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#56 慶應小論文④総合政策学部

 介護労働力の不足が話題になっています。介護とは、心身の機能が低下して自立した生活を送れなくなった高齢者や障害者に対して、自宅や施設において、食事・入浴・排せつなどの世話をすることです。日本には介護保険と呼ばれる公的な保険制度があり、40歳以上の国民と企業から強制的に徴収された保険料と国庫負担(税金)で、その年間費用約6兆円を賄っています。実際に介護サービスを提供するのは、介護事業者と呼ばれる民間業者で、「介護報酬」といわれる、政府が決める価格表に基づいて、サービスの対価としての報酬を受け取り、これを主たる事業収入にしています。介護事業者は、介護労働者を雇用して、介護サービスを利用者に提供し、介護労働者には給与(月給、日給、時間給)を支払っています。平成21年4月からは、介護労働力不足の主因は低賃金にあるとして、介護報酬が全体として3%引き上げられました。この問題について、以下の3つの問に答えて下さい。(120分)

問1 資料1~3を参考にして、介護労働者の離職率が高い諸原因とそれらの関係について、枠内に図示してください。参考例は下に示してあります。原因の数や線の引き方は自由です。次に、解答欄にその説明をしてください(400字以内)※図示の参考例は省略

問2 介護労働者の離職防止・定着促進として実際に事業者が取っている対策(資料4)が有効かどうかについて論じて下さい。(200字以内)

問3 介護労働力不足を解消する対策として提示された、A党案(資料5)が有効かどうかについて論じて下さい(200字以内)。

注 本問題は、受験生の能力を見るために作成されたものです。出題内容を単純化するために、サービス類型(訪問系サービスや施設系サービス)別、正社員・非正社員別、男女別のデータや議論は省略しています。

