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#58 現代社会の問題①(拡大する不安意識)

次の文章を読み、あとの問いに答えなさい。(90分)

問1 課題文で筆者が問題としている内容をまとめなさい。(200字以内)
問2 課題文にあるような「格差」が生じやすい社会を生きる上で大切なことは何ですか。あなたの意見を書きなさい。(400字以上600字以内)

スライド7

リスク化と二極化 

 統計数字からみても、報道される事例からみても、意識調査からみても、生活の不安定さが増しているのは明らかである。私は、この生活の不安定化プロセスを、「リスク化」「二極化」という2つのキーワードで捉えることができると考えている。
 「リスク化」とは、いままで安全、安心と思われていた日常生活が、リスクを伴ったものになる傾向を意味する。30年前なら、多くの人にとって、基本的な生活は、将来にわたって予測可能で、それに沿った生活設計を立てることができた。しかし、現在、将来の生活の予測可能性が徐々に低くなり、我々は、不確実性の中に立たされている。
 昔なら、男性で大学に行けば上場企業ホワイトカラーの職につけた。大企業に勤めれば、終身雇用を望むことができた。そして、厚生年金でゆとりある老後生活が保証されていた。しかし、今では、大学を出てもフリーターにしかなれない若者もいるし、大企業に入社しても、倒産や解雇と無縁ではいられない。
 家族関係にも同様の不安定さが生じている。結婚したくてもできない人が増える。また、結婚したからといって、その関係が一生続くとは限らない。更に、年金財政の破綻が懸念され、老後にゆとりのある人生が送れるかどうかという不安がふくらんでいる。
 この将来の不確実性が増していく状況を、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、「リスク社会の到来」と呼んだ(「危険社会』)。これから、日本社会も本格的にリスク社会に向かうことは、明らかである。現代日本社会のリスク化の実態を明らかにすることが本書の目的の1つである。
 もう1つのキーワード、「二極化」とは、戦後縮小に向かっていた様々な格差が、拡大に向かうことをいう。戦後日本社会は、「中流社会」と言われるように、多くの人が「中流」の意識をもち、大きな格差を感じることなく生活することができた。
 アメリカでは、1980年頃から中流社会の崩壊が言われ始めていたが、日本でも1990年半ば頃から、多くの論者によって、中流社会の崩壊、格差の再拡大が始まっていると論じられてきた。
 それを端的な言葉で表したものが、「勝ち組、負け組」という言葉であろう。バブル崩壊後、優良企業と倒産の危機に陥る企業に分かれていく様相を示したこの言葉が、生活のあらゆる領城に当てはめられるようになっているのが現在の状況である。
 収入の面から言えば、年功序列が崩れ能力主義賃金体系の浸透が言われている。その結果、同じ年齢、学歴、同じ企業に勤めていても、月給やボーナスに格差が広がるといった「賃金の量的格差拡大」が生じている。しかし、格差拡大は、単なる収入の多寡にとどまらない。正社員を続けられる人と一生フリーターで過ごさざるを得ない人の格差、親にパラサイト(寄生)できて収入が少なくてもリッチに生活できる若者と、自立しているためにぎりぎりの生活を強いられる人との格差など、「立場(ステイタス)の格差」が出現していることが重要なのである。こうした格差を「質的格差」ということができる。「質的」とは、個人の通常の努力では乗り越えることが不可能な差という意味で使用する。
 家族の分野にも、質的な格差の存在を示唆する出来事が観察されている。例えば、同じ「児童虐待」という言葉でくくられる現象の中で、高学歴の専業主婦が育児ノイローゼを理由に子どもを虐待する「児童虐待」と、20歳前後のフリーター同士ができちゃった婚をして、生活苦の中で起こす「児童虐待」の内実は全く異なる。教育の分野でも、学力低下が言われているが、それはあくまで、以前のように塾などに行って十分な勉強をしている子と、家でまったく勉強をしない子の格差が広がっている事態を平均化した結果である。このように、様々な質的格差拡大が、様々な「問題」の二極化を進めている。
 この生活のあらゆる領城で、勝ち組と負け組が分かれていく状況を明らかにすることが、本書の第2の目的である。

