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#41 要約練習課題⑨

【課題】次の文章を読み、本文内容を200字以内で要約しなさい。

スライド29

 受験教育の弊害を批判するあまり、教育改革の流れは「ゆとり」をもった「楽しい学校づくり」に向かっている。学校は勉学の場から「体験」の場に変わりつつある。しかし、「過度の受験競争」が喧伝される一方で、実態としては、子どもの学習離れが確実に進み、中学生、高校生、大学生の基礎学力が低下している。
 実際に、一般の印象とは異なり、塾などの時間を含めても中高生の学校外での学習時間はどんどん短くなっている。よく勉強する子が一定数いる一方で、ほとんど勉強しない子が増えている。しかも、私の調査によれば、勉強しなくなったのは、階層の低い子どもである。勉強への取り組みに階層差が広がっているのである。
 学力の点でも、「ゆとり」をめざす教育の中で、すでに中学、高校生の数学、理科の学力低下を示す調査が出ている。また、一流と言われる大学でも、文系では、中学程度の二次方程式が解けない学生が8割、小学校の分数・小数の計算ができない学生が3割いるという。さらには、生徒の選択を重視した高校のカリキュラムのため、多くの大学で学力の偏りと低下を問題視する声が高まっている。物理を履修しなかった工学部生、生物を学ばなかった医学部生、日本史を知らない法学部生など、珍しい存在ではない。その結果、予備校の講師を雇って補習授業を行う大学まで現れた。ましてや、大学生の教養レベルは相当低下し、今や、大学生の1日平均の読書時間はたった15分に過ぎないという全国調査の結果もあるくらいだ。
 にもかかわらず、文部省は、学力の低下や教養の衰退の実態を十分調査・検討することもなく、2002年からの学習指導要領で、学校で教える内容を今より3割減らし、中学、高校での科目選択の自由もさらに拡大することを決めた。個性の重視や「生きる力」の教育といった改革のスローガンは、心地よく耳に響く。ところが、学歴貴族制の解体を促した受験教育批判を追い風としたことで、現行の教育改革は、その意図とは別に、知識の効用全般を「無用な受験知識の詰め込み」と短絡させてしまう危険性をはらんでいる。たしかに、瑣末な知識を問う試験もないわけではない。だが、受験勉強を一義的に罪悪視するあまり、知識の価値を軽視し、思考力や判断力が知識獲得の過程で身につくことさえ認めない風潮が強まっている。ゆとりや「生きる力」の教育を手放しで賛美する社会の期待には、明らかに学歴貴族制への過度な反発といえる心情が含まれており、それが現状の問題把握を甘くしている。
 たしかに、「自ら考え、自ら学ぶ」学力を育てようとする「生きる力」の教育は、一見すると、批判力や思考力を高めるかに見える。しかし、基礎的な学力や知識をあまりに軽視すれば、厳密な議論を積み重ねる学力や知性も身に付かないまま、自己主張に終わるだけの批判的態度が形成されかねない。現代社会を覆う問題の複雑さを考えれば、ある程度の幅広い共通の基礎知識がなければ、「問題発見」も「自ら考える」こともおぼつかない。学生たちが自分の頭で考えることを重視してきた私自身の教育実践に照らしても、辛抱強く知識の習得を行ったうえでなければ、厳密な思考などはできない。そうした基本なしには、「自分の考え」の表明も、感覚に基づく意見の主張に終わる確率が高いのである。
(苅谷剛彦「学力の危機と教育改革―大衆教育社会の中のエリート」 『中央公論』1999年8月号)

解答例

受験教育を批判するあまり、教育改革の流れは「ゆとり」をもった「楽しい学校づくり」に向かっている。しかし、そこには子どもの学力低下が見て取れる。現行の教育改革は知識の効用全般を「無用な受験知識の詰め込み」と短絡させてしまう危険性をはらんでいる。しかし、知識を獲得する過程で思考力や判断力が身につくこともある。だからある程度の幅広い基礎知識を習得することは必要だ。でなければ、厳密な思考などはできない。(199字)

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