スライド9

資料1 総合政策とは何か

学生:先生、湘南藤沢キャンバス(SFC)の総合政策学部に入学して1年近くになりました。充実した大学生活を送っているのですが、この1年弱を振り返ってみて、これからどう勉強を続けていくべきか決断する時期にきています。経済学、社会学、政治学と並ぶ「総合政策学」を専門にしようと思ってSFCに来たのですが、「総合政策」という意味がいま1つはっきりしないのが悩みです。別の大学に行った友人からは、「総合政策って一体何なの?」つて聞かれて用ることがあるし。就職活動の時にも、「あなたの専門は何?」と質問されそうで心配です。
先生:そうか、では、僕自身の考えを筒単に述べようか。ただ、あくまでも個人的な見解だよ。
学生:なんらかのヒントが得られれば良いので、是非お願いします。
先生:SFCの中心理念は何かと尋ねれば、問題発見・解決だという答えが返ってくるのは知っているよね。これはお隣の環境情報学部も同じだし、大学院の理念にもつながっている。もちろん、これまでの多くの学問が、人間社会に存在する何らかの問題を解決することを追究してきているのだけれども、その多くは個別の学間体系を発展させる中で、問題を解決できればよい、ということだったのではないかな。それに比べ、SFCは問題解決こそが中心だということで、問題発見・解決を前面に打ち出したことが、決定的に違うんだな。
学生:それはよく聞きますが、その先がよく分からないのです。
先生:まあ、とりあえず、話を進めよう。総合政策学は、政策問題を解決する学間だと言っていいと思うよ。
学生:えっ、いきなり論理が飛躍したように聞こえますが。まず、政策問題って何なのですか。
先生:これが最初の問題だよね。「総合政策」の「政策」は、いわゆる国の政策だけでなく、いろいろなレべルや主体の政策(戦略・方針)を含んだ概念なのだよ。環境問題が分かりやすいかも知れない。今や地球温暖化等の問題は、1つの国で解決できる問題ではないのはわかるよね。だから、地球温暖化防止条約のように、国家の枠を超えた全地球的な取り組みが必要だ。
学生:つまり、国際的な公共政策のことですか。
先生:ちょっと違うかな。国際条約を結んだら、自動的に何かが実現するとは限らない。地球温暖化防止には、国が果たすべき役割は当然あるし、都道府県や市町村にもある。これがいろいろなレベルでという意味だ。
学生:なるほど。
先生:もうちょっと、考えてごらん。地球温暖化防止は、行政だけでできるかな。政府や自治体が命令すれば、皆熱心に活動するかな。行政だけの努力では達成は困難だといえるのだよ。企業や地域、個々人の努力が重要だ。この領域では、企業や市民団体などの非政府組織(NGO)がいろいろ有意義な活動しているので、本当に問題を解決しようと思ったら、行政ではないこれらの人逮と連携し協力するべきだな。行政が作る政策にも企業やNGOの人達の意見や活動を反映させたほうがよいし、逆に企業やNGOが作る方針や戦略(つまり「政策」)に、行政の意図や考えが反映されていたほうがよいかもしれない。つまり、「総合政策」の政策の主体は、いわゆる行政(ガバンメント)だけでなく、企業や市民団体などいろいろな人達を含んでいるということだ。主体が多様になると、それぞれの意思決定がバラバラにならないように調整する仕組み(意思決定の規律)が必要だ。これが広い意味でのガバナンス論といわれるものだ。ガバンメントからガバナンスに移行していることが、総合政策が公共政策と違うところなのだ。
学生:だから、公共政策ではなく総合政策を標榜する大学が増えたのですね。なんとなく分かりました。では、「総合政策」の「総合」は何を意味するのですか。
先生:そら来たっていう感じだ。期待通りの質問をしてくれたね。「政策問題」を解決するのが目的だとすると、「総合」はその方法や手段を表わすことになる。つまり、「政策問題を総合的に解決する」のが総合政策だということになる。この「総合」が何を意味するのか考えてみよう。こういう時は、反対概念を思い浮かべてみるのが1つの方法なのではないかな。
学生:「総合」に対する概念というと、たとえば「分析」ですか。英語では、総合がsynthesis、分祈がanalysisですよね。
先生:残念ながら「分析」ではない。われわれが直面している問題の多くは複維で多面的だ。複雑で多面的な問題を「分析なしにそのまま総合的に」思考するというのは、言葉遊びにしか過ぎないね。なんらかの形で問題を扱いやすい部分(パーツ)に分解し、それぞれのパーツを科学的に考える(分析する)というのは、どうしても必要な知的作業だ。だから、「総合」は必然的に「分析」を前提にしており、含んでいることになる。反対慨念ではないよ。
学生:では、「統合」と同じ意味なのでしょうか。
先生:分析されたものを統合するという意味では、間違っていないかも知れない。方法、主体や学問領域を統合することが「総合」だという人もいるよ。その中でも、学問を統合するというのは、とても難しい作業だと思うよ。もしできたら、それはすごいことといえるかな。
