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【1】なぜうちの子が不登校に⁇ #011 優等生だった‥のに

『やればできる子』

娘は小さい頃からしっかりしていた。

生後1週間でカメラ目線で写真に写り。生後1ヶ月で私が「あいうえお」を言うと、それを見て「あいうえお」を口真似した。(これは後にミラーニューロンだったと吉濱ツトムさんから教えて頂いた。)生後8ヶ月で単語を喋り(初めて喋った言葉は”アンタン”=アンパンマンのこと♡)。生後9ヶ月で歩いた。生後11ヶ月で走り、二言文を喋った。(初めての二言文は”しろ、いない”=”しろ”はお気に入りのぬいぐるみ♡) 超親ばか(^_^;)

何をやるにも早かった。

絵も、字も上手でよく入選していた。音楽にも長けていて、絶対音感があり(私にはわからない)、ピアノ、クラリネットもこなせる。少しだが声楽も習っていた。最近では料理の才能もあることがわかった。(お料理教室の先生談) 多才な子。 ‥‥そんな娘の母親である私は‥‥絵も、字も下手。音符も読めない。音程もわからない。料理は結婚してから主人に教えてもらった。(笑笑) なぜ、私から産まれてきたのだろうか?と思うくらい、真逆の親子‥‥(・・;)

私ができないものを楽々と、上手にこなす娘。特技が全くない私は、そんな娘をほんと、素晴らしいと思った。だから、小さい頃から娘をよく褒めていた。

娘は勝気に育っていった。二歳頃から私が選んだ洋服は着なかった‥。スーパーでは自分がカートを押し「お母さん、私の後について来てね。」と、いつも、私の前を歩いていた。どちらかといえば、生意気な感じ。クラスでも常に中心にいたい(-_-;) 同じクラスにいたら私とは”世界”が違うタイプ。 何も取り柄がない人間と思って生きてきた私は、学生時代からのクセ?で「はい、はい」と従っていた(-_-;)。今、思うと親としての根源がない。小さい頃から、私が親として、きちっと軸を置いていたらもっと、娘は生きやすかったのかな?優柔不断でブレブレの親だった為に、より娘を苦しめたのかなと思った。

スピリチュアル的には”魂レベル”が違いすぎたってことですかね?(笑)これもお互いの学びだったのかな?私を成長させる為に来てくれた、と今は真剣に思う。ありがとう。

何でもできて、褒められ、自信満々で小学生まで過ごしてきた娘は、土地の悪い中学へ行き、やることがやれなくなる自分にとまどい、苦しみ、自己肯定感をどんどん下げていった。

それを見ているのはとても辛かった。




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