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【物語】本当は怖かった話

「6月から○○県に行ってね。」
4月の後半に上司に言われた。

突然、仕事をしつつ引越しもしなければいけなくなった私は、アパートの下見もせず、職場の近くの空き部屋を契約した。

慌ただしく引っ越し準備をして、私は5年住んでいたアパートを引き払った。

5月末に連休をもらい、ジメジメとした梅雨の予感がする曇り空の中で、私は引越しをした。送られてくる段ボールを片付けていく。最後に開けた段ボールに入っていた小さな水晶玉のお守りを玄関につけた。キラキラ輝くお守りは、部屋を明るくしてくれた。

4月後半から始まった急な引っ越し作業は、ばたばたと終わった。

新しいアパートは、3階建ての建物だ。
駐車場から右に向かって、白い階段を進む。
2階に上がって、通路をまっすぐ進む。
奥から2番目の白い扉の前に立つ。

扉を開けると、美しいフローリングがまっすぐに伸びる。
トイレ、キッチンを素通りして一番奥のドアを開けると、天井の高い部屋にたどり着く。大きな部屋には大きなガラス扉があって、明るい日差しが差し込んでくる。扉を開ければ、べランダにいける。

私は、綺麗になった私の城を見て満足した。
その日は、へとへとに疲れて眠った。



次の朝、上の階からバシバシ、どんどんという音が響いて目が覚めた。

目を開けて最初に見えたのは、白い天井だった。見知らぬ天井。
「ああ、引っ越してきたんだな。」と思い出す。
その間にも、テンポよく何かを叩く音がする。

タンタンタン、タ、
タンタンタ、タ、タ、

ドラムのようなご機嫌な音だ。

うるさいな。
朝の6時には賑やかな音に、正直イラついた。
しかし出勤時間も迫ってきたので、うるさい音を無視して朝の身支度を始めた。

ドラムのような音は、私が出勤するまで続いた。
イライラした私が、机を人差し指でこんこん叩く音も途中で加わった。




慣れない環境。
知らない人ばかりで気を使う毎日。
前よりも通勤距離が伸びたから、自由にできる時間が減った。
早く出発して遅く帰る日々の中で、知らず知らずに疲労がたまっていたらしい。

ある朝、熱を出した。
仕方なく仕事を休むことを上司に報告し、1日休みを貰った。

近所の方はしゃべる声がぼんやりと聞こえる。

うとうと、と布団の中で丸くなっていたら、玄関からコトンと音がした。
気になって布団から出る。フローリングのヒヤッとした感触を足の裏で感じながら、裸足でぺたぺたと歩き、玄関に入っていた紙を手にした。

それは、1枚の書類だった。アパートの管理会社からだ。

【深夜から朝方にかけて、騒音がすると通報がありました。アパートの皆様におかれましては、近所の迷惑にならないようよろしくお願いします。】


やっぱり、みんなうるさかったんだな。
どう考えても非常識な時間だ。誰だって怒るだろう。
私はひとつ頷いて、その紙をゴミ箱に入れた。

もう一度布団に入る。ぬくもりが残っている布団に包まれて、穏やかに眠った。たまに聞こえるリズミカルな音とドンという大きな音は、気にしないことにした。




完全に体調を崩した。
お医者様から1ヶ月の休養を言い渡されてしまい、休職になった。
熱は下がったが、弱った体はちょっと動いただけで疲れてしまいなかなか思うように体が動かない。

私がこんなに弱って困って休んでいるのに、その間も部屋にはドンドン、タンタンという音は止まなかった。

イライラする。
一日中イヤホンを耳につけて生活した。




休養期間が始まって1週間経ったある日。

午前5時、一際大きい音が響いた。
机に積んである本が崩れるんじゃないかと思うほど、大きい振動を感じた。


ぷつんと音を立てて、普段穏やかな私が切れた。


人が休養を心掛けて眠っているのに、なんでうるさくするんだろう?
なんで集合住宅なのに、明らかに騒音だとわかる音を立てるのだろう?

イライラ、イライラ、イラ――!!!!

朝、イライラが止まらず、二度寝に失敗した。
私は9時までイライラと過ごした。


そして午前9時。
管理会社に電話をかけた。


電話に出てくれた職員の方に、私は速やかに状況を伝えた。

1,私の部屋の上から、毎日騒音がすること。
2,この前も、騒音関係で書類が来たが一向に収まっていないこと。
3,今日の5時に大きな物音がして起きたこと。
4,私は2階に住んでいるので、おそらく3階の住人だろうということ。上の階の人に注意して欲しいということ。

少し早口で説明した。
管理会社の方が申し訳なかった、確認すると言ってくれた。

電話を切った。
冷静になった私は、自分の至らなさを恥じた。
管理会社の人は悪くない。
それなのに、まくし立てるように話してしまった。
自分の心が乱れていることを感じ、普段の穏やかさを取り戻そうと深呼吸した。
その瞬間、ドンっという音がまた聞こえた。私はイラっとした。