学生:では、何に対する反対概念なのでしょうか。
先生:やや難しい言葉になるけれど、「個別科学主義」だと思うよ。まず、「個別科学」というのは、経済学、社会学、政治学などの社会科学、人文科学、物理学や化学などの自然科学、工学をさしている。それぞれは固有の理論的前提を持っていて、長い歴史的発展の中で、これまた固有の理論や方法論を体系化している。それぞれの個別科学を理解するのは、それなりに努力が必要だけれども、一且ある程度理解すれば、すべての問題に対して、何らかの形で考え分析することができる。そういった意味で、個別科学の立場から問題を論じるというのは難しいことではないのだよ。
学生:個別科学に、何か問題があるのですか。私は、経済学や法学の体系めいた科目群と、そこから醸し出される専門性の魅力を否定できないのですが。
先生:個別科学に問題はないけれども、「個別科学主義」には問題がある。個別科学に基づく分析は切れ味がよく、またそこから出される解決策は理解しやすい。世の中の多くの人が1つの個別科学しか勉強していないから、同じ個別科学の人からの支持も得やすい。ところが、さっきも言ったように、現実の問題は1つの個別科学で解決できるほど単純ではなくて、さまざまな側面をもっているから、特有の見方をする個別科学だけでは解決できないことが多い。少なくとも、何かの問題を実際に解決しようとすると、個別科学には限界がある、ということを深く認識しておく必要がある。特定の個別科学に惚れ込んで、他の科学や学問を否定したり、社会問題が特定の個別科学だけで解決できると考えたりすることを「個別科学主義」と呼んでいるのだけれども、これが総合政策の対極概念といえるのだよ。
学生:そうすると、何をすればよいのでしようか。すべての学問をマスターするには、4年間は短すぎると思うのですが。
先生:そうだね。一生かけても出来ないかもしれない。1つの方法は、何かの問題を中心に、2つ以上の個別科学を理解しようとしてみることだね。そうすると、特定の個別科学のよいところも限界も見えてくる。これは個別科学主義に対する「諸科学横断主義」と言ってもよいかもしれない。ただ、この諸科学横断主義でも「総合政策」を捉えきれないのだな。むしろ、「問題中心主義」というべきかな。個別科学ではなく、問題の方に軸足を移して、その方法論を中心に議論するということだね。そうすると、ある問題に対する個別科学の分析の仕方の他に、その問題自体の歴史的な経緯や、現行の制度の在り方、立法過程や政策の形成過程などに対する理解も不可欠になってくることがわかるだろう。
学生:難しく聞こえます。もう少し説明してください。
先生:まず、特定の学問や科学からスタートするのではなく、問題そのものから考え始めよう。問題を解決するには、まず何が問題なのかをきちんと把握する必要がある。今まで、「問題解決」という言葉を使ったけれども、一般的には、問題を解決するには、まず問題を「発見する」必要があると言われている。
学生:「発見」というと、何もないところに何かを見つけることだと思うのですけれども、それって実際に可能なのですか。
先生:「発見」に相当する英語であるdiscoverは、語源的にはcoverされているもの(隠れているものを)取り除く(disは反対の接頭辞)という意味なので、「問題発見」というのは、未知の問題を新たに見つけるというよりは、一般的に定義されている問題を批判的に検討すると言う方が適切かもしれない。「発見」という言葉は誤解を招きやすいし、やや言葉足らずな側面もあるので、まだ、大学の同僚には説明していないけれども、「問題設定」と言った方がむしろ良いかも知れない。
学生:「問題発見」を「問題設定」に言い換えると何が変わるのでしょうか。
先生:いくつか意味があるのだけれども、最初の違いは目的を意識することだと思う。つまり、誰のためにどういう価値観で問題を定義するのか、という議論があることだ。
学生:抽象的で何をおっしゃっているのか分かりません。
先生:たとえば、介護労働力不足が問題だと一般に言われている。一応、国内問題だとしても、国レベルで介護労働者の数が不足しているのか、特定の地域で介護労働者が足りないのか、介護事業者が募集しても応募してこないのか、あるいはすぐ辞めて他の産業に移ってしまうのか、事業者の間を転々としているのか、いろいろな捉え方が可能だ。だから、「不足」という言葉が何を意味するのか、まずきちんと把握することが必要だ。資格を持った介護労働者の数も不足しているのかもしれないけれども、その数自体は増えていて、減少しているわけではない。最近の研究によれば、むしろ高齢化に伴い増え続けている介護サービスへの需要に対して、労働力面で供給が追い付かないことを意味していると言われている。また、もともと他産業との間の労働者の流出入が激しい業界なのだけれども、介護労働者が事業者間を転々としている問題点も指摘されている。