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春のさよなら 第一話(短編小説)

とある4月のあの日、君は、笑っていた


「ねぇ、何してるの?」
聞きなれない声が聞こえる。
新生活だから、きっと新しい人だろう。
そう考え、顔を上げる。
「…、ちょっと、気持ち悪くて…」
日差しで視界が遮られ、その人の顔は良く見えなかった。
「大変!ちょっと待ってて、お水買ってくる!」
「あっ、えと…」
僕の返答を待つより先に、その人は何処かへと走っていった。
後ろ姿を見送り、ひとまず、座りたいと思い、辺りをゆっくりと見渡す。
頭はぐるぐると、考えこみすぎたように働かない。
熱を持ち、思考はよく分からないところに飛んでいっている。
視界の端に、木の陰に入ったベンチを見つけ、膝を伸ばし、強引に立ち上がる。
フラフラとした足取りで、ベンチまでやっとの思いで辿り着き、腰を下ろすのではなく、そのまま横になった。
「生きるのに、向いてないな…」
ぼそりと、独り言のようにつぶやく。
少し汗ばんだ首元を、春先の風が軽くなぞる。
くすぐったいような、それでいて救われるような、そんな風だ。
「お待たせ、大丈夫?」
先ほどの人がお水を持って現れた。
足音に気付かないほど、僕は疲弊していた。
「ありがとう、ございます。」
水を受け取り、少しだけ、口に含む。
キンキンに冷えた水が食道に流れ込む感覚が、嫌に感じ、吐き出したくなったが、こらえて飲み込んだ。
「うん、無理しないようにね。あ、何処かに連絡とかする?」
その人はおそらく僕の格好を見て、そう発した。
「大丈夫です…その、仕事、やめてきたんで…」
気まずそうに、無理に笑顔を作って、その人に向けた。
その時に初めて顔を見たが、この辺りでは見たことのない、可愛らしい女性であった。
女性なのか、女の子、と表現するのが正しいのか、その辺りは少し疑問を抱えるくらい、若そうに見えた。
「なるほど…」
女性は理解したのかしていないのか、よくわからない態度で、頷くと、何事もなかったかのように、僕の頭の方に腰を下ろした。
居座るつもりなのか。
少し、面倒だな。
「で、おうちは近いの?」
「まぁ、そこまで遠くはないです。なので、落ち着いたら、戻ります。ご迷惑をお掛けしてすみません…お金は返します…」
少し体を起こして財布を取り出そうとしたところを、強引に押さえつけられ、寝かされた。
しかも、体勢が悪かったのか、膝枕のような形で頭を降ろしてしまった。
「お金はいいよ。とりあえず、もう少し休みなよ。それから考えよ。」
先ほどまでは心配しているような声色だったその人は、一転、冷静で、無感情のような声色で、僕にそういった。
顔を見上げれば、何処か遠くの方を眺めて、こちらのことは、さして気にもとめていない様子だった。
何となく、同じなんだと、その時思った。


「あんた、仕事は?」
「…、やめてきた。」
「どうするの、この先。」
「考える。」
久しぶりの実家。
居心地はかなり悪い。
それもそうか。
勢い勇んでここを出て、経った一年足らずでこの様だ。
大人になったと思っていたのは、ただの妄想だった。
一年ほど前には自分の部屋だったこの場所も、既に半分以上が物置として使われ、換気や掃除も疎かになっているのか、少し埃っぽく感じた。
窓を開ければ、先ほど感じた風をまた肌に受けるが、先ほどよりも酷く苦しく、酸素を運んでいないようだった。
「とにかく、しばらくいるなら、買い出しくらい行ってきなさい。あなたの分、ないんだから…」
母は少し苛立った様子で下に降りていった。
この年にもなって働いていない子供なんて、体裁が悪いのは分かりきっている。
どうにかしなければと焦る自分と、どうにもならないと諦める自分、まるで天使と悪魔が語り掛けるように、頭の中を巡っている。
「ほら、メモと財布。」
母から雑に渡されたそれを手に取る。
メモを見れば、僕の好きなメニューの材料がいくつか書かれている。
こんな僕でも、心配してくれるのか。
思わず涙をこぼしそうになるが、それは体のどこから出てくるものだったのか、今の体は理解しなくなっていた。
「行ってくる。」
何も持たず、全てを置いてきた僕に、選択肢はない。
窓を少しだけあけたまま、階段を降り、近所のスーパーへと向かった。

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