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病めるときも健やかな時も

はじまり

気づけば来年の一月で30歳になってしまう事を自覚しました。

このnoteを始めた動機は、ただ自分が日々感じたことや考えた事を殴り書きたかったからです。

ふとある時自分の文を見返すと、情動でぐちゃぐちゃに乱れた文章がとても気持ち悪くて、自己嫌悪に繋がってしまうのですぐに閉じました。

なので、今回はなるたけ丁寧に自分のこの10年を振り返ってみます。

振り返り

まだ人生を語るには早いけれど、
成人になってからの10年はとても「陳腐」なるものでした。

いわゆる「仲良しグループ」からは、全て抜けました。高校、大学とかつて交流した人の名前も徐々に忘れました。
もう会う人も居ませんし、会う事も無いです。
特筆した理由はそこまで無いのですが、自分はどうしてもグループの中でどう振る舞うべきかを考え過ぎて辛くなる事が多かったのが1番の原因だと思います。
人間関係を整理するのは勿体無いなとも思いますし、孤独を感じることもありますが、それでも今が生きやすいのは間違いないと自分が納得出来ています。

側から見ても自分から見ても人間関係はガタガタです。でも、人の事よりも自分が如何に生きやすく過ごせる事に重点を置く方が生きやすいのではないかと思うのです。
あくまで自分の話であり、他人からすれば勿体無いだとか言われるのでしょう。拗らせてしまったものは簡単には矯正出来ないのです。無理に受け入れてパンクするよりは矯正出来ない内容を妥協してどう大衆に受け入れるかを考えています。

次は仕事の話です。

新卒で就職したら仏壇の小売は半年足らずで辞めた。理由はメンタル起因でした。今思えば根性で乗り切った先に何かあったのかもしれませんが、もうたらればの話はしません。
大学の友人は「あなたは接客業向いてないと思ってたよ。」とはっきり言ってくれましたが、自分のせいで会わなくなりました。でも、仰る通りだと飲み込める様になりました。

次のSES(客先常駐エンジニア)はあまりに中抜きが酷く、企業としては生き残っても長く居たら損だと感じて1年ちょっとで辞めました。
ですが、暇な時間があったのは確かで実家にいた時にしこたま資格の勉強をすべきでした。体制に反対をするばかりでなく、自分自身相手を黙らせる力や知恵を付けるべきだったと反省しています。

その次は大病院の情シスで働かせて頂きました。
流行病のピークの時期で、とにかく多忙でした。ここでも情けない事に部署の空気に飲まれ、気を病んでしまって辞めました。
書けないことの方が多いのですが、辞める際に部署長から「君は視野が狭くなりがちだ。」と言われて、咀嚼して飲み込むのに時間がかかりました。
最後の最後までロボット思考かよ、なんてつい最近まで思っていました。
ですが、最近は自分にかかった呪いではなくその方なりのエールだったのだと思います。今の仕事や日々の生活でも、うまくいかないと感じた時にその言葉がドスンと乗っかってきます。言葉の重みは、きっとこれからも背負い続ける業なのでしょうか。

今の仕事は再びSESになりました。
前職の方が福利厚生や能力の向上を考えるなら優れていますが、正直今までの仕事の中で一番「やりやすい」です。嬉しい事に2年連続で会社から表彰を賜りました。それはきっと今までの乗り越えられなかった壁の経験があってこそなのだと、ほんの少しだけ自信が付きました。とはいえスキルに関しては同年代と比べれば塵芥に等しいので、現実に目を向ける事にしました。
信頼を得ると今度はその信頼を失墜してはいけないという強迫観念に駆られてしまい、突然取り止めもない不安に苛まれます。それを嗜めてくれる人も何人も居ますが、結局は自分で上手く打破しなければ生きてゆく事は出来ないのだと、だからこそ戦わなければいけないと言い聞かせています。

ふとした時、夜更けや朝方に今までの出来事を思い出します。この29年で受けた言葉の一部は、呪いになってまるでクリスマスツリーのオーナメントの様に身体にぶら下がっています。

高校時代、硬式テニス部である同級生から言われた言葉は未だに自分の生きる上の命題となっています。

『お前は居ても居なくても変わらねえよ。』

実際、そうなのかもしれない。
僕一人があくせく働いたとて、社会は変わりません。ましてやAIが普及し始め、自分が分からないスクリプト文でさえ的確にアドバイスをしてくれるような環境下で、果たして僕は何が出来るのだろうと日々考えています。
僕が今まで関わった友達や何者かに良い影響は与えられたとは思っていません。各々の人生は全て各々の自己決定によって構築されるのであり、そこに僕の発言や行動が作用するとは思えません。
ニュースやSNSで飛び交う有象無象の諸々を見ていると苛立つばかりです。何も作用しないのは分かっていても、如何に自分が何者でもない何かになっている事を自覚させられます。

でも、それでもまだ誰かの為になれるのではないかという考えを捨てられる程の覚悟はありません。命を絶ったとしても前提として後処理の事を考えてしまうし、関わりたくもない人達の余計なその場凌ぎの同情をされるくらいならば、惨たらしく生きながら己の存在意義を追求した方がまだマシです。

ぞんざいに扱われようが、存在意義を否定されようが、自分の最後まで自分なりに戦ってみようと思います。
きっとその先に自分の求める存在意義が見つかる事を信じています。

誰かの友人や知人、あるいはただのモブAだった僕です。

それでは、また何処かで。

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