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オトコ同士の愛は不器用なんだ。

「破天荒」という言葉が似合う男。幸せな男だな〜と思う。それが私の父親です。酒、タバコ、飲み屋通い。手持ちのお金は全て使い果たしてからタクシーに乗り込み帰宅する。そして起こされた誰かが、タクシー代を払う、、、、、、。

私が小学生の頃に父と母は離婚しました。

ですが、数年経ってからある日部活が終わり家に帰ると一回り以上も年のはなれた若くてキレイな女性が自宅にいて、あの人はだれかと父親に尋ねると新しいお母さんだという。

すげえな。

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野球には絶対に手を抜かない人でした。新築の家に住みはじめたその日、新品の畳間の匂いが私は大好きで、今日から毎日ここで家族全員川の字になって寝るんだ。と思うと嬉しくて仕方ありませんでした。そんな希望を平気で、しかも一撃で打ち砕けるのが破天荒だと言われる所以です。

ー 太いマジックペン持って来て〜!

って言うからきっちり種類別に部屋わけされた3段ボックスの1番上の棚からマジックペンを取り出し畳間のど真ん中にドヤ顔で立つ父に渡しました。

父親は片手に野球のルールブックなるものを持っていて、父がクイズを出してきたんです。

ー ホームベースの幅は何センチか分かるか?

ー  50センチ!!

ー  違う。正解は38.1センチでした〜。

ー   へえ〜。

意外と小さいなと思いました。しかし、そんなことは全くどうでもよくなることが起こります。

父親が野球のルールブックを見ながら、しっかりサイズを測り、キレイなホームベースを描きあげたのです。

新品の畳間に、、、、、

私は左打ち、兄は右打ちだったので、バッターボックスも例に習って描きあげてくれました。

新品の畳間に、、、、、、。

いや。私が望んでいたのは、家族全員で川の字になって眠る寝室としての役割を全うする畳間であって、打席としての空間を求めていたわけじゃないぞ。

しかも!!!!!

立派な庭があるのに!

わざわざなぜ畳間なんだ!!!

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畳間に障子(しょうじ)があったんです。父親にはあれがストラックアウトに見えたんですかね?めちゃくちゃ酔っ払って帰ってきた日に、私のコントロールが悪いからという理由で、夜中に叩き起こされ、朝までストラックアウト大会をさせられました。今風に言うと、

障子全部に穴をあけるまで眠れまテン!!!!

みたいな感じです。やりきった自分を褒めてやりたいですね。

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翌朝。翌朝という感覚が全くありませんが、まあとりあえず翌朝です。こんなことがなかったら本当に最高の平日で、珍しく学校もウキウキでいけるだろうなぁと思うほどすごく天気が良くて。

ー   釣り行こう?

ー  はぁ?俺学校あるんですけど。

ー  大丈夫!

ー んぁあああああ?!

ー  学校には風邪って言っとく。もう風邪引くなよ。

ー 、、、、、、、、、、、、。

もうあれですね。この人はいっちゃってる。表現方法が思いつきません。いっちゃってます。

言われるがまま、釣りに行きました。それがまたよく釣れるわけです。

昔からよくあるのですが、父親が今日は釣れそうだと言うとよく釣れます。そういうところもあるんですよね。父には。

学校より釣れる日が大事なんでしょうね。ただ、翌日少し体調悪そうなフリをしなきゃいけない俺の身にもなってくれよ。好きな体育もあるのに。

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離婚後、夕飯はほぼ毎日父親が通っている居酒屋から持ち帰ってきたご飯でした。ムール貝のウニ焼き、とんかつ、豆腐チャンプルー、雑炊。などが私の好きなメニューでした。

だから、家族でご飯を食べた記憶がとても薄いです。兄弟で食べた記憶はしっかり残っていますが。

家を新築で3000万ほどかけて建ててたそうで、当時から家計が火の車だと言うことは知っていました。しかし、どこからこんな飲みに出かけるお金が出てくるんだと子供ながらに不思議に思ったのを覚えています。ただ、どんな時も食べ物だけは絶対に用意してくれました。しかも兄弟全員がたらふくになるほどの量を。

これには理由があって、

私のおばあちゃんやおじいちゃんは戦争経験者で、食べ物に困った経験があるので、子供には絶対にそういう思いをさせないように。と父親を育ててきた。

と話してくれたのを覚えています。

父も同じように僕らのお腹がすかないように気遣ってくれたんでしょう。そういうところもあるんですよ。父は。

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私の父親は4人兄弟の長男です。父親がこんな感じなので、他3人は仕事もばりばりですし、まともな(なにがまともか私にはあまりわかりませんが、想像する一般的なという意味)家庭もあって幸せそうに暮らしています。