有資格者数の不足なら主として国レベルの問題だし、他産業への流出入なら業界の問題だし、事業者間の移動なら事業者の経営問題だということになる。もちろん、問題が大きければ、個別事業者の経営問題であっても国全体で解決するべき社会問題になる。介護労働については雇用者の管理能力が問題にされているけれども、本来、個々の経営者が解決するべきかも知れない間題について、国の政策としてどう介入するかというところに、この問題の本当の難しさがあるのかもしれない。だから、問題設定をする時には、広い視野で問題をよく見極める必要があって、その上でどういった立場から見た問題解決が必要かを意識的に提示することが重要だ。「発見」という言葉では、やや物足りないと思うのは、「発見」という偶然的要素が強いことを匂わせる言葉が、この目的設定という意図的な知的作案とそぐわないからだ。
学生:分かりました。問題設定と問題発見の違いはそれだけですか。
先生:誰のために解決すべき問題かを明示しただけでは足りない。問題解決に近づくためには、次に問題の原因を追究していくことが必要となる。ある問題が生じるのはどうしてなのかを考えると、原因は1つではないかもしれない。それぞれの原因を考え、さらにその原因はどうして生じるのかを考えなければならない。こうして、問題の原因、原因の原因、その原因の原因という形でどんどん迫究することを「問題の構造化」と呼んでおこうか。単に多面的にみるだけでは足りないのだよ。構造化するうちに、問題自体がより具体的になってくるし、その過程で解決手段もある程度明確になってくる。さらに、どれだけ解決できるかの見込みも立つのではないかな。
学生:そうすると、問題を設定するには、原因追究の様々な手法を身につけることが必要ですね。
先生:そうだね。その具体的な手法は、個別科学の中でそれぞれ発展しているから、じっくり学んでほしいね。ただ、難しい手法を使わなくても、客観的なデータを集め、それに基づく議論をすることでかなりのことができることは知っておいてよいね。単純なデータの観察だけで、おかしな問題設定を正すことが結構できるのだよ。
学生:でも、簡単なデータの観察でおかしいとわかるような問題設定が、現実にはどうしてなされるのでしょうか。
先生:素晴らしい質問だ。社会レベルの問題解決を本気で考えると、政治的視点が不可欠になってくるということかな。今までの議論と矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、どんな問題にも政治的な障害があって、それを乗り越えるには、問題をあまり特定せず、より多くの人に問題だと感じてもらうことが必要だ。だから、問題自体に対する合意を取り付けるために、意図的に大雑把な、あるいは感情に訴えるような問題設定を行う場合があるということだ。これには、マスメディアの報道の仕方も関係するよ。マスメディアは、一般人に分かりにくい専門的な議論は避ける傾向がある。もう1つは、解決策の方から誘導される問題設定だ。一部の人には望ましいけれども、しかし誰か他人の利益を犠牲にしてはじめて実現する解決策や、本当は問題を解決しないのだけれども、とりあえず何かをしたという言い訳になるような無害な、あるいは安易な解決策があることがある。それらの解決策を取りたいから、これらの解決策の導入を正当化するために、はじめから特定の問題設定をするという傾向があるんだよ。
学生:わかりました。でも、先生、こうやって目的設定や原因追求をした上で問題を設定すれば、問題が解決するのでしょうか。
先生:いや、まだ道は険しいのだよ。今までは、問題設定の方から見ていたけれども、問題解決に目を転じてみる必要があるだろう。問題を充分に検討したとしても、解決策は1つとは限らないし、複数の解決策を考える場 合にもそれぞれの効果と副作用、そして実現性を考えることが必要になる。それに問題解決策だと言って案を示しておいて、後はだれか実施して下さいというのは少々無責任かもしれない。だから、解決策は実際に試して、評価する必要がある。そして、この実践や評価の過程で、数値的なデータでは言い尽くされない、いろいろな知見が見つかるだろうね。こういうものを「実践知」と呼んでいるのだけれども、こういう実践知を集めて、次の問題設定に活かす必要があるだろう。
学生:なんだか、経営の授業で習ったPDCA(Plan・Do・Check・Action)サイクルのようです。
先生:その通り。ずっと複雑だけれども、本質的には同じかな。別の言葉でいえば、「終わりなき改善(continuous improvement)」ということだ。特に、問題設定・問題解決は1回きりの活動ではなく、継続的な知的活動ないし学習過程だということがポイントだ。
学生:そうですか。考え出すと、いろいろ議論が出てきますね。でも、何か急に先が拓けたような気がして、学習意欲がたくさん湧いてきました。先生、ありがとうございました。

