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火焚祭_占い師の日記

占いで、たぶんやっていくんだな、
と解ったのはとても昔だが、
その少し後に、佐賀の占い師の方に「あなたはある場所で火を見ると人生が変わる」と言われたことがあり、
ああいう霊言は何故か言われた直後は忘れて、
いざその時が来る直前に思い出すと、
次の日、それが成就するものである。

「スピリチュアルメッセージは、自分が今、違うと思っても、とりあえず受け取っておいてください。
録音してももちろん良いです」

とお伝えするのはそういう理由である。
(本当はカタカナのスピリチュアルメッセージより「霊言」と言いたいのだけど、
なんだかオカルト要素が強くなりそうで)

その佐賀の占い師さんの霊言がピタリと当てはまる場所にて、火を観た。
巫女舞も観た。
剣と炎。

随分、昔の自分の前世で、非常に既視感があるような、あれだけ熱い火を見ても怖くないし、
逆に巫女舞の剣は柔らかな動きなのに、
斬られそうで怖い。
何か、自然を信じていたのに人に裏切られた、草原に横たわってそのまま暗転するような自分を思い出す。

絶えず天気予報にない小雪と、
風も無いのに自ら揺れる松林と、
響き渡る祝詞と、

ああ解った気にならなくて良いという安心感と、
現世にはない「悠久」の概念が、
その流れつつも止まっている時の概念を、
人は「神」と呼び、何とかそれに様々な呼称を付けて、祀り、神社にしたのだと思う。

焼き尽くせ焼き尽くせこの世の理不尽全てを焼き尽くせ焼き尽くせ、
いつも優しい笑顔の宮司の方の厳しい顔、何も祝していない祝詞、燃える護摩木、人の邪念、愛情、愛憎、憎悪、増愛、平等に焼き尽くす炎は見事だった。
美しかった。

私の人生が変わったか?
それは、まだ…むしろそんな秒速で人生が変わったら占い師と言えど困るのです。

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