生活の不安定化がもたらす「不安」意識

 リスク化、二極化の影響は、生活状況を不安定化させるにとどまらない。人々の社会意識までも不安定なものにするのである。
高度成長期から1990年頃までの社会では、生活基盤が安定しており、予測可能性が高く、生活目標が明らかであり、かつ、ほとんどの人がその日標に到達可能であった。だから、多くの人々は、「希望」をもてた。「嫉妬心」でさえも前向きのエネルギー(向上心)に転化することができた。それゆえ、日本社会は、1990年代半ばまでは、犯罪率が極めて低かったのである。高い貯蓄性向も、未来への信頼という意味で、日本人の心理的安定を裏付けていた。
 しかし、社会がリスク化し、二極化が明白になってくると、人々は、将来の生活破綻や、生活水準低下の不安をもつようになる。能力や親の資産があれば成功して豊かな生活が築けるかもしれないが、能力的にも経済的にも人並みでしかなければ不安定な生活を強いられるかもしれない、という不安である。すると、多くの人々が、苦労しても報われない、よりよい生活を求めて努力しても無駄であると諦めはじめる。希望の喪失による、やる気の放棄である。そしてリスクフルな現実からの逃走が始まる。こうして「量的格差(経済的格差)」は「質的格差(職種やライフスタイルの格差、ステイタスの格差)」を生み、そこから「心理的格差(希望の格差)」につながるのである。特に、時代変化に敏感で、不安定化の影響を真っ先に受けている若者たちの中には、未来に対する不信感、そして、将来の自分の人生に対する絶望感にとらわれるものも多くなる。
 ここ数年、増大するフリーターにインタビューやアンケート調査を行った結果からみると、「組織に縛られず、好きなことをして楽しく生活する自由人」というよりも、「将来の不安におびえているが、その不安を感じないために、実現可能性のない夢にすがっている」という姿が見えてくる。
 これらの不安意識が一気に表面化したのが、1998年だとみている。この年は、中年男性の自殺率が一気に増えた年でもあるが、青少年犯罪やひきこもり、不登校が増え、家でまったく勉強しない中高生が急増した年でもある。つまり、現在はそこそこ豊かな生活ができているが、将来の見通しがたたない状況が日の前に突きつけられたのだ。
 その結果、ひとつ歯車が狂うと、やけになって異常な行動を起こしたり、将来を考えることなく享楽的になったり、引きこもったりする若者、青少年がこの時期から増え始めているのだ。その結果、日本の社会秩序維持に関する懸念が生じている。
(山田昌弘「希望格差社会」2004年)

【解答例】

問1
人々に不安を生じさせるのは「リスク化」と「二極化」という問題である。まずリスク化とは、将来の予測が立てにくくなり、そのために生活に不確実性が増す事態のことである。そして二極化とは、様々な格差が拡大していく事態のことである。なかでも問題なのは、人々が努力を諦めてしまうことである。ここには「量的格差(経済的格差)」と「質的格差(ステイタスの格差)」のほかに「心理的格差(希望の格差)」が生じている。(198字)
問2
 筆者の指摘する「希望の格差」は大きな問題である。なぜなら、努力の放棄は成功可能性の放棄につながるからだ。例えば、就職活動の場面で「頑張っても報われない」と考え、努力を放棄した場合はどうなるか。その場合は就職の可能性がゼロとなる。人間はよほど強くなければ、報われる希望が見えない状態で努力することはできない。筆者の言うように、現代は未来への希望を想像することが難しい社会である。そのためにまずは「努力は報われる」と想像できる精神性が必要だ。
 そのためには教育の変革が必要であろう。人は誰しも大人になる前に「努力が報われた」成功体験を持つべきである。なぜなら、人は成功体験を持たないで「努力は報われる」という想像力を持つことはできないからだ。ゆえに、教育はもっと成功体験を提供できる環境を多層的に設定するべきである。でなければ、人は困難に直面した時に成功可能性とそこに向けた努力を想像することができない。
 しかし、逆に言うと、努力の放棄を抑止し、希望格差を縮小することができれば、社会全体は良くなるはずだ。なぜなら、そうすれば人々の成功可能性がゼロになることはないからだ。あくまでも可能性の問題だが、社会全体の希望格差が縮小すれば、その分の成功可能性は相対的に上がる。そうすれば、人々の幸福の度合いも上がるはずである。したがって、現代において第一に必要なのは「努力は報われる」と想像できる精神性である。(597字)

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