資料2

以下の表1~6は、財団法人介護労働安定センターが行った調査に収録されている調査統計を簡略化して表示したものです。調査は、介護事業を営む事業者(所)と介護労働者に対して、平成20年11月に行われました(調査時点は平成20年10月1日です)。なお、介護労働者の賃金は、1か月約21.7万円(月給べース)と報告されています(平成20年度介護労働実態調査)。勤続年数に違いがあるため比較は難しいのですが、全産業の場合月約29.9万円、サービス業月約27.8万円です(平成20年賃金構造基本統計調査)。

※表1~6は省略

資料3

 介護現場は「3つのS」を抱えていると言われることがある。「3つのS」とは「専門性が低い」、「ストレスがたまる」、「すぐ辞める」である。ここでは、「専門性が低い」と「ストレスがたまる」と言う2つのSを取り上げてみたい。
 介護現場は、実は素人のような人たちで溢れている。(中略)専門性の低さは、パート職員の数の多さとも関係している。介護保険制度が出来てから、多くの老人ホームでは、積極的に、職員を臨時職員やパート職員でやりくりする方法がとられてきた。しかし、数少ない正職員と多くのパート職員でつくられるサービス態勢に問題があることは、すでに介護保険制度以前から指摘されていることで、未熟練のパート職員の比率を増やせば、施設全体の介護サービスのレベルは下がる傾向にある。
 さらに、介護現場は介護の専門職が支えるべき職場であるにもかかわらず、専門技術が向上しにくい職場になっている。理想的には、より経験のある職員が、若い新入職員の面倒をみながら、高度な専門知識と能カを備える、経験を積んだ専門職に育てあげることが望まれる。(中略)若い職員は、ベテランの先輩に、自分のやっている介護を横で見てもらいながら、正しいやり方を指導してもらう機会が与えられない。若い介護職員にとって、介護現場で働くということは、ほとんど捨て育ち(放ったらかし状態)になることを意味している。果たして、これが専門職にとって理想的な職場なのだろうか。
 2番目のSである「ストレスがたまる」もやっかいな問題だ。民間企業はお金儲けが先に立つので大変そう、自分はビジネスの世界で頑張るタイプではないから福祉の道に進んだ、と言う職員は少なくない。福祉は人助けで、いいことをしている感じがしたから決めたと言う職員もいる。どちらかというと、まじめな分、ストレスに弱いタイプの人たちが集まっているようだ。
ところが,実際に介護の世界に入ってみると、人が集まって組織を作り、仕事をしているところは民間企業と何一つ変わりがなく、そこには難しい人間関係が横たわっている。もっと時間をかけて丁寧な介助をしたいと思っていても、職員の中には、さっさと終わらせて休もうと考えている人もいる。
職員はそれぞれ考え方が違うので、自分がやりたい介護が出来ないと悩むことも、毎日のことだ。介護の仕事はチームプレーなので、これではストレスがたまってしまう。また、難しいのは職員だけでなく、頑固な利用者、わがままな利用者、いつも怒っている利用者もたくさんいるし、利用者の後ろには、職員の行動に対して、ああだ、こうだと文句を言いながら、自分たちは何もしない、難しい家族がいる。
 さらに最近は、認知症の利用者が増え、どう接すれば良いのか分からず悩んでいる職員も多い。朝から晩まで、深夜でも叫んでいる人、テーブルを1日中叩いて、大きな音を出している人、どこかに向かってひたすら歩いている人、便を壁に塗りつけている人……、見ているだけで精神的にまいってしまいそうだと言う職員もいる。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 なぜ、うまくいかないのだろうか。その原因のひとつとして、介護業界ではみんなで頑張ってやれば何とかなるという「精神論」が重視される一方、介護サービスを生み出している仕組み(サービスシステム)がなおざりにされてきたから、ということが挙げられる。(中略)もうひとつ、「精神論」と並んで気になる言葉は「介護は心」である。昔から、「福祉は心」、「介護は心」と言われてきた。(中略)利用者、家族からはクレームが出され、介護職員は疲れきってしまう。そんな時、無能な管理職は魔法の言葉、「介護は心」を語り始める。「現場の職員は精一杯頑張ってくれている。みんなの努カは十分わかっている。そのままでいいんだよ。介護にとって最も重要なのは心だ。みんなの温かい心だけで十分だ」。こんな使い方をされ始めているのだ。この魔法の言葉は、介護職員の疲れた心を癒すのに十分な力はあるが、介護現場のトラブルを改善するほどの力はない。トラブルを減らすには、仕事のやり方を改善しなければならないからだ。(中略)「精神論」で片付けようとするのは、独が国の伝統的な悪習のひとつであり、現代においても老人ホームでしっかりと生き残っている。一方、「介護は心」を唱えることは新しい悪習のひとつであり、今や介護現場で新たな伝統として根付き始めている。「精神論」は比較的、早く職員の心を蝕み、「介護は心」はゆっくりと着実に職員の心を蝕んでいく。どちらも、職員の心をとらえて離さないほど魅力的な言葉だ。「みんなで頑張れば大丈夫」「介護は心よ」。温かい言葉が職員に投げかけられる。この言葉で今日1日頑張れそうだ。振り向くと、したたかで無能な管理職がほほ笑んでいる。

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 高邁な理想の福祉を錦の御旗にした老人ホームは一般労働者を超越した絶対的な存在であり → サービス残業などどこ吹く風、有給休暇を取りたいなど甘い甘い、休日出勤もお手のもの、全身全霊をかけて福祉に邁進せよと叱咤激励 → そんな人たちが集まれば、施設はもはや女工哀史、普通の人では勤まらない → 凡庸な労働者は疎外され、理想を追いかける若者は燃え尽き、あとには暑苦しく理想の介護を語る不屈の鉄人だけが残されることになる。つまり、介護現場から人が消えてしまうのだ。

