく多くの北海道の人が、いや、大半の日本人がそうなのではないかと思っている。

そもそも自分が何者なのかを知らなくても生きていけるのが、和人が多数派を占めるこの社会のほっこりするところではないだろうか。民族紛争にも巻き込まれず、イデオロギーで対立することもない。それこそ平和だ。しかし、それは他の民族やマイノリティ、あらゆる差異を無視することによって成り立っている認識だとしたら、この平和が薄ら寒いものに思えてくる。

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明治政府が行った同化政策によって、アイヌは土地を取り上げられ、アイヌ語を話すことや鮭漁や鹿猟を禁止され、入れ墨や装身、葬儀の方法に至るアイヌとして生きるさまざまな権利を失った。強制移住をさせられたり、過酷な労働に駆り出されて亡くなった人たちも多くいる。だから、アイヌの人たちは自分の出自を隠して生きている人が多い。

アイヌが自らをアイヌと言えるようになったのは本当に最近のことなのだ。そこに至るには、アイヌで初の国会議員になった萱野茂やさまざまな団体の働きかけによる北海道旧土人保護法の廃止、そしてアイヌ文化振興法の公布、さらには先住民族の権利回復に向けた国際的なムーブメントの影響があってのことだと思う。

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そして、今年4月24日にポロトコタンは民族共生象徴空間「ウポポイ」としてオープンする。聞きなれない「民族共生象徴空間」という言葉には「アイヌの人々の心のよりどころとなるとともに、国民全体が 互いに尊重し共生する社会のシンボルとなるような空間とする」という狙いがあるそうだ。

敷地内には近年問題となった、北大を始めとする研究機関が資料として保管していたアイヌ遺骨を納める慰霊施設もできることから、ウポポイが単にアイヌ文化を紹介するための施設ではなく、和人との和解を象徴的に表した施設であることがわかる。

しかし、研究の名目で一方的に墓を暴かれ、先祖の骨を持っていかれたアイヌの中には、地元に戻して欲しいという声もある。白老に返還遺骨を一括することに関してはさらに話し合いを重ねる必要があるのだろう。

長年差別に苦しんできたアイヌは和人のことを「シャモ」と呼ぶ。それは隣人を意味する「シサム」の侮蔑的な表現らしいが、せめて私はアイヌにとってのシサムでありたい。そして、アイヌも和人もなかった縄文時代を探求しながら、隣人としての新しい人間関係があってもいいと思っている。


写真:廣川慶明


※アイヌには遺伝子的な濃淡はあるがニブフなどのオホーツク沿岸居住民との混血も見られる。また内地より移住したきた和人との混血を経てアイヌ文化が成立している。

参考:『アイヌの人たちとともに—その歴史と文化—』(公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構)、『アイヌ学入門』(瀬川拓郎著 講談社現代新書)、https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html
https://ainu-upopoy.jp/

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