使えないなら捨てちゃえば?

断捨離の極意。
まずは捨ててみたら、新たなものが入ってくるから大丈夫。
その言葉を間に受けて、もう捨ててしまおうかと思っている。あの人との、くるかわからない未来を。

あまりにも大切にされている実感が湧かなくなってきて、一体何の為にわたしはメッセージを待ち、会える日を血眼になって探し、信じたい信じたいんだよと、念仏のように唱えながら「愛してるよ」と過去送られたその文字を繰り返し見返してるのだろうかとわからなくなってきた。

自分にとって本当に必要だったら、手離したっていつか戻ってくる、と半ば自分に言い聞かせる。
頭の中のモヤモヤを取っ払うように無理やりにメッセージ着信の通知を切る。もう見ない。我慢する。送らない。捨ててみる。うーん、捨てるというと言葉が強すぎるので、手放してみる。かしら。育てた稚魚を川へ放流するような。フワッと優しく手を離すイメージ。

しばらくそんな事をしていたら、不思議なことが起きた。
数日中に立て続けに、過去関係のあった人(しかもここ数年〜10年単位で交流の途絶えていた!)から連絡が来たのだ。しかもふたりも。
えええ、捨てると入ってくるって本当かも?!神様、これが断捨離の効果ってヤツですか?

その連絡がわたしの手に入れたいものなのかというと、必ずしもそうではないのだけど、ここはひとつ流れに身を委ねてみることにする。少しだけ、心に余裕が生まれてメッセージの着信マークを気にする回数が減った?かもしれない。

これを断捨離の効用だと断定するには早すぎるけど、結局のところわたしが連絡の有無、内容の濃淡で一喜一憂しているのはつまり、一言で言ってしまえば暇だからなんじゃないか。

自分の時間も、脳みそや心のキャパシティ一定の限りがあって、何にどれだけ割くか。お部屋と一緒。広さは限りがあるのだから、手放せば余白が生まれ、新たなもの(物質なのか空間なのか、それもさまざま)が入ってくる、そういうことなのだろう。
彼からの返信を気にしてるうちには何を思うこともなかった旧知の仲からの連絡も、余白で受け止めれば「何かのサインかも?!」になる、ということ。

あまりにも感情がジェットコースターのように乱高下するのは、それだけのリソースを彼に対する感情に割いてしまっているのだろうし、パワーが有り余っているということに他ならないので、こうして文章として書き起こすことにした、というのがことの次第だ。

【今回の断捨離にて行うこと】

  • 通知をOFFにすることで、物理的に気にかけられないようにする。

  • 余剰な力を何かに発散させてバランスをとる。

こうして少しでも、心の安寧を取り戻し、自分の人生に集中したい。


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