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掌編集


ゆめのあと


先生は作家になりたかったんよね? と彼女は言う。恥ずかしげもなく夢を語れたほんの数年前の私のこと、今もここにいる私のこと、そういうのを全部見ているくせに、何のためらいもなく過去形にしてしまえる彼女の青さ残酷さ、そのひとつひとつにいちいち折り合いをつけながら、大人として笑う私に彼女は続ける。

「先生、うちのこと書いてくれへんかな?」

何を? と尋ねると、何でもいいと言う。私の生徒だったころとても長かった髪はびっくりするほど短くなって、むきだしの首が寒々しい。「何でもいい。久しぶりにうちを見た感想でも、昔のうちの思い出でも、何でもいい。そういう、うちのことばっかりいっぱい書いてあるものを読みたい」
校舎の電話が鳴ったけど、ワンコールで留守電に切り替わる。『本日の営業時間は終了です』機械を通した私の声を、ふたりきりでただ聴いている。
2019.3.21

砂の城


長いこと生きているから、と老嬢は言う。赤いマニキュアで隠れているけれど、伸びた爪の先には砂がたまっている。「長いこと生きているから、波が止まないことは知っているの」しなびた指の隙間から、砂を零しては細く山を築いていく。「うまくいきっこないってわかっていても、これやらないとこわいのよ」

幅広の帽子に、頼りない生地のワンピース。白髪(はくはつ)を潮風になぶらせて、老嬢はいつも波打ち際にしゃがんでいる。おおよそ、まともそうには見えない彼女のことを、知らないふりして人々は通りすぎてゆく。「こわいの。つくらずにいた日はずっと、もしかして今日ならうまくいったんじゃないか、今日がその日だったんじゃないかって、眠れなくて」はだしの指で砂をかむ、老嬢のあしは留まることにすっかり慣れている。「ダメになることよりもずっとこわい」砂の城はただ細い細い砂の山として、波に打ち壊される瞬間を待っている。今日もじきに潮が満ちる。
2019.3.22

背表紙は誘う


装丁の美しさを目で味わう。紙のなめらかさを手が喜ぶ。題名を何度もつぶやいて、想起するイメージに恍惚とする。でも、その本は一度も開かない。あるはずの物語を、いつまでも私は知らずにいる。

本をくれたのはせりちゃんだ。自分でお金を出して刷ったという作品集は文庫本サイズ。「いままで書いたの掻き集めてみたけどぜんぜんページうまらなくて、部活で書いたのとか全部載ってるよ」せりちゃんは笑う。私が昔からずっと、せりちゃんの作品を読んだふりし続けているのを、知っているのかもしれない。「少ししか刷ってないんでしょ、いいの?」気遣いのつもりで尋ねるとせりちゃんは優しい顔で笑った。「作品より自分を愛されたい時もあるよ」

一度も開かない本はよく移動する。本棚に、机に、浴室の入り口に。手にとって運ぶのに開くことができないのは、そこに発生する何かを知ることがこわいから。
2019.3.24

叔母さん


気に入らない奴はね、頭ん中で殺せばいいのよ。精神の自由は保障されてんだから、と叔母さんはお酒くさい息を吐きながら言った。だいたい叔母さんという生きものは、親よりしっかりしていなくて世間からズレていて妙なことを吹き込んできて、そして美しい場合が多いのではないかと思う。

気に入らないわけではないけれど、実験のひとつとしてあの子を殺してみることにした。殺せなかった。ただ頭の中で、彼女のいない世界が広がった。殺したわけではないのになぜか彼女はいない。そう思うと世界は新しく見えた。鮮やかにもモノクロにもならなかったけど、今までとは確かに違っていて、何よりやすらかだった。「やってみた?」叔母さんの声に頷く。もういない彼女を悼むだけの世界はとても甘やかに見えた。「ダメだね」叔母さんは煙草に火を点ける。「あんたは想像力も人生経験も足りないね」叔母さんは、こういう傷つけ方がうまい人が多いと思う。
2019.3.26

