読書感想文『母性』

湊かなえ『母性』

湊かなえ『母性』読了。湊かなえ作品はいくつか読んだけど、読むのに精神力を使うので、最近は離れ気味でした。疲れてるのかな。
映画の予告を見て、原作を読むことを決意。
予告を見て思ったのは、「ああ、このお母さん(戸田恵梨香)は娘より母が大事なんだな」ということ。
で、たしかめたいと思いました。娘を愛せない理由と、結末を知りたかった。

少し話がズレるけど、読み終わってから、改めて映画『母性』の予告をみてみました。
予告、男性がぜんぜん出てこないんですよ。
面白いなぁと思いました。もちろん父、夫、彼氏の存在は出てくるけど、本質じゃない。『母性』には関係ない。原作を読んでそう思いました。だから予告を見ても違和感はなかった。これは単に私の解釈ですが。

映画を観よう、ではなく原作を読もう、となったのは、単に私が小説が好きだからです。文章を読んで、想像しながら読み進めて、あれ?と思うところがあれば戻って読み直せる。
映画も好きですが、先に原作を読んで自分なりに完成させておきたかった、と言えるかもしれません。

小説『母性』を読んで感じたことを記録しておこうと思います。
まとまってないけど、今どう思うか記録しておきたい。
28歳で、結婚はしてるけど子供はいない今の自分の感想。子供が生まれたらまた違う気持ちになるのかもしれない。

まず読みはじめて、「この母ヤバい」と思いました。ここで言う母とは、母の手記の書き手のことです。娘のママですね。
母親に依存してるじゃん、愛を勘違いしてる。娘のことを道具だと思ってる。
母親を人生の中心に置いてる。いや、違うか、母の愛がいちばん自分に向いているから母を中心にしてるのか。結果的に、それは自分をいちばん大事にすることになるんだ。

でも、読み進めていくうちにわからなくなりました。これって、娘を愛してないって言えるの?
「愛能う限り、娘を愛してきました」。
「おまえが言いたいのは、後ろめたい思いがあるからこそ、大袈裟な言葉で取り繕っているんじゃないか、ってことだな」国語教師がいった言葉に、私は「わかる」と思いました。「この人の愛は、母にだけに捧げられている」と感じたからです。
でも読み終わって私が思ったのは、この母も精一杯娘を愛してきたんじゃないか、ということでした。暗い過去をかかえながら、誰にも言わずに、娘を大事にしてきた。自分の信念を曲げずに、正しい生き方を教える。
それが母の願いを叶えるためだとしても、自分の理想とは異なる娘の言動に失望することがあったとしても、愛していたことにかわりはないんじゃないか。
彼女なりの精一杯で愛していたんじゃないか。

どんなに大事な子どもでも、憎らしく思うことって、この母親じゃなくても絶対あると思います。
そんなふうに育てたつもりはないのに、なんでそんなこと言うんだろう。そんなことするんだろう。私も、母にそう思わせてしまったな、と思い当たることがあります。がっかりした顔をさせてしまって、子供ながらに傷ついた記憶があります。
別にこれはおかしいことじゃない。血の繋がった子どもとはいえ他人なんだし、思い通りにいかないこともある。それを無償の愛で受け入れられないことだって、普通にあるんじゃないでしょうか。

私が今こう思うのは、来年か再来年には子どもを産む可能性があるのに、育てる自信を持ちきれないからかもしれません。
自分の子どもとは言え、全部を受け入れられるかなあ。何があっても守ってあげられるのか。守りたいと思えるのか。うまく育てられなくて、意地悪な子になったり、犯罪者になってしまったらどうしよう。子どもを、突き放したくなることもあるかもしれない。
そういう不安が心の中にあって、そうなってしまった場合の自分を赦すために、この「母」を肯定したくなるのかもしれません。

娘の気持ちは理解しやすかったです。(娘の回想、の語り手である娘です)
彼女は単純で、ただ母から愛されたい、大事な人を守りたい、その一心で動いているように思えたからです。素直な子だなと感じました。
報われてくれ、と応援したくなりました。
アッサリしすぎかもしれないけど、私が娘に感じたのはこんなところです。

終章、は解釈が別れるところなんですかね。
以下ネタバレ注意かもです。(いや、今更でしょうか)

私は、素直に受け取りました。
いろんな葛藤やぶつかり合いはあったけど、今はある程度分かり合えている。大団円とはいかなくても、幸せのひとつのあり方を叶えている。
母から娘への思いはそれぞれあるけど、母から受け取ったものを、それぞれのかたちで消化して、娘に与える。それがずっと続いていくのではないでしょうか。
母性はみんなにあるものじゃなくて、子どもが生まれたら自然と芽生えるものでもなくて、母の信念みたいなものなのかな、と思いました。

読み終わった後、「母の手記」はいつ書かれたものだろう、と不安になりました。
娘はもう自分の中で消化していて、幸せを感じているけど、母はまだ葛藤している。悩んでいる。そうだったらどうしようと思いました。
でも読み返してみたら、娘はまだ意識不明、という記述があったので、今ではなく当時に書いたものなんですよね。
きっと今は母の中でもある程度消化していて、覚悟を決めていて、娘を愛せている。
そう信じます。平穏なんて、思い込みで成り立つものなんだと思います。

追記
映画の予告で、戸田恵梨香が「私が間違っていたのです」と言っているけど、何のことだろう。彼女は、自分が間違ってたなんて思うでしょうか?
手記にそんなセリフ出てきたかなあ。探してみなければ。「娘はこう育つと期待してたのに、そうはならなかった。私が間違っていた」みたいな文脈なのかも。

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