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ペルーで波乗り⑦〜さよならルンルン編(家に帰るまでが遠征です)〜

続き

今日はリマまで帰る日です。昼頃に空港へ向かう為の車がホテルに迎えに来てくれる予定です。

ホテルの朝ごはんを食べ、車が来るまでの間、クスコの街を散策することにしました。

(ホテル前の路地)

(街の様子)

(街のシンボルの噴水と地味に座っている後輩)

(修学旅行?)

お土産屋さんを覗いたりした後、やや入り組んだ所にあったスタバでコーヒーを飲み、ホテルに戻りました。その後、特にトラブルも無く車で空港に到着。

後輩はリマへ帰れるのが嬉しくてしょうがない模様で(早く高所から脱出したい)、リマはシーレボー(sea level)35mと何度も伝えてきます。

空港ではインカの伝説Tシャツを購入。そして、乗りこんだ飛行機は無事にリマへ到着。

(シーレボー35!)

(高所からの脱却を喜ぶ後輩)

ここからタクシーに乗って先輩の家に帰ります。タクシー運転手が沢山話しかけてきますが、リーズナブルと思われる人を選びます。

運転手さんは私達が二度目のリマ来訪であることは知らない為、先輩への家の道すがら、行くべき観光地などの話をしてきます。車に付いていたモニターでアピール動画も流してきます。

運転手さんとは英語で会話をしていたのですが、我々もペルー滞在5日目であり、スペイン語も試しに少し話してみたりしていました。そして、言語の話をする中で、運転手さんがケチュア語について言及しました。

ペルーはインカ帝国時代にスペイン人の侵略を受けて、現在はスペイン語が日常的なコミュニケーションの言語ですが、元々は現地の言葉があり、地方や民族で違いはあるものの、ケチュア語という総称で呼ばれています。

私達はここでハッとして、急いで手元の「旅のしおり」を開きます。

実はこの旅に出る前、後輩はかなり力作の「旅のしおり」を作成しており、旅程や注意事項、持ち物などの他、ペルー文化についても載せているページがありました。ここにケチュア語の挨拶も載せていたのです。

運転手さんにケチュア語の挨拶文をいくつか披露すると、はっはっはと笑いました。

私達は大満足です。

この旅のしおり、最初のページに旅の目標を記載する欄があり、この欄に後輩は「ケチュア語を話す」と書いていたのです。思わぬところで旅の目標が達成できました。

(ちなみに私の目標は「よく寝ること」で、これは既に大大大達成しています。)

達成感とともに、無事に先輩の家に到着しました。

(旅のしおりの目次を一部抜粋)

先輩の家に荷物を置いて、一息ついてから散歩に出かけます。カフェスタンドでコーヒーを買って、マチュピチュ珍道中を共有します。話したいことが色々あってまとまりません。

夜は、先輩の旦那さんもジョインして、また素敵なレストランへ。もうこれが最後のご飯かと思うと悲しみです。
さらば、セビーチェ。さらば、ピスコとチルカーノ。

(先輩ご夫婦、本当にありがとうございました!)

深夜便だったので、先輩宅に帰った後、荷造りをして、先輩に空港に送って頂きました。感謝感謝です。名残惜しすぎますが、ここでお別れです。

リマから9時間弱のフライトを経て、経由地のLAに到着です。

フライト中も基本的に寝たとはいえ、これまでの怒涛の旅で疲労感抜けないままのロサンゼルス。

後輩がクスコの空港で置いてあったコカの葉(持ち帰り自由)をポケットに入れたままだったのでロサンゼルスの麻薬探知犬に嗅ぎ付けられるのではないかとソワソワしていました。
流石にあんな枯れた葉っぱを探知することもないだろうと思いつつ、実際に麻薬探知犬がかなり近くを通ったので、ちょっとしたドキドキし、でもやはり何事もなくトランジットの手続きを終えました。

二人ともなかなか疲労感ある中ではありましたが、トランジットの待ち時間をやり過ごし(私は珍しく後輩に作り話をしたりしながら)、日本へ帰国しました。

日本に帰った時の記憶は無いですが、、、二人して、無事に帰れた喜びを分かち合い、また別々の道(私は東京、後輩は北陸)へ帰ることに寂しさを感じつつ、「また会うまでしっかり生きていてね」といつもの挨拶を交わして別れた、と思います。

これにて、「ペルーで波乗り」シリーズもようやく終わりです。
リマでのサーフィンデビュー以降、まだサーフィンは出来ていないのですが、後輩とはウェイクボードにチャレンジしたいと会話をしたので、また達成後に波乗り体験レポートをしたいと思います。

それではまた。