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「美味い家系あってさ、町……っていうんだけど。」

ハズレ確定だ。
残念ながら町○○店は家系ラーメンではない。

職場の人や知らない人で、ランチで町○商店を提案される事が偶にある。

その度に僕は絶望する。
ああ、また人は過ちを繰り返すのかと。

好みの問題と人は言う。
されど○○○○に良い点があるならば、
刻みタマネギが無料ということぐらいだと思う。

とにかく、有り難がって食う人の気が知れない。

いわゆる資本系は、2010年代に爆発的に増えた気がする。認知していなかっただけかもしれないが、先に○○家を食べてから食う資本系はそれはひどいものだった。

無駄にクリーミーなスープ。
くたびれたチャーシュー。
どこの麺か分からない食感が微妙な麺。

ラーメンは食べたいけどどこも閉店している時の妥協点が資本系ラーメンだ。

もちろん補正効果はある。
友達と朝4時まで飲んだ後なら多少は美味く感じる。

ただ、普段から食べようとは微塵も思わない。
資本系を人に薦める奴は、直ちに脳味噌をMRI検査することをオススメする。
きっと、脳のどこかにバカクソでかい腫瘍でもあって判断が鈍ってしまっているのだと思う。
脳内メーカーならば、ど真ん中に「完まく」とでも書いているのだろう。

敗戦国の末路。

というか「完まく」ってなんだよ。
仮に美味くてもあんな塩分のスープ飲み干さないから。

話が逸れたが、おすすめのラーメン屋を聞かれて「○○○○」または資本系ラーメンと答えられるとその人の浅さが分かるという話でした。

しかし、決して相手の事を悪く言ってはいけません。
「資本系?ゴミでしょ。」なんて言ったら社会的にコミュニケーション難ありと認定されても仕方ありません。

ゴミクソ資本系を薦められたら、血の涙を流して「そうなんだ、じゃあ行こう!」と一緒に資本系に行って、泣きながら刻みタマネギをこれでもかと盛り付けてガツガツ食いましょう。

食後に「めちゃくちゃ美味かった、今度は俺のおすすめの店に行こう」とちゃんとした家系ラーメンを食べさせてあげることが善業だと思うのです。

僕は出来ません。
「ああ、こいつは心底浅い人間だなあ」と完結してしまうので。

どうかお互いに優しくなれる世の中でありますように。

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