四月の雪


桜の花に雪が降る。空は薄い灰色でやたらと明るくて、ほころんだ花びらが凍てついて一回り小さく見えた。嘘みたいな景色をあの子と二人、手を繋いで眺めた。数日前に卒業したばかりの学校の制服を未練がましく着込んで、やっぱり恥ずかしくてダッフルコートで隠していた。あの子はきれいだった黒髪を茶髪に染めたばっかりで私はピアスを開けたばかりだった。私はあの子に「似合うね」って言ったけど、あの子は黙って私の耳たぶをつまんだだけだった。

明日には『五月下旬なみ』の気温になって、この雪はとけてしまうと聞いた。こごえた桜は、あっという間に新緑へ姿を変えるだろう。「嘘みたい」あの子は呟く。指の先どうし引っかけただけの脆いつながりが、二人の影と影を細く結んでいた。眩しい。空から湧いてくる羽根みたいな雪。縮こまる桜。コートの裾からのぞくあの子の白いひざ。何もかもがやたらと明るくて、勝手に涙が出てしまう。
2019.4.5

涙の日


好感は抱いているけれどそんなに親しくない、連絡先を交換したばかりの女の子から急にメールではなく電話がかかってきて、寝ぼけた声にならないように、それでいて不機嫌に聞こえないように、わざわざベッドの上に正座して電話をとった。「もしもし?」おなかの下にへんな感じがあって、もうすぐ生理がくるなぁとか考えていたことを覚えている。

「先輩が死んじゃう夢を見たんです」

いやいや勝手に殺すなよと笑いながら、なんか可愛いなと思ったことも覚えている。あの頃は彼女が、私と付き合っているひとに横恋慕していたことも、私とそのひとが別れてから、そのひとの次の恋人に彼女がなることも、知らなかった。(マジで死ねと思われてたのかな)なんてぼんやり思うとき、ふとよみがえるのはあの時確かに泣いていた可愛いあの子の声。私が死ぬ夢を見て、目が覚めて、何があの子を泣かせたんだろう。おなかの下にへんな感じ。今月もまた、飽きもせず。
2019.4.6

ごっこ遊び


服を脱げば我々は等しいのだと、眼鏡をかけた老人は言った。貧富も身分もなく、ただ生けるものとしての喜びを分け合えると。老人は至極真面目な顔をしていたけれど、付き添いの中年女が慌ててやって来て彼を家の中へと押し込んでしまった。「もう普通じゃないの、ごめんなさいね」と。

遊びを中断された格好の私たち  近所の子どもばかり、親しい子もそうでない子もいた  は反応に困り、なんとなく笑ってうやむやにした。私たちには貧富も身分もまだ遠く、服は着ていて当然のものだった。

こんなことを思い出すのは、今の私の選択にルーツを求めるようであさましい。私は私の、彼女は彼女の意思や哲学があり嗜好がある。

「全然、等しくはないね」

あの頃は親しくなかった彼女がわらう。服を取り払ってもまたべつの差異は現れるし、喜びの分配は必ずしも等価でない。言葉と思想と秘密があれば、私たちはまだ普通のひと。
2019.4.11

悪いふたり


あの日、霊園の真ん中にある一本道を自転車でずっと走り抜けたのは、髪についた煙草のにおいを消すためでした。夏の夕ぐれ雨上がり、湿度の高い風を自力で起こしながら、叫びたいような笑いたいような気持ちで。

わるいことはぜんぶやってみようねって、私とあの子は決めたのでした。一緒に通っていた塾をさぼり、母親が夜勤でいないあの子のうちに上がり込んで。あの日くちにした銘柄、今はもうありません。煙草は火を点ける前の方がずっと良いにおいがする。それから、親の会員証をくすねて借りたR15指定の暴力映画。固唾をのんで一緒に観ていたはずなのに、飽きちゃった、とあの子は二階の自室に引き上げました。それを追って私もあの子の部屋へと入り、階下から聞こえる悲鳴や銃声を可笑しがりながら、私たちは互いの肌に触れました。あの日自転車を力いっぱい漕ぎながら、消そうとしたのは煙草の残り香と家とは違う石けんの匂い。夏の夕ぐれ、雨上がりの隠し事。
2019.4.12

