龍は語る 2024年正月
昨年の半ばに某所からコラム記事ひとつ依頼を頂く。「来年は辰年だがどうなるか」というテーマだった。
筆は早々に進み、テーマを頂いてから2時間後には納品してチェックに回して頂く。
辰年というと「昇竜」など縁起が良く強いイメージがあるが、どうにも最近の国際情勢や国内情勢見ると、龍は全く別のメッセージを持っているような気がして、単なる開運や縁起物ではない辰年の言葉を書きました。
そうしてテレビを見ていたら、1月1日に今回の地震。
「○○日」という開運日について全否定するような出来事が起きる。
心配である。
その前日の大晦日には、大好きな「ゆく年くる年」を横目に、0時に間に合うように氏神様の神社にお詣りに行く。
幽玄な夜の神社の提灯が大好きである。
神社は基本的には朝から昼に行くのがおすすめで、魔の時間帯の夕方以降は悪念に影響される可能性がある。ただし、初詣だけは別とされている。
小さな境内に3つの社があり、本殿の頭上の鏡に暗がりに浮かぶように自分が映る。
眠そうな幼子を抱いた親子連れや、年配の夫婦を見る。
前は列が出来るほどであったが、今年は少ない。
月虹が綺麗で、年に1度出てくる提灯と丸い月が対になるように写真を撮っているうちに境内には一人になって、暖冬の正月の息吹だけを感じる。
ふと鳥居を見ると、年配の女性が少し急な石段を上手に上がれず、鳥居そのものを潜れないようであった。
「肩を貸しましょうか」と言うと、その女性は驚きながらも「よろしいのですか、ああ、ありがとう」と言ってくれる。
私が善人なのではなくて、神社ではこういうときはそういう風に振る舞うものだ、程度の親切なので礼を言われる謂れもないまま、そのままその方の女性の参拝に同行した。
「私はお金はあるけど、あんたが肩を貸してくれたことが何よりも嬉しかった」と、帰りに石段で言われる。
「あんたは、神様の仕事をしたんや、あんたは神様や」
そんなに喜ばれるとバツが悪いが、
要はこういうことです。
目の前で困っている人を助けることが出来るか。
自分以外の者に目を向けられるか。
我々は地震と津波を起こすような神を崇めながらも、
現世利益を願って、一緒くたにお賽銭を投げ込み手を合わせてきました。
でも、人を助けられるのは人です。
自分の中に神仏を持てるか否か、鳥居の中にしかいない神様に頼るより、まずは自分の中にいる神仏を信仰して、たとえば、街を壊し人を死なせる自然神がいるなら、我々は自分の中の神性や仏性を信じて、募金してみませんか。
自分に投資するより、よほど徳あることです。
募金はコチラ→Yahoo募金令和6年能登半島地震緊急支援募金
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