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春のさよなら 第二話(短編小説)(完結)

「変わらないな…」
帰ってきた日の翌日、家には居づらく、あてもなく、外に出た。
行くところは特になかった。
だから、昔よく悩むと来ていた、近所の堤防に足を運んでいた。
見える景色はあの頃と同じで、遠くの沖で漁をしている船が見える。
風は幾分か塩気を含み、目を開き続けることを防いでくる。
僕は心が折れてしまった。
いや、そう自分で思い込んで、逃げただけなのかもしれない。
楽な方に、行きたかっただけなのかもしれない。
何であれ、全てを捨ててきてしまった。
あこがれも、希望も、夢も、お金も。
何も考えたくなくて、何かを考えてしまうそうで、怖くなってしまった。
こんな僕を、誰が救ってくれようか。
「あっ、昨日の!」
後ろから声が聞こえた。
昨日の、と言われた時点で察した。
あの女性だ。
振り返れば、やはり、その女性が立っていた。
よく映画や漫画なんかで見る、白いワンピースに麦わら帽子という、ありふれた格好でこちらを指さしていた。
「昨日は、どうも。あ、お金…」
「いいよ、あれくらい…それより、そっち、行ってもいい?」
「いいですけど、あがれます?」
その恰好でこの堤防を登るのは、いささか厳しいものがあると思った。
僕ですら、少し力を入れないと登り切れない堤防だ。
踏ん張りがききそうもない格好で、はたしていけるのだろうか。
「うーん、梯子とか…」
「ない、ですね…」
「そうよね…あ、引っ張ってくれない?」
「いいですけどっ!?」
返事をするより前に、その人の行動に目をそらした。
思いっきりワンピースをめくって、腰のあたりで何かひものようなもので固定している。
「あ、あの、み、見えますから、あの…」
「あぁ、大丈夫、中にズボン履いてるから。」
「だからといって…」
「ほら、手貸して!」
いつの間にか準備ができていたのか、女性が服の端を引っ張ってきた。
見れば、ワンピースは完全に白のシャツのように上半身で固定され、下は短パンのようなものになっていた。
「はぁ、いきますよ…せーのっ!」
タイミングを合わせ、女性を引き上げる。
元々力はある方なのだろう、少し手を貸しただけで堤防まで登り上げた。
「ふぅ、ありがとう。」
「いえ…」
堤防に二人で腰を下ろすと、また海の方を眺めた。
特に話題という話題はない、というよりは、お互い話したくはない、そんな空気さえ、少し感じた。
「ねぇ、ここで何してたの?」
「特に、何も…」
「そう…」
田舎だからだろう、特に車通りもなく、ただただ波がテトラポットに当たる音だけが、耳に響く。
当たっては引き、当たっては引き、たまにしぶきが少しだけ、足に当たる。
そんな時間を、お互いに、ただ何となく、過ごしていた。


「ごちそうさまでした。」
「お風呂、沸いてるわよ。」
「ん、入る。」
母の態度は最初とさして変わらない。
何だかんだ、心配してはくれているのだろう、特に聞いてはこないし、かといって責め立てるわけでもない。
それが良いと思うこともあるし、少し、せめてもほしかったと、そう思う自分もいる。
父は遅いのか、帰ってきてから顔を合わせてはいない。
元々仕事人間な父に期待などしていないが、何か言われると思っていたが、何もないことに少しだけ、がっかりした。
風呂に入り、昼間のことを思い出す。
あの後、夕方ごろに女性は帰った。
数時間、あそこでぼーっとしていただけだった。
会話もなければ、何か変わったことがあるわけではない。
むしろ、お互いにお互いがいることを、忘れていた。
「何だったんだろうな、あの人…」
顔を湯船のお湯でリセットすると、風呂から上がった。
着替え終わって脱衣所から出ようとしたとき、玄関先がざわついているのに気づいた。
「あっ…」
母がばつの悪そうな顔つきになった。
何かと母の奥を見れば、そこにいたのは警察だった。
「署まで、ご同行願えますか?」


「この女性とは、何もトラブルなどはなかったと?」
「えぇ、昨日助けてもらったのと、昼間、一緒に海を眺めていただけで…」
「そうですか…住所や名前など、何かお聞きになりましたか?」
「いえ、全く…」
「そうですか…少々お待ちください。」
警官はそれだけ聞き取ると、部屋を後にした。
いわゆる尋問室、なのだろうか、田舎の警察署の一室に、生まれて初めてパトカーで連れてこられた。
理由は、身元不明の女性の死体が発見されたからだ。
それが、例の彼女だった。
島でも有名な崖、といっても、自殺の名所でも何でもない、ただの崖から、飛び降りたらしい。
溺死、というよりは、落ちるときに岩にぶつかり、出血多量で海に落ちたから、という何とも後味の悪い、痛そうな死に方らしいが。
それで、聞き取りの結果、唯一僕と彼女が一緒にいるところをたまたま誰かに見られていたらしく、事情聴取を受けている、というありさまだ。
誰も名前を知らない。
それどころか、この船に渡るために使った名前なども偽名らしかった。
だから珍しく、こんな田舎でも騒ぎになっている。
一体彼女は何だったのだろうか。
今思えば、あの時の笑顔は、もうこのことを想定していたからだったのだろうか。


結局、あの晩は何事もなく、わからずじまいということで、家に帰らされた。
そして、数日経った今も、何も進展はない。
僕は、再び堤防で海を眺めている。
あの日、何も言わなかった彼女を、救えたのだろうか。
いや、おそらく逆の立場だったとしても、何も変わらなかったのだろう。
「最低な置き土産、ですね…」
あの日のペットボトルを見つめる。
ゴミ箱に捨てたはずのそれは、この堤防にあった。
中にはおそらく彼女が書いたであろう手紙のようなそれが入っていた。
手紙には、ただ一言、ごめんねとだけ、書かれていた。
きっと、誰かの記憶に、最後に残りたかったのだろうか。
だから、別れ際、あんなに笑顔だったのだろうか。
綺麗な自分を、僕の中に残したかったのだろうか。
何もわからない。
名前すらも知らない。
そんなあなたに、囚われた僕を、あなたは笑っているのだろうか。
「こんなの、死んでも死にきれないじゃないですか…」

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