目病みおんな


朝礼で倒れるタイプの女の子になりたかったのに、現実は鼻血が出るのがせいぜいだった。つらいときはやつれるよりもやけ食いで太るタイプ。風邪を引いても寝れば治るし、涙を流すともれなく鼻水がついてくる。心身ともに丈夫なのは有難いことだけど、何につけてもどうもキマらない。だから、あの子が貧血を起こして座り込んだとき、悲しくて食事がのどを通らないって静かに涙を流すとき、心のどこかにいいなぁって思いがある。良いわけないのに。加えてちょっとした妬ましささえ感じてしまうのだからやりきれない。

「いつもごめんね」

熱を出して潤んだ目をしてあの子は言う。弱いあの子に、私はいつも優しいから。うんと甘やかして気を回して、いいひとみたいにしているから。

「早く元気になってね」

私はにっこりする。嘘くさい言葉だけど、言葉自体は嘘じゃない。
(いつも、ごめんね)
2019.4.13

根づまり


一度だめになったはずの植物が、再び芽吹くことがある。根が生きていればだいじょうぶ、と、あたり前みたいにひとは言うけれど、わたしにはうまく見分けがつかない。あきらめるタイミングをつかみそこねて、捨てられずにいる鉢がたまってゆく。生きているのかどうかわからずに、マリモの入ったびんの水を替えつづけた頃と変わらない。

生きてたんだ、と、なんでもないことみたいに電話のむこうで彼女は言う。削除するタイミングをつかみそこねて、残したままの連絡先。不意の着信履歴は気まぐれでさえもなく「まちがい」とあっさり言う。折り返した自分がばかみたいだ。元気なことは声を聞けばわかってしまったし、会いたい、と言い切るのも、会いたいね、なんて同意を求めるのも私たちの間では正しくない。ただ沈黙しながら、まだ切らないで、と祈るような思いでいる。電話のむこうに、じっと耳をすます。乾いた土が濡れたときの、湿った音がする。
2019.7.17

ものごころ


ごめんねごめんねって、あの日ちえちゃんは泣いていた。「りっちゃんはさ、私のことがすきだからこういうの、我慢してくれてたんだよね」自分が我慢をしていたのかどうかはわからなかったけれど、ちえちゃんのことがすきなのは合っていたので頷いた。「ごめんね」ぽろぽろ涙を流すちえちゃんが気の毒で、わたしは裸のままいつもみたいにちえちゃんにキスをした。それでおしまいだった。四つ上のちえちゃんは、いつも先に「卒業」してしまう。わたしといえば、自我のはんぶんくらいはあの気まぐれな幼馴染に預けてしまっていたので、ずいぶん長いこと自分の気持ちに気がつけずにいた。ちえちゃんが男の人を連れて歩くのを見ても、ちえちゃんのお腹がふくらんでも、何をどう感じることをちえちゃんが望むのか、そういうことばかり考えていた気がする。わたしの半分を持ち去ったままのちえちゃんは、泣き止まない生きものを一生懸命あやしている。
2019.7.18

楽園の保存法


唇から砂糖がこぼれおちるようになったとき、私は一人きりだった。暑い日がつづいていて、世の中は塩分が不足している。皆が欲しがっているものとはちがうのに、私からはどんどん砂糖がこぼれ落ちてくる。気付かれないように、注意深くしょっぱい顔をしつづけた。ある日、あの子は私を見つけてくれた。「私もなの」と密かに分け合った甘い味。塩の結晶があちこちで飾られたこの世間で、あの子が私の居場所になった。けれど、秘密は長く守られなかった。あとからあとから、砂糖を吐く女は現れた。一人一人をつかまえて、色味や粒のかたちを比べ合い、いびつなそれを排除した。あの子は甘い甘い特上のそれをふりまいて、気付けば皆の女王になった。

(はじめに砂糖を吐いたのは私なのに)

友だちだったはずの私は、あの子のために質の悪い砂糖を選り分ける。異物を見つけなくては、私の粒の形も彼女のそれとは違うのだから。胸焼けがひどくて、涙も出ない。
2019.7.24

