私だってちゃんと生きてればこんな名前は名乗らない
24歳の時に勤めていた会社を辞め、お笑い芸人の養成所に入学してピン芸人の卵となった。お笑い芸人という職業にはもちろん本名を使っても良いのだが、せっかくだから芸名を付けようという者も多いし、私にいたっては「物心ついた時から現在に到るまで本名で絶え間なく叱られ続けた」というトラウマがあるため、芸名を使う事に関してはなんの躊躇も無かった。そこで「ささくれ」なる芸名を自らに冠したのである。
理由は「常に心がささくれ立っているから」である。ただでさえブス・バカ・不器用の3Bを十字架として背負い、片親育ちで特技はゼロのFラン大卒。この環境がオーラとして滲み出ていたのか、ささくれという芸名について、養成所の講師(エンタの神様の構成作家氏だった)は「イイネ!」と太鼓判を押してくれた。
養成所の同期には未だに「ささくれ」と呼ばれているため、飲食店で話していたりすると店員とかには二度見される。その他同期の芸人には「忍者」「不死身のエレキマン」などが存在したため、ささくれ風情が何をと思われるかも知れない。何しろ、私の最も尊敬する作家さんのひとりは「まんしゅうきつこ」先生だ、このロックンロールに比べたら「ささくれ」など雑魚すぎてコマセにもならない。
本名で怒られ続けたトラウマが私を「ささくれ」に化けさせたわけだが、私はこの芸名をも同じくトラウマに変化させてしまったのである。
養成所で半年間お笑いを学んだまでは良かった。養成所の卒業ライブでは、その100人余りの生徒のうち、およそ10組が選出され見事事務所の仮所属となるわけだが、何の因果か、それとも人生の運を使い果たしたのか、私はそこに選ばれ、ワタナベエンターテイメントの所属芸人となってしまったのである。事務所名、言っちゃった。ちなみにこれは一世一代の大自慢(おおじまん)だが、今をときめく「ハナコ」の岡部氏が当時組んでいたコンビの次点、ナンバー2の成績での所属だったと聞く。
だが、そこからが地獄であった。養成所は金を払って通うもの、いわば学校であり生徒はある種、お客さんだ。しかし事務所に所属してしまえばその立ち位置は一気に「新入社員」となる。(給料は小遣いレベル)ライブの手伝い、ネタ見せ、先輩への挨拶とコミュニケーション、ここで私はバカみたいに怒られ続けた。牛乳とアンパン買ってこい的下っ端仕事がまるで出来なかったのである。成績はNo.2でも人としてはドベだ。しかも私にはえげつないバックれ癖がある。ライブとか普通に休むようになり、遅刻も増え、ささくれ、という単語の後に叱責が続くことが当たり前になるまで、そう時間はかからなかった。本名の時と明らかに同じ現象が起きている。
2度のトラウマを経てナベプロをあっさりとバックれ、数年後、気まぐれにYouTubeなどカマしてみっか、となった時、私は怒られる以前に、絶対この名前で呼ばれる事すら憚られるハンドルネームを付けようと思った。それが「うんこ大名行列」である。
実社会ではむしろ速攻で怒られる名前だが、所詮一人で行うYouTubeである。洗剤を食う、小便を飲む、使用済みタンポンをしゃぶる等の、根性さえ伴えば誰でもできる動画ばかり撮っていたが、数万再生程度には出世することができた。しかし再生回数が上がればいわゆるアンチコメントも増える。小便一気など配信していれば尚更だ。しかし、それらには一度も「うんこ」という呼称はついてこなかった。やった。私は勝ちを確信した。
これが私の命名遍歴である。うんこというワードを言わせてまで怒られるようになったら、もう「穢多 避妊子」みたいなエクストリーム差別用語を使用するしかない。