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一滴のしずくが大きなうねりになる

年末に「第九」を聴きに行ってきた。ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」、歓びの歌のフレーズは誰もが口ずさめる、年末の定番曲だ。1年の締めくくりにクラシックのコンサートに足を運ぶのは夫と私の間で毎年恒例になりつつあり、今回が3回目となる。

場所は六本木一丁目のサントリーホール。舞台を360度ぐるりと客席が囲むまあるいホールで、舞台と客席との一体感、響きの美しさ、エントランスロビーの荘厳な雰囲気、どれをとっても日本一だと思う。

演奏はもう素晴らしくて素晴らしくてブラボー&拍手喝采の嵐だったのだけど、私は演奏中になぜこんなに「第九」は感動的なのだろう?ということを考えていた。ここまで高揚感を奮い立たせる交響曲って案外そこまで多くない。高校生の時に部活でオーケストラを始めてから数々の交響曲を聴いたり演奏してきたけれど、やはり「第九」は別格、という印象だ。

それで、私が考えたのは、小さなモチーフ、かすかに聴こえたかなと思うぐらいのメロディーが大きなうねりになって、とんでもない迫力を持った音楽になる過程が感動を呼ぶのではないか?ということ。木管楽器や弦楽器で静かに奏でられた歓喜のモチーフが、徐々にいろんな楽器を巻き込んで大きな音楽になって、最終的には合唱も入って盛り上がりのピークになる。第九を聴くと人間ってすごいな、と思うよ。人の可能性をこれでもかと引き出して圧倒の渦に巻き込むものすごい曲。

でも、最初から大盛り上がりでは多分そこまで感動を呼ばないのではないだろうか。小さなもの、例えば一滴のしずくのようなものがどんどん成長していって大きなうねりとなり川や海をなしていく様が人の心を動かす。

こういった感動は最近他のことでも味わったような…と色々と思い返してみたらYouTuberだった。YouTuberにも「第九」に似たような感動がある。ごく普通の一般人が動画を上げ続けていたら人気者になって億万長者に、みたいなストーリーに感動があるし、ファンはその過程を共有して更にファンになっていく。HIKAKINさんがガールズコレクションのランウェイを大歓声を浴びながら闊歩している動画には心が震える瞬間があった。それは私がHIKAKINさんの初期の動画を見たり、コツコツと改良を重ねて人気者になっていく様子、スーパーマーケットの店員からトップYouTuberに、というストーリーを知っているからだ。

「第九」が約200年間愛され演奏され続けてきたように、今のYouTuberだって永遠にYouTubeに動画がアーカイブされ続けて200年後も再生されてる、なんてことがあるのかな。夢があるなぁ。

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