1時間後、管理会社から電話があった。
電話に出ると、先程の騒音について確認したいことがあるとのこと。

調べたところ、今私の上には誰も住んでいない。
それどころか下も右も左も斜めも全て空室であるというのだ。


つまり、私の部屋は周囲に誰も住んでいない。


管理会社のからは、私におずおずと聞いた。


「どこから音が聞こえますか?」






頭が追いつかない。
誰もいないのならどこから音がするのか。



私はここにきてからの日々を思い返してみた。

そういえば、引っ越してきた翌々日。
仕事帰りでアパートの階段を上がろうとしたら、窓越しに誰かに見られていた。じっと見つめられたから、「新しい入居者が気になるのかな?」と思って、気にしていなかったが。

更にそういえば、私以外誰もいないはずなのに、たまにトイレのドアに鍵がかかっていることがある。トイレの近くに10円玉を置いて、いつ鍵がかかっても大丈夫なように備えていたから、気にしていなかったが。

更に更にそういえば、真夜中に突然テレビが付いたことがあった。テレビがベットの近くにあるので、びっくりした後イラっとした。だから、テレビの電源を切ってコンセントごと抜いた。それ以降テレビを見ていないから、気にしていなかったが。


私の中で、すべてがつながった。
なるほど、犯人はドラマーのお化けさんだ。


ドラマーのお化けさんなら、四六時中ドラムを叩きたくなっても仕方がない。おそらく、自分のドラムを聞いて欲しいのに私がイヤホンをつけていたから、嫌がらせをしてきたのだ。トイレの鍵をかけたり、テレビの電源を付けてみたり。


、、、、、、。
心の奥底から怒りがやってきた。



「もしもし、、、」

突然黙った私を訝しんだ管理会社の人が、恐る恐る私に話しかけた。
管理人さんには本当に申し訳ないことをした。
私はすぐに管理人さんに謝罪した。

「突然の電話をしてしまってすみませんでした。どこかの騒音が私の部屋まで届いているのですね。上の階ではないのなら、音の発生源がわからないです。場所がわかったら、改めてご相談させ下さい。本当に、朝から失礼いたしました。」

管理人さんは、「それでいいのか?」というように「はぁ。」と返事をした。そっと電話を切った。



電話を切った後、私はすぐさまキッチンに行った。
手に取ったのは、アジシオ。

アジシオを手にリビングに戻った私は、天井と壁にそれをふりかけた。
そのまま、トイレやお風呂、キッチン、玄関にもふりかける。
おっと、ベランダを忘れていた。
くるりと方向転換してリビングに戻り、ベランダにもまんべんなくアジシオをふりかけた。雨に打たれたアジシオは、すぐに透明な色になった。



それ以降、ドラマーさんは大きな音を立てなくなった。
大きな音は。



その代わりに、すすり泣く声が聞こえてくるようになった。

ぐすぐす、ヒックヒック。
悲し気な泣き声だ。


勘弁して欲しい。
どうして大きい物音に悩まされた私が、泣かれなきゃいけないんだ。
私が泣きたい。

それでも、小さな子供のようなすすり泣きは止まらない。
ドラマーさんは子供だったのか。

幼い子供のお化けさんを、私はアジシオで痛めつけてしまったのだろうか。お化けさんにとって、アジシオは痛いのかもしれない。

良心が傷んだ。
「子供の泣き声だ。」と思った瞬間に、申し訳なさを感じた。

何とかしてやりたい。
いや、なんとかせねば。

まず私は、アジシオをかけた壁やフローリングを丁寧に掃除機で吸った。
トイレもお風呂もキッチンもベランダもきれいに掃除した。
しかし、泣き声が止むことはなかった。




どうしようかと思っていたら、夕方になってしまった。
今日はここまでにしよう。とりあえず、コンビニでお弁当を買ってこようと考え、玄関を開けた。その時、夕日に照らされたそれは煌めいた。

お守り。


引っ越してきて初日につけた、小さな水晶でできたお守り。
それが夕日に照らされてきらりと光った。


ああ、そうか。


これがあるから。
これがあるから小さなドラマーさんはどこにも行けないんだ。


きっとこのお守りは、悪いものを寄せ付けないように「結界」の役割を果たしてくれたのだろう。悪いものが家に入ってこれないように。

でも、悪くないものは?
この部屋にいるかもしれない悪くないものは??
出られなくなっちゃったのかもしれない。

私はお化けさんの専門家では無いから理論はわからない。
けれど、なぜかこの考えが正しいような気がした。
買い出しは明日にしようと決意した。

私は今開けたばかりの玄関の扉の上に手を伸ばし、お守りを外した。

そのままがらりと玄関の扉を開けた。
夕日がパッと私の部屋を橙色に染めた。
心地いい空気が入ってくる。

そのまま、トイレ、キッチン、お風呂場、と順番に扉を開けた。
廊下に戻って突き当たりのリビングの扉を開ける。
部屋を突っ切って、ベランダも開けた。

玄関から一直線。
全ての扉を開けた。
橙色に染まる部屋。
夜を忍ばせた風が通る。

6月下旬の夏の暑さが近づいてきた黄昏色の風が、部屋に入ってくる。
風は、そよそよと恐る恐る入ってくる。

ぼんやりしていたら、急にベランダから強い風が入ってきた。
それはまっすぐに廊下を駆け抜けた。
そして、その風は去っていった。

少しの間、私は風を見送った。



そのうち、今年最初の蝉の声が聞こえてきた。
私は、慌ててベランダを閉めた。
入ってこられたら困る。

なんせ、せっかくこの部屋は静かになったのだから。


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勿忘草(わすれなぐさ)
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