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輝虫

 不思議なことを言う老人に出逢った。シラミが人の頭皮に寄生して生きているように、人に寄生しないと生きられない人間もいるのだと。それは「ヒモ」と呼ばれるクズの話じゃない。物理的に寄生して体を蝕んでいくのじゃ、と目尻にシワを寄せるのだ。

 ナツミトウフは震えた。そんなシラミ人間に寄生されては、ただでされスッカラカンなのに、今度は厚みさえ失われたら紙屑になっちまう。
 
 だから、すでに寄生されている人の見分け方を教えてもらったからここに記しておく。

 身体的に特徴はさほど変わらない。
 でもその中身はすっかり食べられているからカラカラで。小さくて輝く虫を飼っている。虫といっても人間界の言葉でいうと虫であって、シラミ人間語では「輝虫(キチュウ)」と呼ぶ。

 とにかくその「輝虫」がやっかいだ。多ければ多いほど、肌は艶やかに見えて美しい。内側から発光して見えて、まるでその人間は常にスポットライトを浴びているように、眩しく栄えるのだ。
 だが輝虫は秋の空より気まぐれで、旅好き。ふいにその相手に飽きると、肌から飛び出して他に寄生してしまう。
「飛べる先はせいぜい数メートルが限度だ」
 そう老人はいった。
「肌がキレイに見えるなら、女優さんなんて何匹も飼ってそうですね」
 ブローカーがいて、闇取引なんかもありえる。
 中央に輝虫に憑りつかれた人がいて、キレイになりたい方々が「こっちの肌は甘いぞ」なんて歌いながら誘惑するわけだ。
 なんて妄想してたら、老人は目をひん剥いて顔を近づてきた。
「ああ、いるとも。いや、いないかな」
 どっちだ。
「通常、輝虫は目には見えない。だがそれが見える人間が稀に存在するんじゃ。古い昔から輝虫とそれが見える人間との闘いは始まっていた」
「闘い?」
「まあ、その話は別の機会としよう」
 トウフは釈然としなかったが、老人の視点がグルグルまわっているのに気づいて言葉を飲み込んだ。昼間の公園には、老人とトウフの姿しかなった。もし何かあったらトウフが助けないといけない。
「ああ、なんでもない。体はもう少しで元気になる。輝虫のことを話していたので、つい面白くなってな」
「輝虫が居るかいないか、自分自身はわかるんですか」
「さあな。だが居なくなった後はわかる。尋常じゃなく眠くなる。輝虫は、人間の元気の源みたいなもんじゃ」
 人の元気を作るモノが、人の体を蝕んでいく。ある意味、座敷童みたいなモノだ。存在する時は栄えるけれど、去ると衰退していく。

 老人と別れて家に戻ると、妹のユズがごはんを作ってくれた。ユズは出戻りで、小さな女の子といっしょに二階で暮らしている。
「チビちゃんは」
「寝てる。私もさっきまで寝てたんだけど」
 そう言いながら顔をあげたユズの額には、一文字の窪みができていた。おでこを伏せて寝ていたせいだろう。
「最近、やたら眠くて」
「なんだって!」
「やだ、そんな怖い顔して」
 ツバが飛んできた。彼女は童顔で愛らしい顔つきの癖に、興奮するとツバを二メートル先まで飛ばせる技を磨き続けている。

 トウフは妹の子どもの様子が気になり二階へあがった。長い睫毛を頬にのばして、ほんのり開いた唇から寝息が洩れている。どこも光っていなかった。
「この子も大丈夫」
 トウフは微笑んだ。

 一階にもどりユズが作ってくれたパスタを食していたら、トウフは叫んだ。
「ひい!」
「どうしたの、兄ちゃん」
「ラビ夫人光ってる!」
 ええ、そうなの。照明のせいでしょう。
「ほら見てみろよ、虫が……虫が全身を這ってるじゃないか!」
 顔はもちろん、ドレスから露出した腕や胸元に蠢(うごめ)く虫たち。ラビ夫人が「ああた、何してんのよ」と、隣りに座るいがぐり頭の芸人の体にタッチする度、虫が数匹飛び出していった。だが大抵の虫は芸人に付着した途端、さわさわっと消えていく。彼らには彼らなりのポリシーがあるのだろうか。それとも芸人は長そでを着ていたから免れたのか。

 すると一匹の光る虫がラビ夫人の口に入っていくのが見えた。体を左右にくねらせて、白い歯の隙間を縫うように進んでいく。その様子が笑うラビ夫人の顔アップのたびに映る。もうすぐあの虫は脳に達するだろう。と思った瞬間、ラビ夫人がむせた。その勢いで虫が近づいていたカメラのレンズに飛び移った。
「ひい!」
 うねうねと動く画面左上の薄緑色の虫。
「そんなにラビ夫人、好きだったっけ」
 そういいながらSNSに返事するユズ。
「お前、目……おかしいのか」
 なにいってんのよ、と舌を見せる。その舌が油でぬたっと光ってみえた。
「ひぃ!」
 再び画面に目をやると、ゆっくり這うように動く輝虫はやがて画面中央までやってきた。こいつに意志はあるのだろうか。這う虫は、エビぞりするように体を半分をあげ、カメラの向く人間の方を見ているような気がした。だが絶えずうねうねと蠢き続ける。その不規則な動きを見るたび、トウフの肌にざわめきが走る。
「ちょっと待ってて!」
 トウフは家を飛び出した。

 噴水の前のベンチには誰の姿もなかった。
 公園を走り回り、探す。だが老人の姿は見えなかった。
 
 携帯が鳴った。ユズが怒って電話してきたのだ。
「ちょっと私が善意で作ってあげたパスタをそっちのけでどこ行ってんの。罰として帰りにマンゴープリンよろしくね」
「なんだよ、それ」
 仕方ないのでコンビニに寄った。
 するとちょうど会計が済んで出てきたのが先ほどの老人だった。
 トウフは慌てて老人のTシャツを引っ張った。老人はよろけながらふり返るとなんだそういうことかと言った様子で、ニヤリと笑ってきた。
「なんでもかんでも輝虫に見えるようになって、困ってんですけど。どうしたら治りますか」

「目をつぶしてみてはいかがかな。それが嫌なら輝虫を食べて食べて食べまくる。そうしたら他人のものは見えなくなる。でもいつか輝虫に出逢わなくなったら、一気に老け込みますけどねぇ」
 そうシワだらけの老人は言うのだった。
「でもどうやって輝虫をこちらに誘き寄せるんですか。輝虫の好物は」
 老人は首を横に振った。
「輝虫は人に巣食う生き物じゃ。だから輝虫の寄生する肉を傷つけると逃げ出そうとする。好物は知らん」

「あなたも。輝虫が見えるのですか」

 アイスピックのような視線が向けられて、トウフの心はダンゴムシみたいに小さくなった。
 でもすぐに俯く、老人。
「この任務は孤独だ」
「……」
「まあ、頑張んなさい。後継者よ! 輝虫に頭まで喰われると人は人らしさを失う。そうなる前に、助けてやって欲しい」
 そんなことで肩叩かれても嬉しくないんですけど。なんて突っ込みいれてる間に、老人の姿は消えていた。
 トウフはしばらくの間、その場所から動くことはできなかった。

 これが不思議な老人との顛末だ。

 ちなみにトウフはその後、泥臭いことに手を染めながらも金を貯め、探偵会社を立ち上げた。表向きは、何でも屋のような探偵事務所だが、裏稼業として輝虫駆除をおこなっている。

 だがこのことを、公にするとつもりはないという。

 それが彼のポリシーなのだ。


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