青と心


何度も読み返している漫画から、四つ折りのメモがすべりおちた。何度も読み返した小説についての考察や感想なんかが書かれていて、だけど明らかに私の字ではない。もう、ほんと、やめて、と思うのに、思い出がちゃんと筆跡の主をさぐり当てる。ものをよく知っている子だった。善人ではあるけれど、そしてまちがいなく優しかったけれど、上っ面の言葉で良しとしてくれない厳しさがあった。あの子の『大切なひとたち』の中で、私は新参者だった。だから可愛がってくれた。受けとるものが多すぎて、自分の底の浅さがいやになって、私はべつのエリアに逃げた。気がつくと私は排他性の外にいた。内側に居れば見えるはずの光が、はじかれた外からはつまらなく見えて、そんなふうにしたあの子を、そんなふうになった自分を、悲しんで恨んでぜんぶ忘れることにした(何かを忘れるとき、私はすごくいやな人間になる)。

私宛でないメモを、愛しい本にとじこめる。
2019.9.22

ウミウサギはただ跳ねる


「ウミウサギを見た者は」「どうなるの」「ちょっと寂しい気持ちになる」「なにそれ」

呆れた声になる私に、彼女は「見たくらいで何か起こってほしいなんて、無茶ぶり」と諭すようなことを言う。赤いリボンのウミウサギ。私たちの制服から彼女がイメージしたこの妖怪は、夕方の海で時折跳ねているという。ちょうど、いまくらいの時分。

「何のために」と尋ねると「怪異に意味を求めるの、野暮」とまたかわされてしまう。お喋りで想像力豊かな彼女は、肝心なところは何も言ってくれない。たとえば卒業後のこと。

いつまでも手を繋いでいられると思っているわけではないけれど、『特別』を欲しがる浅ましさを私だけが持て余している気がしてやり切れない。「ウミウサギはただ跳ねる」彼女は言う。きっと何年か経って、私たちがこの海辺に寄りつかなくなって、今日のことをあっさり忘れても、夕方の海でそれは跳ねているのだろう。赤いリボンを弾ませて。
2019.9.24

蝶々は偏食


蝶々は偏食なんだって。と叔母は言った。叔母は正確に表現をする人だったので、子どもに対しても「チョウチョ」ではなく蝶々とはっきり発音したし、「~なんだよ。」とひけらかすようにではなく、きちんと伝聞のニュアンスで話した。叔母いわく「頭に入っているだけのことを『知っている』とか『わかっている』と思い込むのはみっともない」。

蝶々には前脚のところに人間の舌と同じようなはたらきをするものがあって、そこを使ってどの蜜を吸うべきか判断しているらしい。のべつまくなし、手当たり次第、というわけでなく。そういう話を聞きながら、私は「きれいなものは好き嫌いしていいんだね」と言った。私は叔母の姉であるところの私の母から厳しく偏食を咎められていて、叔母はとても好き嫌いの多い人だったから。叔母が何と言ったかは忘れてしまったけれど、鼻で笑ったことと、その時吐き出された煙草の煙を覚えている。きれいなものは命がみじかい。
2019.11.13

女の勘は大体当たる


結婚を夢見ることはしたけれど、真剣に考えるにはまだ遠い学生時代のことだったから、恋人の母親だったあの人をおかあさま、なんて呼ぶことは出来なくて、直子さん、と名前で呼んでいた。

直子さんとは、彼女の息子である私の恋人と三人で連れだって旅行に行ったことも、恋人ぬきで出かけたことも、ある。恋人は男ばかりの兄弟で、長兄も未婚だったから直子さんに娘はいなかったけれど、娘のように、という感じで接してくれたわけではなく、かといって友達というのでもなく、たとえるなら旅先で親密になった現地人みたいな、すぐに離れるとわかっているからこその奇妙な慕わしさ。

直子さんと私は一緒に美術館へ行ったり、恋人が寝たあともエコノミークラスのシートでひそひそと話し込んだり、した。「これは絶対必要だから」と出発ロビーで直子さんがくれた着圧ソックスが、恋人と別れたあともしばらくクローゼットに残っていた。
2019.11.19

