感情移入の2つのタイプ ガールズバンドクライ第8話を例にとって

 仁菜は「空の箱」が背中を押してくれたと言う。けれど、それはいったいどういうことを意味しているんだろう? こんなことも言う、「なんかいちばん行き詰ったときに聞いて。今の自分の気持ちを、そのまま歌ってる、って。…負けちゃだめだって(第1話)」。

 こういった状態というか現象というかを指すのにぴたりとくるワードがあるだろう。感情移入。

 このページは感情移入とは何なのかをまず考えて、その考えをもとにガールズバンドクライ第8話について見てみる、という2部仕立てになっていること、知らせておく。


感情移入とは何か?

 この項は、「感情移入」という言葉を分析するために設けられている。もし興味がガルクラの話だけにあるなら、読み飛ばしてもらって構わない。それでもある程度理解できるように下半分は書いていく。

 問題の「感情移入」という言葉、もともとは美学あるいは心理学の用語だったようだ。ドイツ語の「Einfühlung(アインフュールング)」という単語の訳語として、20世紀初頭に登場したのだという。そこでは感情移入は、もっと厳密な定義づけがなされた語として機能していた模様。

 ここで考えるのは、もちろんもっと最近できた意味のほうの「感情移入」だ。

 つまり、ある対象のなかで表現されている人物、事柄あるいは事物を、自分自身であるかのように感じとり、リアルな感情を喚起されること。そして、そこで表現されているものにたいして、あたかもそれが現実であるかのように自分の心が反応する状態のこと。ある種の没入体験、とも言える。

 もうすこし突き詰めて考えてみよう。この没入はどうやって起こっているのだろう? それが「本当のように」、「他人事でないように」、「自分で体験しているかのように」感じられる状態。この「ように」が重要だ。つまり、それが見る人にとって真実か嘘かではなく、見る人の現実感覚に訴えかけてくるかどうか、これが「感情移入」の要点だ。「真実」よりも「真実味」があるかどうかが問題となる。 

 パラフレーズすれば次のようになるだろうか。

・感情移入とは、対象がその真実味によって、見る人の現実感覚に訴えかけてくることである。

 だとすると、感情移入の主導権は、私たちではなく対象側にあることがわかる。これは私たちの感覚からしてもそうおかしくはない。たいてい、私たちは感情移入しようと思っても、意識的にそれを行えるものではないからだ。それはいつもいつのまにか起こっている。

 その際に効いてくるのはこの「真実味」だろう。「真実味」とはいったいなにを意味するのか?

 ここでこのページはちょっとした飛躍を行う。

 この真実味というものが、「現実感覚」に通じるものなのだと言い切ってしまいたい。

 これはあながち馬鹿げた断定ではないと思う。真実味とは、ある対象や出来事が、それを現実にあると捉え得るだけの本当らしさを持っていることを意味する。だとすれば真実味は、我々のなかに「現実感覚」を生じさせるなにかだと考えることができるからだ。

 そして上で述べた通り、「感情移入の主導権は対象側にある」。だとすれば感情移入とは、対象がその真実味によって喚起する「現実感覚」が、私たちの「現実感覚」に働きかけてくることなのではないか。この現実感覚を「リアリティ」と言い換えて、上のパラフレーズをさらにパラフレーズする。

・感情移入とは、対象の喚起するリアリティが、受容する人間のもともと持っているリアリティに働きかけてくることである。

 「現実感覚」という言葉があいまいなままで使われているのが、正直怖い。「リアリティ」という言葉にも同様の懸念を抱く。どちらも「真実味のある世界の見え方(パースペクティヴ)」、といったふうな意味で考えているようだ。

 本当なら、これらの言葉について(それに感情移入という語自体についても)、誰々はこう言っている、別の誰々はこう言っている、といった文脈を適宜踏まえてから、解釈を述べるべきなのかもしれないけれど、残念ながらそれをできるだけの力がない。なので、この項は偽装だらけの突貫工事といった様相を呈している。

  ともかくその偽装の先に進んでみよう。「感情移入」には、作品の喚起するリアリティが、受容側のリアリティとどんなふうに作用するかによって、2つの場合があると考えられる。すなわち、

1)受容する側のリアリティが、対象の喚起するリアリティを自らの一部に組み込む。

2)対象の喚起するリアリティが、受容する側のリアリティを塗り替えてしまう。

 ちょっとばかり乱暴に図式化してしまえば、これらの違いは受容する側の中でどちらのリアリティが優位になっているかにある。1)の場合は「自分>対象」となり、2)の場合は逆に「対象>自分」となっている。

 この2つの感情移入はなにが異なってくるのだろうか? 

