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味噌作りとブランドの関係

嫁が昨日年間恒例の味噌仕込みに行く。味噌は「買うもの」だと思っていたが嫁の影響で味噌は「作るもの」に変わった。嫁の父方の実家の佐渡では昔は塩も自分の家で作っていたという。自給自足。というのはこういうことなのかも知れない。

「今日は乳製品と納豆が食べれない」
へ?なんで? 嫁の体調でも悪いのだろうかと聞くと。そうではなく乳性品や納豆の「菌」が強く、味噌作りに大事な麹菌に勝って品質が悪くなるらしい。

ということは、味噌仕込みの前日からは、乳製品と納豆が食べれないものなのだろうかと聞くと、そのルールは糀屋川口だけらしい。


嫁から聞くところ・・・

デパートの出店依頼。マスコミの取材。
集客したい人、事業を拡張したい人からすれば喉から手が出るようなオファーを一斎断り続けている。

そんなもったいない・・・・と思うかも知れない。

その理由な何だろう?

結論から言えば、デパートやマスコミは糀屋川口のブランドが欲しいだけなのだ。ブランドの力があれが「話題性がある」「売れる」「儲かる」。

売り上げが上がり収益が上がるのはいいことじゃないの事業も拡張するし。と思うかも知れない。実際、僕もそう思っていた。

先日、嫁が近くの鰻屋の老舗し〇〇〇が店頭安売りをしているのを見つけ、鰻丼セットを買ってきた。一切れ1300円。老舗にしては安い。期待して食べてみると、お店で食べるのとは別物だった。
僕は店で食べたことがあるので、お店にいけばもっと美味しい鰻が食べれるということを知ってる。だからこれは少し残念な味だった。やっぱり美味しいものを食べるにはお店に行かないとダメだと思う。しかし、お店で食べたことが無く初めてテークアウトでそれを食べた人はそうは思わないだろう。

「老舗し〇〇〇のうなぎ」というブランド力があれば高嶺の花が手くので盲目的に消費者は買うかも知れない。しかし消費者も「消費のプロ」だ。一度の食事で長い付き合いになるかどうか判断している。

テークアウトはお店からするとおせわになったお客様へのお返しのつもりかも知れないが潜在的な顧客を減らしているとの見方もあるのではないだろうか。

一度ルール(ポリシー)が破られると、その綻びはどんどん広がる。「ちょっとしたこと」だと思って見過ごすとそれが継続すると大きな逆風になり。自分の力では軌道修正ができなくなる。

また、「こだわり」は昔の勘。だから理論的ではないこともある。いや、昔からの良い方法なのでそれを行ったことによる効果が理論的に説明ができなこともあるのかも知れない。いまの時代は・・・・というデジタル的合理主義にその「こだわり」が蹂躙される可能性に立たされている。

ラーメン屋の最初の一店舗目は美味しいが、チェーン店になった途端、味が劣化するのはこの理由だろう。

ブランドの力があれば売れるかも知れないが、消費者のプロを甘く見るような戦略は長続きしない。

品質を保つということは、美味しいものを提供するという意図もあるがもっと大事なことは、人の体にいいものを提供するということだと思う。そのことが生産者の使命だと僕は思う。
200年もの間その家業を継続させたのは、本当に体にいいものを長年提供し続けた証拠であると言えるのではないだろうか。




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