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1st 挑戦の1年

はじめに

 みなさんこんにちは!田島壮太(たじま そうた)です。
 個人的には1年ぶりの投稿で、いや~またnoteを書くことになるとは思ってもみませんでした(笑)。 昨年は半年と続かず辞めてしまったので、今回はきっちり1年間, 週1回まじめなテーマからふざけた話まで、色々と投稿していきたいと思います。

今何してるの?

 僕はこの10月から、認定NPO法人e-Educationでインターンをしています。
めちゃくちゃ簡単に説明すると、途上国の教育課題に着目し、バングラデッシュ、ネパール、ミャンマー(日本も含む)の学生達に映像授業(教材)を、現地法人や日系企業と連携して提供している団体です。授業を提供する他にも、現地の人を英語講師として雇い、新たな雇用機会の創出も行っています。
(もっと複雑な構造や事業形態ですが, 大雑把に説明するとこんな感じ)

 この中で僕はフィリピンの事業に関わっています。この事業では、現地の方を英会話チューターとして雇い、日本の高校生に英会話授業として提供しています。僕の役割としては、サービス向上のためチューター達のトレーニング、新規の現地チューターを雇うための施策、新人研修の内容作成、新規事業作成など・・・があります。

なんでインターンに応募したの?

 初めて読む方はぼくのプロフィールを見ると、なぜ応募したのか疑問に思うはずです。(知り合いはすでに僕の奇行については承知済みです笑)
なぜ今までロボットの事を考え研究していた人間が、全く関連のない
教育・国際協力といった分野に応募したのでしょうか?
大きく3つの理由があります。

①途上国の現場で働いてみたいから
②教育の機会を作りたかったから
③日本の技術を途上国で活用することに興味があったから

以上の理由とそれに至るまでの過程があるのですがそれを語ると長くなりそうなので、今後小出していきます。

 ここで自分が知って欲しい事は、元々自分は少し海外に興味のあるただの意識低い受け身学生でした。(自分を持たず, 周りの意見で動いている様から僕は流し素麺学生と呼んでいます。)
 大学4年生までは、実家も愛知県だし、2年近く付き合ってる愛知県に住む彼女もいるし(当時遠距離中)、安定だから・・・という全く自分の無いような理由で某大手自動車メーカー系に入社することばかり考えていました。

 しかし、学生の恋愛なんて線香花火で案の上別れました。
(この世に絶対はないんやと当たり前の事を数日間考えてました)
そこから今まで志望していた某大手自動車メーカ系へ行く理由がほぼ0になり、今まで自分は人のため、大多数がそう言うから、という基準で判断してきたことに気づきました。
ここで人生で初めて自分と正々堂々と向き合い、本当は何がしたいんだ?なんのために生きるんだ?と考えました。
(当時は修士でその段階?と自分自身にあきれました・・・)
 そこから、自分の興味が赴くまま色んな活動やコミュニティ、団体のプログラムに参加しました。

石川県の農村部の子供達に勉強会を行ったり、途上国の起業家と共同してビジネス課題に取り組んだり、大学の国際協力系の講義に参加したり・・・
一つ一つは派手なものではないですが、確実に自分の人生を歩んでいる実感がありました。
そしてなんやかんやを経て現状に至ります。

今回伝えたいこと

 いままで自分が知らなかった世界に脚を踏み入れると、本当に自分の無力さを痛感します。正直毎回不安だし、話せる経験もスキルも全く無い。
今回のインターンに関して言えば、自分は他の候補者と比べて英語力・現地労働経験が不足していました。(面接官の方にも言われました笑)
しかし、「成長」という部分に期待して採用して貰いました。
 僕は、今は未熟でも、自分なら絶対にその差を埋められると信じています。
ただ、これは挑戦をしたからこそ得られた自身だと思います。
自分は何歳になっても挑戦していたいし、未来の子供達に自分のやりたいことで生きて行ける!ってことを伝えられるおっさんになりたいです。

最後に

ちゃんと構成考えずに書き始めたら、書きたいこと多すぎてめっちゃ省略しました。(これでも削ったほうです) 

今回は初回?投稿なので決意的なことを書きましたが、次回からはインターン中に感じたこと、フィリピン人独特の考え方、新居、つれづれ・・・を発信していきたいと思います。 


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