私の悩みは、”悩み”に値しない?

今初めてPCでnoteを開いてみました。

何か思ったことがあったとき、何度か記事を書こうとしているのですが、なぜか長続きせず途中で断念してしまうことが多く、下書きばかりが溜まってきています。

コロナ禍にあって有り余るほどの時間がある中、誰と話すわけでもない毎日になんだか疲れてきました。

大学の友人と話すこと、高校の友人と話すこと、部活の先輩と話すこと、バイト先のおばちゃんと話すこと、彼氏と話すこと、家族と話すことって違うじゃないですか。

明確に分類しているわけでもなくて、あの人とこの人に話すことは被っていたりもするけれど。

今自宅で過ごして、家族以外の人と最後に会ってからちょうど1か月になりますが、家族以外の人に話すことが積もり積もって自分が何を考えているのかが見えなくなってきたことにストレスを感じています。

なのでもう少しこのnoteという場所を有効活用していきたいです。

今日はテーマを絞らずに今後のnoteでどんなことを書きたいかなあと脳みその真ん中より後ろのあたりに一枚紙を挟みながら徒然なるままに書き記そうと思います。


人生の中で、しかも大学3年生の春にこんなことが起きるなんて一体だれが想像していたでしょうか。

中国や韓国、欧米諸国はなんとなく制限が緩和への方向へ向かっている中、日本は今から更に1か月ほど自粛を続けようとしています。

それ自体に不満はありませんし、仕方のないことで、今緩和させた結果この1か月が無駄になるくらいだったらあと1か月くらい我慢してやらぁ!と思っています。

医療従事者の皆さまや基本的な生活基盤を維持してくださっている皆さまには頭が上がりません。そのような方々のためにも我慢くらいしなければなりません。

更に言うと大学3年生の私は特段このピンチに困っているような立場ではありません。

大学4年生は就活に苦労しているでしょう。高校3年生は大学受験に大きな不安感を抱かれているでしょう。

この春から新しい環境に身を置く(予定だった)、小中高大の新1年生、社会人1年目のみなさんは何がどうなっているのかも分からないままサーバー上での情報収集、勉強、会ったこともない友人とのやり取りに疲弊されているでしょう。

仕事がなくなり明日の、今日のご飯を心配しなければならない人も多いでしょう。

上げればキリがありませんが、今年度分の学費も親に納入してもらい、販売スタッフのバイト先からはお休みになってしまったシフト分以上にお給料をいただくことができ、インターンの方もリモートで働くことが出来ます。

来年の就活が不安ですが、4年生よりは今抱く不安感は少ないでしょう。

大学の授業がどのように受けられるのかいまだに分かりませんが、履修登録の仕方はわかるだけマシでしょう。時間割の相談をする同じ学科の友人がいるのは幸せなことでしょう。

私なんかが悩んでいる、ストレスに陥っている場合ではなく、誰かに吐露していい立場にもないことは分かっています。


それでもこの状況はしんどいのです。

こんな私でもしんどさを感じるのです。

ツイッターのトレンドを見ると「あの人がコロナなのに〇〇へ出かけたらしい」、「政府は何をしているんだ」、「この発言は不適切だ」、もっと過激な言葉で人々がけなし合っています。

ワイドショーを見ると、四六時中コロナの話ばかり。

家族ともう話したいこともないのに食卓を囲まなければなりません。

一人で散歩に行くと「何かあったの?!」と過剰に心配されて、特別何もなくただ日にあたりに行っただけなのに悩み事があるんだと言われます。

緊急事態宣言が出る前に一応仲直りしたはずの彼氏とは1か月も経ったのにぎこちないままです。

この時間を有効活用しなきゃいけない!という焦燥感が絶えません。

勉強しなきゃ、本を読まなきゃ、就活しなきゃ、部活の活動をしなきゃ、趣味を持たなきゃ、食事に気を付けなきゃ、運動しなきゃ。


しかしこんな当たり前のちっぽけな悩みなんて誰が聞いてくれるのでしょうか。

もっと困っている人がいる、生活できない人がいる、なんて言われたら上記したようなことなんて、なんてことない。

今をそれなりに嘆きつつも、ポップに明るくおうち時間を満喫しているように見せなきゃいけない。

SNSでマイナスなことを書くのはダサい。


そんな”当たり前”の悩みは人に言う価値がない。

言う相手もいない。

自分で消化するしかない。

こんな風に思っている人、たくさんいるんじゃないでしょうか。


私はこのことに恐怖を感じます。

こんな状況、誰だって苦しくて仕方がないはずなのに、他人になんとなく「大したことない」で括られてしまう状況って怖いです。


誰かにぶつけてしまう前に、

画面の向こう側の人のことばかりに気が向いてしまう前に、

自分のことを慰めてあげてもいいんじゃないでしょうか。

今の自分に寄り添えるのは自分しかいないと思います。

私が私の悩みを聞いてあげることくらいは許される社会であってほしいです。




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