おじいちゃんが亡くなった日。火葬をするときに始めて父親が泣き崩れる姿を見ました。まさか膝までついて泣くとは思いませんでした。それこそ泣き「崩れる」という表現がぴったりで。

なぜそれが意外だったかというと、よく祖父母と父親が喧嘩してる姿を見てたからです。特に、年末年始はひどかったです。親戚一同祖父母の家に集まり、お酒を飲みながら大晦日を過ごすんですが、21時頃から父親の雲行きが怪しくなるんです。まず、格闘技を見せろと言い始めます。

おじいちゃんとおばあちゃんは紅白が好きなのと、年末年始は祖父母の為の感謝祭の意味合いもあったので、絶対におじいちゃんとおばあちゃんの観たい番組を見ることになっていたんです。

ですが、そんな優しさに溢れた暗黙の了解をぶち壊していくのが父です。それから全体の空気が悪くなり、「あんたをこんな子にするつもりに育てた覚えはない!」と喧嘩が始まるわけです。

毎年わざわざテレビで観なくても生でみれました。さすがに殴り合いはないですが。

そんな父親がまさかおじいちゃんが亡くなった日に泣き崩れるのがその当時は分かりませんでした。本当に仲が悪いと思っていたからです。

どんなに息子の出来が悪くて、喧嘩をしたとしても男同士の愛し合い方は、周りから見るとすごく不器用で、覚悟がいるもんなんだなと思いました。


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そんな父親に育てられた私は、父親の事が嫌いですし、好きでもあります。よく兄と話してたのは、

「父親の反対側を行けば、それが一般的な正解」

本当にそんな感じでしたし、哀しいかな、実際そうでした。

ただ、例外があって。父はアウトドアがすごく好きで、釣りやキャンプによく連れて行ってくれました。そこでは魚の捕り方から捌いて調理するまでや、火の起こし方、テントの張り方、災害時の対応方法などをたくさん教えてくれました。

多分この人、無人島で1人なっても元気に生きていそうだなと思ったほど、そういう知識には長けていました。そいうとこもあるんですよ。たまには。

ー俺みたいにはなるなよ

これが父親の口グセでした。

なれるわけないだろ!!!

これが僕の本音です。

なりたくてもなれません。

なりたくてもなれない、、、、、。

正直な事を言えばそれが父親のことが嫌いな唯一の理由です。あいつのようにはなりたくても絶対になれない。

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俺みたいにはなるなよ。これが本当に意味するのを知ったのは実は最近で、香川から帰省した後、父と兄と3人で飲みに出かけた時です。

僕にはもう家族があります。家の様子も少しだけ報告しておきたいなと思ってました。

その日も同じように、

ー おれみたいにはなるなよ

ー お父さんって自分のようになって欲しいと思うもんじゃないの?

ー こんなになりたいと思うか?

ー  思わん。し、なれん。土俵が違いすぎる。

ー  苦労するぞ。

要するに反面教師にされてもいいから子供たちには苦労して欲しくない。

ー 俺みたいにはなるなよ。家族が出来たら。

本当に言いたいのは僕らに家族が出来た時に、今の俺みたいにはなるなよ。という意味だったんですね。多分。

不器用すぎて本当に言いたい事が全くもって伝わってこないんですが。

なんにせよ。

守ってくれたのだけは肌感覚で覚えています。

いじめられた時も、野球で挫折した時も、事故に巻き込まれて、悪くないのにお金取られそうになった時も、絶対に守ってくれました。

今では兄と2人体制で父親をどうしようもないポンコツ呼ばわりしながらも、幸せそうに呑んでいます。

少しカタチが違う愛を受けてきましたが、それでも感謝してるし、敬意もあるんですね。

時間が経てば経つほどあの頃の不純さが、僕の感情の栄養となって、父への感謝を大きくしています。あなたの息子で良かったと。

ー 親父と同じような子育てをするよ。

そう伝えた後に見た涙が、僕の前で見せた2回目の涙でした。

ー 家は建てないのか?

多分早く落ち着いて、どっしり構えなさいという意味だと思う。

ー  お前が落書きしにくるのが怖いから家は建て    てん。

ーじゃあ球場建てればいいだろ。

やっぱり無理だ。いっちゃてる。






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