ガルクラ第3話 「ループマシン」が意味するもの、あるいはむしろ意味しないものについて

 「ループマシン」について愚痴りたい。つまり、ガルクラ第3話には、これでもかと「ループ」が、「繰り返し」が登場しているんじゃないか、ということ。いくつも、さまざまなレベルで、「ループ」とか「反復」とか、言ってみれば、「繰り返し」が起こっているのではないか? という……

 というのもこの第3話、やたらいわゆる「天丼」的な要素が多い。そこに「ループマシン」なんていう小道具を桃香が持ち込んできたものだから、こんなよくわからない連結が頭のなかで生じてしまった。

 冒頭、仁菜が作曲アプリでのめりこんでいるところから、すでにループ=「繰り返し」の登場ははじまっている。鳩の鳴き声の反復。仁菜のつくる曲のリズムの反復。これはものすごく短い時間のなかでのループ。

 もうすこし大きな時間の幅をとると、ループは「天丼」という形をとる。

 何度も音楽アプリに気を取られて「勉強しなきゃ!」となる仁菜。

 桃香宅。Aパート、夢中でアプリ触ってたこと図星つかれて帰ろうとする仁菜。そしてBパートで、ライブで歌うことになって思わず帰宅しようとする仁菜。これはあきらかな天丼である。

 それから回をまたぐなら、「スマホを忘れる」というイベントも第3話では繰り返されている。あれほどかじりついて作曲を行っていたスマホを、またも桃香のもとに忘れる仁菜。すばるもスマホを忘れる。
 そして、第1話では桃香が仁菜に忘れたスマホを届けて、二人の仲が深まったように、この話では仁菜がすばるにスマホを届けて、お互いのことを知り、仲が深まる。これも「繰り返し」だ。お互いを知って仲が深まるというイベント自体も、第1話の繰り返しである。

 こうやって第3話を見ながら「繰り返し」「天丼」とぼんやり思っているところに、再び言うが、桃香が次のライブで使うと言って「ループマシン」を持ちこんできた。

 からかわれているような気がした。

 「ループ」という言葉が、なにか符合のようなものを、ほのめかしているように思えたのだ。

 「ループ」と言えば、桃香はすでに第2話の時点から、仁菜にかつての自分を見出している可能性もあるわけで、だとすれば、桃香にとっては仁菜もかつての自分という点で「繰り返し」かもしれない。仁菜の歌声を聞いたときの、圧倒されたような桃香の表情には、この追憶のような感情も入り混じっているのだとしたら、いっそう「繰り返し」かもしれない。

 たまたまちょっと「からかわれている」と思っただけで、こんなことを書き出してしまって、どれくらい本気でこんな「繰り返し」だなんてことを言っているのか? 自分でもよくわからない。第3話は裏テーマとして実は「繰り返し」があるんだ、と主張したいんだろうか? 多分そういうわけでもない。

 結局、偶然、自分のなかで、物語のひとつひとつのディティールがこのような形で結びついてしまったというだけなのだ。今のところは。意味の手前にいる、とでも言えばいいのか。あるいはメッセージを受け取っておいて、その意味がわからないでいる、というのか。

 「無意味だ」と断じることもできるだろう。とはいえ、そうやって「無意味」とみなすのもひとつの解釈には違いなく、それゆえそこに発生するのは、「無意味」というひとつの意味だ。

 こちらで勝手につながりを見出しているだけで「偶然だ」、と言うのも同じことで、「偶然」であるという意味は、「必然でない」という一種の「必然」だろう。

 言葉の上での「無意味」「偶然」に先立つ、意味の手前にある、いや、「ある」ということさえ間違いになってしまうような、といって「ない」という否定形も間違いになってしまうような、不確定性の領域。

 「ループマシン」によって、そこに導かれてしまったらしい。

 意味がわからない。だが、それでもなにかあるような気がするという、ぼんやりした不気味な予感だけが、ただひとつ確かなものとして感じられる。これがまあ、「ループマシン」に連れて来られたこの場所の居心地である。

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