【ショートショート】ここにいないあなたへ
俺は近いうちに自殺をすることにしていた。
家族はもういないし、恋人がいるわけでもない。つい先日仕事も失ってしまい、これから先の未来が見えなくなってしまったのだ。
そんなとき、とある噂を耳にした。
「過去に繋がる公衆電話があるらしいよ」
時間を潰そうと入ったカフェにいた女子高生たちが話をしていた。
詳細を聞く限り、手順を踏むことで過去の人物と五分間だけ会話することが出来るが、一度しか繋ぐことが出来ないという制限が存在しているという。
嘘か真か分からない。けれど、死ぬ前の俺はどうしてもそれを信じてみたくなり、取り憑かれたように調べた。
俺が過去にこだわるのには理由がある。
幼い頃、川遊びをしているときに溺れたことがある。両親が必死に「タクミ!」と俺を呼ぶ声だけが聞こえる水中で、足掻けば足掻くほど身体は沈み、呼吸のしようとすると酸素の代わりに水が入ってくる。その恐怖は今でも忘れられない。
朦朧とする意識の中、身体がふわりと持ち上がるのを感じた。そこには見知らぬ女性がおり、俺のことを助けてくれようとしたのだ。
パニックになっていた俺は酷く暴れた。しかし、その女性は必死に声を掛けてくれていた。「……。大丈夫、いま助けるから」と。
気がつくと父親に引き上げられて岸にいたが、近くに女性の姿はなかった。辺りの人々の視線は下流の方へ向いていて、さっきの女性が流されていると叫ぶ人がいた。
翌日、女性は遺体となって見つかった。
彼女はすぐさまメディアに取り上げられ、自らの命を犠牲に幼い子供を助けたヒーローとして祭り上げられる。
名の知らぬ彼女の名前は『高倉沙織』と言うらしい。彼女のおかげで、俺たち家族は幸せに暮らすことができたが、伝えることの出来ない感謝だけが心の中に漂い続けていた。
そして高倉沙織の命日の前日、噂の公衆電話の元へやってきた。
助けてくれた高倉さんには悪いが、俺は自死を選ぶことを決意している。漂っていた感謝は、こんなことになるのなら助けてもらわなければよかったという考えに変わっていった。
人里離れているここに街頭はなく、ポツリと電話ボックスの明かりだけが辺りを照らしている。ガラス張りの折れ戸を開いて中に入るが、見た目はただの公衆電話にしか見えない。本当に過去に繋がるのだろうか?
手順通りに財布から硬貨を取り出して投入口に入れていき、受話器を手に取る。そして、話したい相手と電話を掛けたい日時を強く念じる。
スピーカーは外の風の音が聞こえるほど静かで、諦めの気持ちが生まれそうだ。
しばらくそのままにしていても、コール音は一切始まらない。諦めようと受話器を耳から離したときに微かに音が響くのを感じた。
再び耳に当てると、番号を押していないにも関わらずコール音が鳴っていた。
「もしもし」
突然、コール音が止まって女性の声に切り替わる。
「えっと、佐藤といいます」
咄嗟に偽名を騙った。そして、確認するように彼女の名前を口にする。
「高倉沙織さんのお電話で間違いないでしょうか?」
「そうですけど」
その瞬間、目的を果たすことができるという高揚と、死人と通話が繋がっている事実に感じた恐怖が心の中を力尽くに掻き回してきた。
言うべきことは決めているのに、次の言葉がうまく出てこない。時間制限もあるんだ。俺は心を落ち着かせるため、深呼吸をした。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
俺に対する不信感がひしひしと伝わってくる。これから話すことは現実離れした内容になるだろう。俺は考えることをやめ、目的を達成することだけに集中した。
「信じられないと思いますが、俺はいま、未来から電話をしています」
「ちょっと意味がわからないんですが」
「ひとまず、話を聞いてください。今日、川に行かれる予定ですよね? そこであなたはタクミという少年を助けたせいで亡くなってしまいます」
「はぁ。いたずら電話にしてはタチ悪いですね。私が死ぬとか、いきなり知らない人に言われて信じると思います?」
彼女は明らかに怒っている様子だった。それもそうだ。未来人を名乗る不審者から、今日あなたは死ぬと宣告されたのだ。不快にならないわけがない。
そして、彼女は続けて口を開く。
「そもそも、今日は川に行く予定なんてありません」
「え?」
漏れるように声が出た。考えが出力を上げたようにめぐり始め、いまにもショートしそうだ。
「本当に行かないんですか? だってあの時、」
「未来人か何か知りませんけど、今日は家から出るつもりはないです」
彼女は俺の言葉を遮るように強く言った。
なら、あの日に死んだ高倉沙織ではないというのか? いや、もしかすると、彼女が嘘をついているのかもしれない。
「この際、行く行かないはどちらでも構いません。でも、川で溺れている少年は絶対に助けないでください。彼は将来自殺をします。あなたが命を賭けて助けた少年がです。だから絶対に助けないで」
「もういいです。あなたには付き合いきれません」
そういって、彼女は通話を一方的に切った。これで俺はあの日死んだことになる。これで俺の存在を消すことができるのだ。
一分、二分と経過し、何事もなく時間が過ぎていく。
俺は何も起きないことに疑問を感じた。あの日に溺死した俺は、この世界に存在してはならないのだ。しかし、いくら時間が経っても俺に変化はなかった。
ふと、俺はあの日のことを思い出した。
勢いよく川に飛び込んできた高倉沙織は、なんの迷いもなくまっすぐと俺の元へ泳いできた。
彼女は小さな俺の身体を抱きかかえ、はっきりとこう言ったのだ。
「タクミくんだよね。大丈夫、いま助けるから」
彼女が死んでしまっていたことのショックが大きすぎてすっかり忘れていたが、なぜか彼女は俺の名前を知っていた。
そして、いま起こした行動が頭をよぎる。
タクミと言う名の少年が、川で溺れると教えてしまったことを。
気づいた俺はその場に崩れ落ちた。
彼女は本当に川に行く予定はなかったのだと思う。だが、未来人を名乗る男から少年が川で溺れることを聞いたことが気になり、そこへ出向いてしまう。そして、本当に少年が川で溺れていた。
その瞬間、俺からの電話が本当に未来からかかってきたものだと確信できたはずだ。
しかし、彼女は俺のことを助けた。
――自分が死ぬのだと、分かっていながら。
俺は電話ボックスの中で、一人声を上げて泣いた。
川の中で彼女に抱きかかえられているとき、水中で彼女の口が動いていた。
「自分で死のうとするな。幸せになるんだよ」
彼女の手がゆっくりと離れていき、俺は泳いで来た父親の方へと押される。勢いよく流されていく彼女が、ぼやけた視界に映っていた。
* * *
夏の暑さがビルに照り返し、スーツの下がじわじわと濡れていくのを感じる。
あの日からしばらくして、就職先を探し始めた。今日は面接初日だ。
結局、死ぬことは諦めた。俺の命は、俺一人のものではなかったことに気付かされたのだ。
彼女の真意は分からないし、どんな気持ちで俺のことを助けたのかだって謎のままだ。
ただ、最後に彼女が言おうとしていた言葉が、呪いのように心を縛り付けている。いや、呪いなんて物騒なものではないな。
ここにいないあなたへ。
俺は生きていく覚悟を決めました。
あなたがどんな人間なのか全然知りません。
でも、俺はあなたのような人間になりたいです。
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