マイノリティに関係する制度変更の推進について
昔、日本のツイッターで大変話題になった同性婚関連の動画があります。
この動画を見た当時は、なるほど外国の議員は演説が上手いものだ、日本でも同性婚はこのようにして推進されるべきだと感心しただけでしたが、最近になって、単に同性婚に留まらない、なかなか示唆的なことを言っているなと思うようになりましたので、そのことについて書こうと思いました。
この演説で特に端的にメッセージを示している箇所を抜き出しますと、
反対する人の多くは、法案が通ることで社会にどういう影響があるかに関心があり、心配しているんでしょう。その気持ちはわかります。自分の家族に起こるかもしれない「何か」が心配なんです。
今、私たちがやろうとしていることは「愛し合う二人の結婚を認めよう」。ただそれだけです。
この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
「恐れることなかれ」
このあたりでしょうか。
温度差の魔拳と新たなフェーズ
さて、同性愛者は全体からするとマイノリティだと思うし、その全員が結婚するわけでもないので、同性婚について、「関係のある人は少数で、関係のない人が社会の多数派である」という前提に立つことができると思いますが、すると、
この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
この(同性婚の)法案は社会の一部の当事者にとっては素晴らしいものであり、その他の社会の大多数の人にとっては何の変化ももたらなさないものだと考えることができます。だからどうするべきとか以前に、これっていつものマイノリティ政策あるあるなのではないかと思うんですよね。例えば駅などに視覚障害者用の黄色の点字ブロックを敷いたら、当事者にとってはプラスですが、それ以外のほとんどの人にとってはどちらでもあまり変わらないことです。となると、なかなか当事者以外の人はそもそも点字ブロックについて考えないですよね。つまり、影響があまりないので、関心も高まりにくいだろうと思います。それで予算がつかなくて普及が進まなかったりとか。普通はそこで悩むと思うんですよね。当事者と社会に温度差があって、「どうにかして関係のない人にも関心を持ってもらいたい」みたいな悩み方をするのが、あるあるなのだと思うんですよ。
ところが、今回の同性婚の話はちょっと方向性が違います。違うフェーズに入っているというか。「関係のない人が関心を持って抵抗してくるのが逆に困る」 のですよね。関心を持って賛成してくれるならいいんですけど、結構、関心を持って反対してくるんですよね。
恐れることなかれ
そういうわけで何とかしてその「関係ないくせに口出ししてくる邪魔な人」を説得しないといけない。そこで、「関係ない人には何の変化ももたらさないので関係ない人は恐れることなかれ」、という演説が必要なのだということだと思います。
これも他の運動でも似たようなところがあると思っていて、例えば選択的夫婦別氏(姓だと同性婚の性と音が同じで紛らわしいので氏と表記します)の話題ですと、「別に全員が別氏にしろと言ってるわけじゃなく、選択できるようにするだけなのだから、同氏がいい人はそのままでよいので、どうか反対しないでくれ」という主張をしているように思います。
重要なのは、「これはパイの取り合いではない」ということですよね。予算をどう振り分けるかみたいな話だとこういう風に進めることはできないけど、これはゼロサムじゃないから大丈夫なんですね。
そしてそういう社会のパイの取り合いではない構造を元に、「あなたは損しない」という個人への影響の話に持って行くのが面白いですよね。
自分(の家族)が心配
反対する人の多くは、法案が通ることで社会にどういう影響があるかに関心があり、心配しているんでしょう。その気持ちはわかります。自分の家族に起こるかもしれない「何か」が心配なんです。
演説を再掲しますが本当に示唆的ですよね。だって
法案が通ることで社会にどういう影響があるかに関心があり、心配しているんでしょう
と
自分の家族に起こるかもしれない「何か」が心配なんです
は文章のつながりとして自明ではないですよね。本来は社会=自分の家族ではないもん。私はウィリアムソン議員を批判したいわけじゃないしこの文章が間違っていると言いたいわけでもありません。社会の心配をしているように見えたとしてもその実自分の心配をしている、というのが本当かどうかはともかく、そういう前提に立って話を進めているから、「あなたは損しない」という個人への影響の話が有効な説得として登場するのだと思う、ということが言いたいです。これは多分、多数派の個人へ向けての話だからこそ成立すると思うんですよね。少数派の人は社会に対する所属感が持ちにくいだろうから。
関係ない人には関係がないのか?