 1)の場合、そこでは受容する人間のリアリティが維持される。対象の喚起するリアリティは、それを強化する一部になる。2)の場合は、受容する人間のリアリティそのものがつくりかえられる。言い換えれば、1)は自己保存型の感情移入、2)は自己更新、いやもっと強い言葉を使って、自己破壊型の感情移入とさえ言えるかもしれない。

 1)が自分自身のあり方を強化するのにたいして、2)は見る人間自身の世界の見え方、それ自体を変容させてしまう。それはもはやその人自身が変化してしまう、というのに等しい。

桃香と仁菜、2つの感情移入

 抽象的に語るよりは、具体例を見たほうがわかりやすいかもしれない。というわけで、ガールズバンドクライ第8話の考察に移る。

 ただし、このページはここから、問題の所在を現実からフィクションへとすり替えてしまっていることに注意してほしい。上では現実の問題を曲がりなりにも扱おうとしていたけれど、こちらはそれをフィクションに適用しようとしている。もっとも、フィクションだからといって、まるきり嘘とはならないだろうと思う。

「感情移入とは何か?」のまとめ

 上で述べた感情移入についての説明を再度まとめておく。 

・感情移入とは、対象の喚起するリアリティが、受容する人間のもともと持  
 っているリアリティに働きかけてくることである。

・感情移入には2つの種類がある。2つのリアリティのどちらが優位になる 
 かによって、それらは区別される。すなわち、

 1.「自分>対象」……受容する側のリアリティが、対象の喚起するリアリ 
   ティを自らに取り込む。

 2. 「作品>自分」……対象の喚起するリアリティが、受容する側のリア 
   リティを塗り替えてしまう。

・1は自己保存型、2は自己破壊型の感情移入と言える。前者は受容する人
 間が自分のリアリティを維持する方向へ導く。後者は受容する人間の 
 リアリティを一変させ、その人自身を別様に変化させる。

「感情移入とは何か?」のまとめ

 実際にガールズバンドクライを例にとって考える。第8話では、この2つの感情移入が語られている。桃香が仁菜をダイヤモンドダストのステージ裏に連れていく場面を思い浮かべよう。すなわち桃香による「歌う仁菜」への感情移入と、仁菜による「空の箱」への感情移入。

桃香の自己保存型の感情移入

 桃香は仁菜が昔の自分であると語る。そのとき彼女は、仁菜にたいする自己投影型の感情移入について述べている。

仁菜に私と同じ選択をさせたくない
なんで田舎に帰らなかったのか、バンドをはじめたのかって聞いたよな
あのとき、仁菜が歌っているのを見て、自分が最初に歌っている姿を思い出したんだ
仁菜は売れたいとか、認められたいとかじゃなく、好きな歌をただ歌っていた
あのときの仁菜は、私が好きだった私なんだ
あのころの私なんだよ

だから、仁菜のまま、歌い続けてほしかったんだ
なににも縛られず、その歌を横で聞いていたかったんだ

ガールズバンドクライ 第10話 もしも君が泣くならば

 桃香は仁菜の歌を聞いたとき、そこに自分に通じるものを垣間見たはずだ。そこで感情移入が起こったのは、ここでの桃香の発言からもたしかだろう。「歌う仁菜」が喚起するリアリティと桃香のもともと持っていたリアリティのあいだに通じるものがあったのだ。この第8話で桃香は、仁菜が「過去の自分」であるととらえる。

 ここでは、仁菜への感情移入が、今の自分のままでいる、すなわち自分のリアリティを強化する方向へ作用している。彼女は新しい状態に飛び込むのを怖がり、今の自分を守ろうとする。このように、感情移入は一方で、今ある自己を維持し、強化する。

 次に仁菜の場合を見てみる。

仁菜の自己破壊型の感情移入

 「空の箱」を通して、仁菜は自己破壊型の感情移入を経験している。その歌は、彼女のリアリティを一変させた。

(「空の箱」の歌詞を引き継いで)
――指先が震えようとも、
あなたの歌で、生きようとおもった人間もいるんです
あなたが守らなきゃいけないのは、思い出の中のあなたじゃない
自分の歌を誰かに届けたいという気持ちです
自分の思いを喜びを、怒りを、哀しさを、
誰かに届けたいからバンドを始めたんですよね!
学園祭で歌って、東京に出てきたんですよね
プロになったんですよね⁉
何怖がってるんですか!
何ビビってるんですか!
ここにいるんですよ
あなたに勇気づけられ、元気をもらい、あなたがいたから飛べた人間が 
あなたと一緒に歌うことを幸せに感じて、賭けようと思っている人間が! 
あなたを信じている、あなたの歌が!
…桃香さん 私で逃げるな

同上

 仁菜が「指先が震えようとも」という「空の箱」の歌詞を自分にひきつけていくとき、そこには感情移入の経験が語られている。自分のリアリティに、「空の箱」が喚起するリアリティが入り込んできたことを、彼女は明言している。

