時間という悪魔に創作の熱が消されてしまわないように、私は今日もこの世界を動く。 今回は原泉アートプロジェクトのお話をもらって、下見へ来た。 初めて来たところだけど、なんだか懐かしい。 日本人の心にある原風景がここにはあるんじゃないだろうか。 過疎化が進んだこの場所に、使われなくなった茶工場がある。 その中の空間は異世界だった。 使われなくなった茶工場はアトリエになっていた。 木材やモルタルを組み上げ、発砲ウレタンで隙間を繋ぎながら、そのアトリエは作られている。 そしてそ
わたしにも親友がいた。 突然吹く風のような人だった。 いつも突拍子もないことを思いつくあの子。 どちらからともなく仲良くなり、いつも変わった遊びをしてたように思う。 小さな2匹の猿ようにくっついて生きていた。 あの頃、毎晩物語を書いていた。 私とあの子は2人ともお話の世界が大好きだった。 小学校の帰り道 あの子と互いに自分で作った話をする。 そして、あーだこーだと意見する。 「ここが矛盾してるじゃないか」 「いや、ここにはこういう意味があるんだよ」と。 そうして長い
あなたの絶望を拭い去りたい。 私があなたのことを忘れずに、心の片隅にいつもあなたを忍ばせていたなら、 あなたはこんな世界にも救いがあると思ってくれるだろうか。 心の軋む現実を、あなたを喰らう記憶を、 少しでも遠く過去へ押しやれるのなら、 私はそのために生きるでしょう。 私が雪になり、私が雨になり、太陽の光になり、あなたのそばにいると、本当にそうであると信じて欲しい。 忘れないで。 愛されるべき人よ
どうか美しく、人らしく、幸せに生きてください。 温かいご飯を食べ、1日の初めには朝日を浴びて、1日の終わりには柔らかな場所でよく眠ってください。 愛されてください。 頬を撫でる風や 降り注ぐ雨や 夜を照らす月明かりに。 そして自分自身に。 本質は羞恥心や無知やプライドの陰に隠れて見えにくいけれど、いつも心穏やかに、本質を忘れることないよう、澄んだ目と心で世界を見てください。 後悔することがないように伝えたいです。 あなたと私は十分に生きてる意味があるということ。 目の
ウーリー・オルレブ氏へ RUN BOY RUN(走れ、走って逃げろ) 15年前に読んでいた本。 きっと私の遺伝子に組み込まれてる。 何度も読んで、擦り切れるほど読んで、本の内容を暗記して見ずに朗読できるほどになっていた。 今はだいぶん忘れてしまったけど、今でも主人公ユレクの精神が私の中に住み着いていると分かる。 ユレクはいつも私を見張っている。 「恵まれたあんたがどう生きるかを見てるんだ」と。 真っ直ぐな青い瞳が私を離さない。
2021年は檸檬にスタッフとして入るようになり、ジャグアも初めてちゃんとしたイベントして、朗読の舞台に挑戦したり、英語を習いはじめたり、初めての事をたくさんした年になりました。 あとは、個展もできて、更に来年の1月に展示会が決まってるというのも私にしてはなかなかスピーディーな間隔。 ずっとしたかった6との展示会、頑張ります。 この場を借りて再度お礼を、、。 2021年の個展で絵を買ってくれた方、後からオーダーしてくれた方、本当にありがとうございます。 私こういう方達のおか
「悩みなさそうだよね」 そう言われることを誇りたい。 私の事を知らないくせにと思う自分もいるけど、そう言われることは本来誇るべきなんです。 実際悩みがあるかどうかはどうでもいいのです。そう言われるくらい、側から見れば揺るがない「心の安寧を携えた人」として、出来るだけたくさんの人の宿り木になれることを目指しています。 私は人よりもきっといくぶんか心が強いので、 私は誰かを守る義務があります。 世間を悲観するのに十分な悲劇はたくさんあり、つまずく事も簡単な世の中です。 それ
私はずっとずっと、困惑してきた。 私の本心がどこにあるのか、探しても探しても定まらなくて。 何を悪魔に売れば私の本心に辿り着けるのか、そう考えながら背伸びしすぎた目標を立ててきた。 芸術は今、欧米が主流。 そこにあるのはコンセプチュアルアートで、 ルールを理解して歴史の文脈に沿った作品が作れなければ、そもそも芸術の本流に乗ることすら許されない。 絵を描くときに、私は「何を伝えたいんだろう」と、苦しむ。 描きたいものが分からなくて、そんな自分に嫌気がさして、描きたいはずの
流れつづけることを意識している。 それは水の如くある。 流れる水はいつも綺麗だ。 澱みはいつも、停滞した空間と時間に顔を覗かせる。 自分の意識が清潔であるように、澱まないように、そして嘘がないように、気をつける。 ほんとうを語れるように気をつける。 ほんとうっていうのは、自分の本音をちゃんと知ること。 どう生きたいか、もう一度考える。 習慣を問いただす。 今、精一杯な事は、本当に今精一杯になるべき事なのか考える。 文字に起こしてみたり、誰かに話してみたりする。そうす
ヨーロッパの街並みは冷たい佇まいを讃え、洗練されていました。 通りを歩く人、流れる音楽、立ち籠める匂いさえ、当たり前に日本ではないのです。 ひとつも欠けてはいけないかのように、それら全てで景色は完成されていました。 見慣れないものばかりが目の前を通り過ぎていきます。 処理が不可能なほどの、膨大な情報の入り口に立たされて、幼な子の好奇心みたいなものが顔を覗かせたことを覚えています。 ヨーロッパの都会はどこもひどく底冷えし、賑わっている通りを歩いてもなんだかひっそりとし
5月24日、個展が終わった。 2年前の個展を振り返ってみても、よくやったと自分を褒めたい。 ずいぶん画力もついた。 そう言えるくらい2年前は酷かった。 そしてそう言えるくらいこの2年頑張った。 それでも、満足とは程遠い。 それは、当たり前だろうと思う。 こうして死ぬまでずっと、終わることのない『探求の旅』をし続ける。 それが表現者の宿命。 私のことを信じてくれている人たちに恥じない画家人生を歩む。 絵が上手い人なんて死ぬほどいるから。 生き恥を晒しながらでも。
絶望するには材料の揃いすぎている日常の中で人が目の光を失わずにいられるには、どうしたらいいのか。 そういう事を考える。 生を肯定したいという私の思想には、命の生死と共に精神的な生死も内包していて、常にそれが絵に反映される。 芸術がどんな精神性を内包していても無意味だという人がいる。 そんなことはない!と言いたくはなるけど、私は言わない。 無駄なことも沢山ある。 何が意味を成すのか、私は分からない。 分からないけれど、芸術を仮に「無駄」と表現するなら、こんなにも可能性
昔、私がまだ幼かった頃 世界は本当に広くて悠久で、輝かしい物語ばかりに包まれていた。 思考の内側には溢れんばかりのストーリーがあって、景色のどこを見てもファンタジーの世界と繋がった。 毎日毎日手を動かしても、終わらない物語があって、それを毎夜ノートに書きなぐっていた。 いつから去勢されたのだろうか。 気づけば私は物語を通してノートや本に向かうことをやめていた。 ノートは黒板の文字を写す道具に変わり、本は自己啓発のためのツールになった。 本から何かを学べなければ読む意