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利他ってなに?

かなり時間が空きました. 毎月一応何を書こうか考えてはいたものの, 書いては消し,書いては消しなどを繰り返していたら, 時間の経つのは早いもので…
(言い訳×100 times)
今回は、なんとはなしにネットで見つけた「利他とは何か?」という書籍。読んで, 今まで自分の思っていた「利他的な行為」への考え方が変わったので自己整理も含めて紹介します!
(今回紹介するのは1/10程度です。他にも民芸や小説の観点から「利他」を分析していたので興味がある人は是非手にとって読んでみて下さい)

この本の前半部(といっても1/10程度)では,
①効率的利他主義
②合理的利他主義
という2つの観点から利他について著者の考えを述べています。

①効率的利他主義

最大多数の幸福を目的に, 利他的な行為をするという考え方です。
これは結構論理的っちゃあ論理的な考え方です。
例えば, 途上国の貧困にあえぐ子供達を救うため, NPO/NGOに所属するよりも, 起業して時価総額の大きな会社に育て上げ売却してその多額のお金を寄付する。この方が自分の与える影響力は大きいし,その分救える人も増えるよねという考え方。
(個人的にはこれは全く再現性もなく根本解決になっていないと思うが)
または,犬一匹の保護に100万円使うより,栄養失調で苦しむアフリカの子供達100人に1万円分の食料を届けるべきだ, というような思考です。

数値化で失われる利他の心

この書籍では、現代は様々なもの/ことを「計りすぎ」だと言っています。
そして計る→数値化することにより,利他的な心が失われるとあります。
例えば, 「シェアハウスで1週間最低2回は掃除すること 」と決めた場合は,2回掃除したらもうしなくていいや. まだやってない人がやるべきでしょ。という考えになりがちです。一方, 「気づいた人が率先して掃除すること」と決めた場合では,ちょっと汚くなってきたから掃除しよう!あいつ今週忙しそうだから,その分多めにやってあげるか. など,口論などに発展する可能性を含みながらも少なくとも相手の気持ちにベクトルが向いているはずです。
一方数値化にすることで効率は大幅に向上し, 数字上の不平等感はなくなります。ただこの一見便利な数値化思考が加速していくと非常に弱者に冷たい社会になる気がします。

数値化することにより利己の得失を考慮した, "数字上等価”な交換が可能になり, それを超えた価値の提供は自分の"損失"と考えてしまいます。
身近で想像できる利他的な行動。例えば,道のゴミを拾う, 友達の忘れ物を届けてあげる, 母親の家事を手伝うといった数値化できず, 直接的なリターンが見えにくいものについては全て「マイナス(損失)」と捕らえてしまいます。
これは極端な例ですが, 数値化にはこのような可能性を含んでいます。

自己満でいいと思う

途中でなぜか私的な考えをはさみます(笑)
個人的には、会社などの効率性を追求している場面では良いと思いますが
(資本主義についての自分なりの考えもありますが今回は伏せます。)
日常生活の全てを数値化したくはないないです。
時間が無駄になる,!何の効果があるの?という外部の指標に依存した考えよりも、見返りもあえてファジーにして, なんか人間として成長できたかな~自分の内部で思えれば満足です。むしろそんな自己内部の指標を持てる事の方が難しいのではとも思ったりします。

②合理的利他主義

①よりも更に”利他”というものの定義について考えさせられました。
この合理的利他主義はよく言われてるやつですね。見返りが前提の利他的なアクションのこと。例えば, 「優しい人だね~」と言われたいがゆえに高齢者に席を譲る(実際は思っていなくてもなんかわき上がる高揚感みたいなものがある状態)。よくある, 偽善者だと思われるのが嫌だと考えてやらない。これらの思考自体も合理的利他主義の考えからくるものだと思います。

本来の利他的な行動とは?

多くの”利他的な”行動には「これをしたら相手の利になるだろう」という自分の思いが込められています。それはあくまで”自分の思い”です。
いつのまにか, これをしたら相手の利になるはずだ→相手は喜ぶべきだに変わり, 容易に相手を支配するという感情に繋がる可能性を含んでいます。
他人に利することが巡り巡って自分の利となる、という考え方は他社コントロールの危険性を含んでいます。
ここで重要なのは、”巡り巡って”の部分。巡り巡っていく中で”自分の思い”が予測できなさに吸収されるのであれば, 他者を支配しないような想像力を提供してくれるようにも考えられます。

この本では,本来の利他はうつわであると示しています。
(個人的に本書籍の最重要キーワードだと思っている)
相手のために何かしている時であっても自分の計画に固執せず, 相手の入り込めるスペース, 不確実性を許容する部分, 自分の変化に繋がる余白を持つことが利他的な行動に繋がると記されています。
例を挙げると, 中学校の時の教え子が成人式の時に,「先生の~~~~の言葉で自分の人生が変わりました!」と言われた。しかし,何を言ったか思い出せない。こちらはそんな意図してなかったのに…(単純に忘れた場合を除いて)

本来の利他的な行動は自分の意図しない形で行った行動について生じるものであり, 何なら他者に, 利他的な行動をしている主体であることを気づかせてもらうものでもあるという。
なんだか, 回りくどいが不意に体が動いたときの,超自然的なアクションに利他が宿るということです。(たぶん)

最後に

ここまで本当にザックリと本の超一部まとめてみましたが,
最後に, じゃあそれを読んだおまえはどう思ったんだ?という所を語ろうと思います。

自分は昨年の10月からNPOという全く知らない人からしたら利他的側面の塊のような組織で働いています。そこに至るまでには色んな過程がありましたが, 根本にあるのは,  純粋に困っている人に手を差し伸べたい。そんな人が溢れる社会で生活したい。正直このような小・中学生が作文で書くような思いでしかないです。でもこれが正直な思いです。
現在の色んなものを数値化して人間の曖昧な部分を明確にしていくという流れ。その恩恵を実際に受けて生活しているし完全になしではもう生きていけないです。ただ同時に 数字ばかりが先行して,その後に自分の意志がついてくるというようなどこか悲しく/冷酷な世界になりつつあるとも思っています。
損・得とかの前に自然に他者を気遣う行動ができたらいいし,非効率でも自分はそっちの世界に住んでいたいと思います。
(むしろ効率性ではない、他の部分で幸福感を感じていたい)

個人的には, この本でゆう”合理的な利他”でも全然かまわないと思うし, 意識意識が無意識になり真の利他的行動に近づくと思っています
そのためにも、個人としては今のような”非営利”な活動には常にどこかで携わっていたいし, 共感してくれる人を増やしたいなと思います!


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