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生産性が悪いからこその価値について考えてみる

デジタルファブリーケーションツールを使ったモノづくりは、昔はごく一部の企業内で行われていましたが、今は一般化、大衆化が進み、誰もが簡単に創作活動に取り組むことができるようになってきました。

デジタルモノづくりはこれまで高度な技能が必要だったり、時間がかかっていたりした大変な作業について、装置が大部分を担ってくれます。しかし最初から最後までを装置がやってくれるわけではありません。人間がやらなければならない部分が必ず残ります。例えばモデリングツールによる3Dデータの作成や造形完成品の手仕上げや塗装などがあります。

この「人間がやらなければならない仕事」というのは、ネガティブに捉えられることもありますが、必ずしもそうではありません。自動化・効率化が進むモノづくりの分野で、この分野にこそ人間にしかできない要素が残されているからです。

例えば、この人の手作業で仕上げたものが欲しい、この人の考えで設計されたものが欲しい、この人の考え方や話を聞いてみたいなど。

えっ?そんなこと?と思う方もおられるかと思います。これらはできあがったモノとは直接関係がないので当然です。しかし個人製作のマーケットでは、モノを単純な製品としてだけでなく、その背後にあるストーリーや、その人の考え方に賛同した上で買いたい!というケースも最近は増えてきています。

これは既存の大量生産された工業製品とは一線を画しています。その製作品が単なる機能性だけでなく、個人のクリエイターがモノに込めた表現も含め価値としてとらえられるということで、単純な自動化、効率化、コスト削減からは出てこない方向性です。

個人の製品には、工場で作られる工業製品のような高い信頼性やコスト競争力はありませんが、それでもそのモノが魅力的に見えるのは、そのモノに込められたストーリーや表現が心に響くからなのかもしれません。

おそらく、さらに効率化が進んだときに人間にどんな仕事が残るのかというと、理屈では説明できない、エモーショナルで非効率な領域です。マニュアルやデータに置き換えができず、生産性が悪い領域。企業もマネしないし、そもそもその人について回るので誰にもマネができない。だからこのようなストーリーを持った個人のスモールビジネスは細く長く続けられるのだと思います。

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