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 介護現場が比較的特殊なものであり、そこで働く職員の数もそれほど多くなかった時代は、きつい職場に耐えられる職員が生き残り、素晴らしい気付き・不屈の精神力・鬼神も退散する体力で明日の介護を担えば良かったのかもしれない。ところが、介護が社会化した現在では、介護現場は日本中に溢れ、そこで働く職員の数は膨大になった。ということは、質がどうこうではなく、膨大な数の職員を安定的に確保しなければ、もはや現場は回らなくなってしまったということだ。「きつさ」を「やりがい」にすり替えて、ダメ職員を福祉的合理性でどんどんふるいにかけていく作戦では人がいなくなり、現場の崩壊が加速する。
 介護の社会化とは、一握りの「選ばれた人」が介護現場を支えることではなく、例えて言うなら、「ご近所の普通のおじさん」が介護現場を支えることを意味している。この、理想の福祉的には極めて不愉快であろう事実に介護業界の関係者はそろそろ気が付かなければならない。そもそも仕事が出来ない(あるいは手と足と口と頭が別々に動かない)ので、理想の介護など夢のまた夢なのだ。毎日、元気で、気持ちよく働きに行けるような職場こそ、おじさんにとっての理想だ。「介護の質」を上げるより「介護現場の労働環境の質」を上げてもらいたいと普通のおじさんは切に願っている。
(岡田耕一郎・岡田浩子「だから職員が辞めていく――施設介護マネジメントの失敗に学ぶ」環境新聞社2008年刊のp90-92、はじめに、p12-15、P88-89を一部抜枠)

資料4 ※省略

資料5 A党の介護労働力不足解消案(仮想)

 A党は2010年3月に、公費で介護報酬をさらに7%引き上げる「介護労働者の人材確保に関する特別措置法案(介護労働者賃金引上げ法案)」を国会に提出すると発表した。高齢者等が安心して暮らすことのできる社会を実現するためには、介護を担う優れた人材を確保する必要があり、重要な役割を担う介護労働者の賃金を向上させることが必要だからであるとしている。
 A党の政策責任者は、以下のように説明した。介護現場の人材不足の最大の原因は処遇、特に賃金の低さにある。2009年4月からの介護報酬3%アップでは、全く不十分であり、人手不足を解消できるような賃金引上げは困難である。同法案は、事業主に対して、介護職員の賃金の引上げ等の努力義務を課すので、介護報酬のアップが確実に賃金に反映されるものであり、現状の介護労働者への賃金引上げに加え、新たな雇用創出に繋がるものだ。介護報酬引き上げの財源規模は約4100億円であると推計され、この増額分がすべて人件費にまわった場合には、介護労働者約80万人(常勤換算)に対して、1人当たり月額4万円程度の賃金引上げが可能になる。

【解答例】

KO過去問 解答例(授業内)

問1
 介護労働者の離職率が高いことの根本原因には無能な管理職の存在と高齢化による介護需要の増加が挙げられる。介護需要の増加は介護労働者の人手不足を招くのだが、無能な管理職はそれを精神論で乗り切ろうとする。サービスシステムや労働環境が改善されないことには乗り切ることができない構造的な問題を「介護は心」といった精神論で乗り切ろうとする。そうすると、そこにはついて行くことのできない労働者が現れる。そして、その人に対する不適切な評価や人事が発生する。それが上司に対する不満となり、職場の人間関係を悪化させる。またシステムや労働環境が改善されないことで、ベテランが若手を育成する時間がとれず、若手はいつまで経っても職能や介護の専門性が向上しない。そのため、労働量に見合った賃金も支払われず、次第にやる気もなくなる。それらが複合的に絡み合い介護労働者の心身の負担となる。そうして介護労働者は離職の選択をする。(397字)
問2
 資料4の対策には有効性がない。なぜなら、1番に改善されるべき経営者・管理職の問題が6番目と後回しになっているからだ。上位にきているのはコミュニケーションの問題や賃金の問題である。勿論、それらも改善されなければならない大事な問題ではある。しかし、それらこそ経営者・管理職の問題が改善されることで、改善される問題であるだろう。そのため、資料4の回答は問題の本質を見誤っており、有効性があるとは言い難い。(199字)
問3
 A党の案は有効性が低い。なぜなら、問題の本質を賃金の低さにみているからだ。しかし、本質は労働環境や事業主の判断にある。A党は事業主に「努力義務」を課すと言うが、それは絶対的な義務ではない。ゆえに、賃金の設定は事業主の裁量で決まり、国の公費が介護労働者へ行き届く保証はない。また、介護労働者の多くは高賃金を求めて就いているわけではない(資料2・表2)。そのため、A党の案には本質的な有効性がない。(197字)

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