 「飛べた」あるいは「背中を押してくれた」といった仁菜の言葉は、それまでの自分を取り巻いていたリアリティが一新されたことを意味する。そして、自分にとってそれだけ転機となった歌を作った桃香を、彼女は奮い立たせようとするのだ。

 こんなふうに、自分の「まちがっていない」を貫こうとするのは、その歌が彼女のリアリティを変えたからだ。ここまで来たこと自体、「空の箱」への感情移入が起こった結果だ。自己破壊型の感情移入を経たリアリティでもって、彼女は桃香にぶつかっていこうとするのである。

 自己破壊型の感情移入は、その人の生き方それ自体を一変させてしまうのである。あるいは、より自分らしい自分のリアリティを覚醒させて、それまでの自分を断ち切ってしまう。ある意味、自己破壊とは自己覚醒のことでもあるのかもしれない。

感情移入の複雑さ

 このように感情移入を二つにわけられるんじゃないかと考え、それを物語の登場人物にあてはめて考察してみたわけだけれど、自己保存型だからといってそれが悪というわけではないと思う。私たちが生きる上では自己保存型の感情移入は、自分自身のアイデンティティや世界観を維持していくためにも不可欠だ。自分のままであっても、あらためて自己を見つめ直すことで、世界が鮮やかに感じられるというのは、よくあることだ。

 例にとった桃香は感情移入が自己防衛のために作用していたけれど、平時の私たちだって、自分のあり方をまちがっていないと裏付けるために、感情移入の対象を自分の背景と関連付けたりはする。良い方向に向かうか悪い方向に向かうかは、状況や気持ちとの兼ね合い次第なのかもしれない。

 またこの2つは、截然と分けられるものでもないとも思われる。ここでは仁菜の感情移入を自己破壊型に位置付けているけれど、彼女は自分を保つために「空の箱」に感情移入したとも言えるわけで、これは自己保存型のほうに割り振った作用だったはずである。

 たぶん、これら二つの感情移入は、ひとつの感情移入のなかで入り混じって起こるものなのだ。結果としてどちらの面が強く出るかという話であって、感情移入そのものは、さまざまな状態が入り組んだもっと複雑な現象なのだろう。

おわりに代えて あまり好きな言葉ではなかった

 「感情移入」という営みは、数多くある作品の楽しみ方のひとつであって、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。その言葉が、今のような意味を持ったこと自体最近だ。それは歴史のなかで、今という特定の時代に生じたものであって、普遍的な楽しみ方と言えるかも、まだわからない。

 とはいえ、「感情移入」はやはり根強い。2024年現在の私たちの大半は、こういうやり方からはじめて物語に触れている。私たちは作品に向かうために感情移入から出発する時代の人間だ。

 なにより根深いのは、この言葉がこの意味を持つ以前の人びとが、どんなふうに作品に向かい、感じていたのか、もはや私たちにはわからないことだ。彼らの熱狂と私たちの熱狂がどれくらい違っていてどれくらい同じか? といった問いはおそらく意味をもたない。私たちは、感情移入という言葉が加わったあとの言語システムの中でしか思考できない。この言葉がなかった時代の人たちの感じ方を、今ある言葉で表現すること自体が不可能だ。言語化のシステム自体がすでに違ってしまっているから。そして、どれだけ「感情移入」にあらがったところで、その言葉が組み込まれたシステムに乗っかっている以上、それを本当の意味で否定することにはならないしできないんじゃないかとも思う。

 だとしたら、この言葉を否定するよりも、いっそ「感情移入」という楽しみ方、それ自体を思いっきり深めていくのもひとつの道なんじゃないかとも思うわけだ。
 
 私たち自身の感情移入を「鍛えて、研ぎ澄ます」こと。
 そこで自分になにが起こっているのかをよく考え、見極めること。
 そうして、もっと作品を楽しむこと。

 そのためにはおそらく、ただ単に共感できた、これは自分だ、というだけではどうしても足りなくなってくる。今自分が感じていることにたいする鋭敏さや、自分をいろんな角度で見つめ直すことが必要になる。

 そんな作業を経るなかで、もっと多様な読み方にむかって、自分の感情移入が開かれていくことになるかもしれない。結果として、「感情移入」だけではない様々な読み方ができるようになるかもしれない。

 そういったための一助になるだろうか、とこのページは書いて終わる。


 ガルクラ第8話については、もうひとつページを設けています。そちらでは回想における二次元とCGの違いという演出の観点から、仁菜と桃香の対比について考えています。2つのページは、同じことを別の角度から語っているようでもあれば、微妙に重ならないようでもあります。こちらよりわかりやすいと思うので、そっちも読んでくれたりなんかしたら、とても喜びます。

 あと、ガールズバンドクライの考察についてのまとめも置いておきます。


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