食物の人生(仮)

こんにちは。三度の飯には必ず納豆。
納豆巻きと申します。

人生19年、もうすぐ20年目に突入する私ですが、未だに自分の事が分かりません。
よく「自分の事は自分にしか分からない」という言葉を耳にしますが、自分にも分からないのです。幼い頃からインターネットがあってずっと何にも流される食物だったので、今も毎日毎日揺さぶられるばかりです。
他人に聞いたって分かるはずがありません。
誰にも見つけられない、自分自身ですら分からない自分って可哀想ですね。

それはさておき、先日の投稿で「好きな人達について話したい」と申しました。が、打ち込んでいるうちに私は“好き”を語るのが下手くそだと判明しましたので、あまり詳しくは書けないかもしれないです。負の感情の方がつらつらと出てくる、そんな食物でした……。
そして、思いのほか反応をいただけた事がなにより嬉しかったです。少し恥ずかしくもありますけど。
本当にありがとうございます。

私は何かと堅苦しい食物でして、このように変に堅い敬語ばかり使ってしまいます。先生や先輩はもちろんのこと、後輩にも。
お酒も煙草も20歳から。学生時代もスカートを折ることなく、ルールに厳しく生きてきました。周りに指摘されるほどには。
私はそれが正しいと思っていましたし、堅く生きた方がちゃんとした人生を歩めると思っていました。

さて、“ちゃんとした人生”って何でしょう?

私は堅く生きてきて今日を過ごすまでに、何度も何度も人生を終わらせようとしてきました。学生時代から、早く死にたいと泣きながら首を締めてきました。そして2019年、私は鬱病を発症しました。原因は詳しく言えませんが、大きく言えばハラスメント行為です。先日の投稿では田舎の事務員をしていると書きましたが、今は病院へ通いながら長期の休みに入っています。(流行病のせいもあり、タイミングが良いのやら悪いのやらですが)

あぁ、これ以上深く掘ると巻物レベルのnoteになってしまう為、詳しくはまたいつか。
そんな私を救ってくれている好きな人達についても少しずつ、またいつか。

それでは、失礼致しました。