私の好きな動物

昔から哺乳類は大概好きで、虫は大概苦手でした。

でも構いすぎるのか、そういう性質なのかは謎ですが、あまり動物に好かれる性質ではないのが悲しいところです。絶対に噛まないと言われていたハムスターに噛まれたときはそれなりにショックでした。

さて、私が一番好きな動物は猫です。断然猫派。CATです。

すらりとした美人もいい。豪華な長毛種もいい。コロンとして可愛らしい日本猫や、スコティッシュもいい。あんよがチマチマしているマンチカンもいい。

半液体状に溶け、ゴム人間のように伸び、バネのように跳ねて、女心のように気ままな猫。猫がいるだけで世界は平和になります。

猫は絵やグッズよりも実物や動画が一番好きです。エッセイ も読みます。何でもいいというわけでもなく、昔は「ねこぱんち」を愛読していました。今、一番好きな猫エッセイは「じじ猫ぐらし」です。本当にオススメです。

余談ですが「外科医東盛玲の所見」などを描かれている池田さとみ先生、母が大ファンなのですが、私はねこぱんちで初めて見ました。母が持っていた漫画を見て作風が同じだなぁ、と思って確かめたら本人で驚きました。

閑話休題

私の家は裕福ではなく、さらに一軒家とはいえ賃貸でした。家にあるもののほとんどは本で、あまり片付いているとも言えないような、典型的な低所得っぽい家庭。

そんな家ですので、猫を飼うなんて夢のまた夢。私は近所の野良猫を追いかけては数メートル先から何十分も飽きずに眺める子供でした。

そんな私ですが、妄想の申し子です。自分自身を慰める最強にコスパの良い妄想発散方法がありました。

それは猫の図鑑や飼育方法を読み漁ることです。

やったことのある人は結構いるんじゃないでしょうか?私はもっぱら学校の図書室の「動物の飼い方」のような本を読み、頭でっかちの知識ばかりつけていました。図鑑はカタログ。飼育本は妄想の参考書です。

自宅の犬や猫の図鑑を読み、種類ごとの性格や見た目を照らし合わせ、自分が飼うならこの子だな、と名前にマーカーを引いたりしました。

何度も繰り返し読むうちに「自分には飼えない」という諦めもついたので、結果的に良い方法だったように思います。私は自分の世話もろくにできず、痛みにも弱い人間です。噛まれたり引っ掻かれたら怖いし、病気になったらお小遣いを叩いて病院に連れて行く、なんてことはできないと思いました。

もちろんそうやってペットを世話することで子供の情操教育をすることは素晴らしいと思います。けれどもしも失敗したとき、うちの家には責任を取れる人がいませんでした。親も動物を飼ったことがなかったのです。

だから私は妄想の上でだけ猫を飼い、エッセイや動画を見て心を慰め、成長してからはキャバクラを覚えたての素人童貞のように猫カフェに通いました。

ちなみに私が猫を飼うことを諦めた、明確な出来事があります。

それは中学か高校の頃。あと数時間で台風が来る、という時の道端に、子猫がミーミー鳴いていたのです。ギョッとしました。だって普通の街角に、段ボールに捨てられたわけでもない子猫。足取りもおぼつかないような、本当に小さい子猫です。

とっさに「このままじゃまずい」と思いましたが、何せ親猫が迎えに来る可能性も捨てきれません。私は雨が降るギリギリまで子猫を見守っていましたが、人間に警戒したのか、それとも本当に子猫単身だったのか、とうとう迎えはきませんでした。

私は猫を連れ帰り、ひとまず台風が去るまでは保護しました。流石に台風の中に子猫を捨てて来いという親ではありませんから、最低限の保護はできていました。

台風が完全に過ぎ去った街角で、私は子猫をおいて遠くから見ていました。けれど親猫はこず、子猫はずっと動きません。どころか私のことを追いかけてきます。

何度か繰り返しても親猫はあらわれず、子猫を探しているという人もいません。その子はとても賢くて人を噛んだりもしませんでしたので、親もすっかり情が移っており、いよいようちで飼おうか、という矢先。その子はあっさり死んでしまいました。

とてもショックでした。ハムスターや虫じゃないのに、そんななんの前触れもなくあっさり死ぬなんて。考えもしませんでした。

父がペット霊園に連れて行き、あっさりと埋葬されました。拾ってから弔うまで、たった五日ほどのことです。

私はそのとき自分が生き物を飼うことに向いていないのだと猛烈に後悔しました。

いくら元気に見えていたからって、そういえば一度も動物病院に連れて行かなかった。なんとなく食べていたから大丈夫だろうと、子猫ミルクとカリカリを適当に上げていた。「子猫」を育てる、ということを本気で考えていなかったことに気がつきました。

死んでしまってからあれもこれもと思いつくこと。全部遅いのです。私は結局書物の上でだけ妄想状の「猫」という概念を愛していただけの子供でした。

自分が未子なものですから、自分より弱い生物という概念が極端に薄いこともあり、自分以外に対する想像力が決定的に欠落しているのだろうと思います。

だから私は一番大好きな猫を絶対に飼おうとは思いません。私は生き物を飼う、ということをできる器ではないのです。

世界中の、きちんと動物を家族として迎え入れている家庭の方々を心から尊敬しています。子供を育てる家庭を、自分より弱い命に責任を持つ家庭を、心から尊敬しています。

今でも私は妄想の上でだけ猫を飼っています。健康で、何を出してもちゃんと食べてくれて、何か不都合があったらちゃんと知らせてくれて、変なところにトイレをする癖もない、都合の良い猫を。


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