一応言っておきますが、私は同性婚に反対ではありません。でも実は、この、
「あなたは損しない」を反対派に対して強調しつつマイノリティ政策を推進する
というやり方は、説得はできるかもしれないけど、長期的に見たらよくないやり方なのではないかと思います。
そもそも、私たち人類はマイノリティを差別する政策に対し、「自分は損しないから」「自分にとっては得だから」という理由で、推進し、多くのマイノリティに犠牲を強いてきた歴史を持っています。恐ろしいのは、少なくない差別政策が、表面上はむしろそれらのマイノリティに対する救済であるかのような体裁を取っていることです。ユダヤ人を絶滅収容所に放り込んだり、共産主義者を拷問したり、知的障害者を断種させたりした人類の過ちから学ぶべきことは、直接自分に悪影響のないことであっても、次は我が身なのではないかという姿勢で、その問題についてよく考えて判断すべきだということであって、自分に関係ないなら深く考えなくて良いということではないと思います。だから、「私の損にならないのでOK」という理由で安易に賛成する人を増やすのは、良くないのではないでしょうか。
では何を根拠に推進すれば良いのか?
ウィリアムソン議員の演説はとても示唆的なので、ちゃんと言ってるんですよ。
今、私たちがやろうとしていることは「愛し合う二人の結婚を認めよう」。
これが最重要ポイントですよね。
マイノリティに関する政策を云々しようという時に、それがマジョリティにとって損とか得とかそういうことはおまけのようなもので、それが当事者にとって損にならない得なことなのかかが重要なんですよ。おちついて考えたらそれが正論ではないかと思います。
だから、例えば同性婚を認めることで同性愛者が損するパターンはあるのかとか同性婚が認められると同性愛者にとってどれだけ有意義なことなのかという議論を行うことに終始するべきなのではないでしょうか。慎重に丁寧に深めてやらないと、実は損なことをうっかり実行してしまう可能性もあるんですよ。話題が同性婚だとぴんとこないかもしれないですけど、精神病の脳外科的治療とかだったら、慎重に議論すべき理由がわかりやすいでしょうか。で、こういうのってアバタもエクボというか、進めている人にはなかなか欠点が見えづらかったりするから、冷静さが求められると思うんですよね。そして、当事者こそ最大の専門家ですから、常に議論の中心に当事者がいる必要がありますよね。そういう議論をしていないと思ってるわけじゃないんですが、そこから離れず終始することを重視したいです。マジョリティの生活に変化がなく損することはないと説得する状況というのは、本来あるべき議論の座標が、マジョリティの側に移動してしまっている状況なのではないかと思いますし、その時点で既にマイノリティにとって不利というかおかしな状況なのではないでしょうか。
そして、その分野のマイノリティに該当しない人へのアピールというのは、あくまで、マイノリティの権利擁護を社会がマイノリティ目線できちんと行うことが巡り巡ってそのマイノリティ分野に該当しない人たちにもメリットになりますよ、というような長期的な内容であるべきで、短期的な損得の話はしない方がいいのではないでしょうか。
結論:とはいえ・・・・
とはいえ、それは本当に硬直的な論でしかなくて、じゃあ、マイノリティにとっての損得の話に終始したら現実的に説得できるのかと言われると、それは難しいかもしれないな、とは思います・・・。結婚したい同性愛者の人たちは、数十年後に結婚したいわけではなく、今すぐ結婚したいのであって、急ぐ必要はあるでしょう。
ただ、マイノリティの権利を擁護していきたいあまりに、拙速にマジョリティにおもねった説得手法へ傾いてしまうと、マイノリティを差別するような政策への社会の抵抗力が乏しくなるのではないか、というリスク意識を持って説得して頂ければ幸いです、というのがワタクシの弱気な結論でございます・・・。
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