はじまりのよる


もつカレー、という、馴染みのないそれは、名前の通りモツ(豚のだと思う)の入ったカレーで、「おいしいんだよ」と言って先輩が作ってくれた。先輩がひとりで住んでいた部屋は元々和室だったのを洋室に変えたばかりのようで、建物自体やドアノブなんかのこまごましたところは古いけど、小ざっぱりしていてやたらと広いダイニングがある。元々通学に二時間くらいかけていた先輩は、卒業まであと一年というところで大学からほど近いこの家に越してきた。キャミソールワンピースとモコモコしたパーカーの、いかにも、という感じのルームウェア。パーマの緩んだ髪をまとめることもせず、モツの浮いた鍋を見つめていた。

もつカレーは、おいしかった。「唇の大きいひとが好き」と言いながら、先輩は何パターンもの石原さとみの画像を見せた。熱心に石原さとみを見ている先輩のうすい唇が渇いていて、私は妙にさびしくなった。
2019.11.23

命よりも長い時間


誰かのファンタジーで居ようと思うなら、本当のことを言ってはいけない。ことば自体少ないに越したことはないのだし、そもそも姿も見せない方がいい。そう話していると、あの子はメソメソして「じゃあ誰が私をおぼえていてくれるの?」と言う。「本当のことなんてあるの?」とも。こんな風に整然とことばを紡ぎながら、涙だけ上手にはらはらと落として見せるから恐れ入る。良い方向に『ふつう』から外れたあの子と最後に会える日曜日。「たくさんの人があなたを想像するし、たくさんの人があなたを心に宿すでしょう。でもそれはあなたそのものとはちがうから、不安になるかもしれないね。それでも、そのたくさんのまぼろしはあなたが居なければ無かったものだから。だから……」慰めも、教訓も、もう届かない気がして口をつぐんだ。

偶像とも人柱とも似て非なる、美しくさびしいものとなり、あの子は時間を超えてゆく。
2019.12.11

生体認証


Aちゃんと私は幼馴染なのに、覚えている思い出は全然ちがう。私にとってはとても大切な約束を、Aちゃんは簡単に忘れてしまう。

Aちゃんが覚えているのは出来事の端っこばっかりだ。幼稚園でよく吐いた男の子のこと、小学校の近くによく居たいつも同じ格好の女のひとのこと、中学校の先生のまぶたがよくけいれんを起こしたこと。同じ場面をみてきたはずなのに、回想はちっとも重ならない。私の記憶には、きつく髪を編まれたAちゃんの横顔や、あきすぎた袖からのぞく生白い腋なんかが残っているけれど、Aちゃんの中に私はいないんじゃないかと思えてしまう。唇を重ねた時にやっと、Aちゃんの目線は私に注がれる。ゆっくりと私の名前を呼ぶ。まるで、やっと今私に気付いたみたいに。過ごした年月くらいでは特別になれないと、嫌というほど学んでいる。目をとじる。もう一度、何度も、押し付ける。こうしている間なら、見てもらえないことはつらくない。
2020.1.13

見ない自由


薬を飲んでいてもくしゃみは出るし目はかゆい。整骨院へ行っても肩こりがおさまる気配はない。いぶかしむ気持ちをなんとかなだめて「薬のおかげでこの程度で済んでいるのだろう」「先生の施術がなければもっとひどいことになっていただろう」と思うことにする。自分の力の及ばない領域に関して、たとえそれが自分の身体のことだとしても私にはただ盲信することしか残されていない。確かめようのない「だろう」を連発しながら、せっせと服薬し治療の予約をとる。

「意味あんのそれ、ちゃんと調べた方がいいんじゃないの」とすげなく言う彼女の「調べる」が何を指すのかはわからないけれど、せいぜいネットの口コミくらいのことだろう。わざわざ確かめたりしないのは薬や整骨院の評判も私たちの関係も同じことで、結局のところ私は意志となりゆきに基づいた盲信をこなしてゆくしかないのだろう。
2020.3.4


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