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ただよいながら

カウンセリングの帰り道。
酒場が店を開ける時間帯。帰宅ラッシュともいう。
電車を待つあいだ、軽く呑みたい氣分。
移動中の地下鉄で店を検索し、ナニログで目についた駅直結のビルにあるおでんと酒の店を目指すことにした。


うろうろしながら
「あ、ここだ」とちらりと覗いてみる。
通路に面した広い窓からは店のなかがよく見えた。
Uの字のカウンター席を埋め尽くす、常連臭ただよう40代以上と思しきスーツの男たち。
ガハハな空氣に氣圧されて、ぎこちなく通り過ぎる。「うーん」と口に出しながら階段を降り、何度か足を運んだことのある客のいない焼き鳥屋のカウンター席に落ち着いた。


はじめての場所に行くとき大抵、二の足を踏む。「いつもの」安心感を求めてそちらに流れやすい。
だけどよくよく考えてみると、この焼き鳥屋だって「初めて」の瞬間があったのだ。
そのときもやはり「いつものイタリアン」に行こうと歩いていたのだけど、
「いや、きょうは冒険しよう」となぜか思い立ち、この焼き鳥屋に入ってみたのだった。


その日は年末の大賑わいでテーブル席は満席だったものの、カウンター席には一人客ばかり。
各々静かに呑んでおられるのがよかった。
が、席につくなりカウンターの隣の席に座っていたお爺ちゃんから早速絡まれたことを、今しがた思い出した。絡まれるまま話していると、あとから来た別の客が空いていた爺ちゃんの向こう側の席に座り、やはり爺ちゃんに絡まれ始めた。
爺ちゃんは夕方5時前からこの界隈で呑んでいるらしく、ここが二軒目だという。
「ジジイは疲れた」
「一軒目の立ち飲みはジジイには堪えた」などと、こちらが訊いてもいないことを一方的に話してきた。酔っ払いとは総じてそういうものである。わたしが最初に頼んだナマモノ(鳥刺し)を食すまでの間に、爺ちゃんはふらふらと立ち上がった。
「ジジイ、もう帰るわ」
一人称が「ジジイ」のまま、爺ちゃんは会計した。「よいお年を」と言うか迷って、言わなかった。代わりにおぼつかない足取りのその人を視線だけで見送った。その様子に氣づいた、爺ちゃんの席の向こう隣の人から、
「えっ??一緒じゃなかったんですか?」
と声をかけられた。

「いやいや、初対面です」
「えぇwめっちゃふつうに話してたから祖父と孫や思ってました」
「ついさっきここで会って10分ぐらいの人ですよ」
「マジでwww」


どちらも他界しているので祖父と酒を呑んだことはないけれど、祖父と呑んだらあんな感じなんだろうか、いやうちの祖父はどちらも寡黙そうだなぁ、などと妄想が膨らんだ。


そんなこの店での「初めて」のときを思い出しながら、ほわほわと「おでん、食べたかったなぁ」と思う。

心、砂肝、ねぎま。
おいしい。
おいしいよ?

でも、店を調べたときにはもうおでんの口になってしまってたんよね。
なんならそこのメニュー見て、
「あ、これも食べたい」とかなってたわけで。
「ラーメンの口」じゃないときにラーメンを食べても何かが違うように、
今わたしが食べたいポテサラもおでんも、
揚げ出し茄子もこの店にはない。
目当ての店ではないからあたりまえなんやけど、
それにしても、唐揚げ、揚げ餃子、唐揚げ丼という、わんぱくすぎるメニューが並んでいる。
居酒屋によくある「とりあえず一品」的なものはない。サラダの類、枝豆、浅漬けも見当たらない。ナマモノは鳥刺しのみ。
ついで焼き物か揚げ物。
あと、にゅうめん。
……にゅうめん?
なんというか、今のわたしにとっては
絶妙に「ちがうねん」なところを突いてくる。
そんなやからぼちぼちええ時間やのにお客さん、わたしだけなんかなぁ、とよからぬことを思う。
初めて行ったときにはあった「おひとり様セット」みたいなメニューもなくなっている。
とはいえ、「ないもの」を言っても仕方ない。
きょうはお店を開拓する勇氣が出なかった。
それだけのこと。ないものはない。
出ないものは出ない。仕方あるまい。


きょうのところはこれにて、
と思いながら会計を済ませて店を出た。
駅構内の氣に入りのパン屋で
カレーパンをひとつ、買って帰った。

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