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シゲノくん

イジメやそこまでいかないレベルの出来事は全て年と共に風化してゆく。
ただ記憶を上書きしているだけかもしれない。

勝者によって歴史が作られるように、
光が差せば影は消えてしまう。

だからこそ、インターネットに墓標が如く自分の記憶を全てアーカイブしてやろうと思う。

楽しかった事、復讐したいぐらいムカついた事。どこぞの知らぬ人が影響を受けていたら、それはそれで嬉しいかもしれない。

そんな気持ちで、僕はnoteを続けている。

シゲノくんとの出会い

シゲノくんは、隣町の御幸中学校出身だった。
もちろん高校に入るまでは絡みは無かったが、川崎市立橘高校に入学する前のオリエンテーションでまだ名前も知らぬ彼を見つけた。

赤べこの様に頷いている小太りの後頭部を見て、「ああ、こんな素敵な進学校でもあの手の者はいるのだな。」と心の中で思った。

シゲノくんは、同じクラスだった。
初めは各々異なる学区から進学しているので手探りで付き合っていたが、そんなシゲノくんがキショい奴としてメインカテゴリ入りするのは入学して2ヶ月ぐらいだった。

その2ヶ月の間も挙動がおかしく、人の話に支離滅裂な内容で割って入ったり、身体が臭いとかで既に煙たがれていた。

あれは確か数学Aの授業だったと思う。
定期テストの結果を配布されたシゲノくんは、突然癇癪を起こした。最初はブツブツ言っていたけど、大声で自分を責め始めた。
その時の内容は忘れたけど、「死んでやるぅうううう!!」みたいな事を無限に叫んでいた気がする。

おじいちゃん先生がキレ始め、何故かサカモトくんもシゲノくんに怒りを露わにして馬鹿でかい舌打ちをかまして何故かサカモトくんもドン引かれていたのは本当に可哀想だった。

高校生だけでなく、一つの教室や部署でその手のイベントが発生するとヤバい奴は呆気なく「キショい奴」認定されてしまう。コミュニティの中でキショい奴認定されると呆気なくハブられる。

知恵のない獣の方がマシだと思えるぐらい、残酷な行いだと思う。でも、僕もシゲノくんを見て見ぬ振りをしたし、心の中でしっかり侮蔑していた。

シゲノくんは風呂も入る頻度が低く、夏場は異臭を放っていて、一人カードショップ状態だった。臭いやゲロの類がダメな僕はオエオエと声を漏らしながら教室での生活を過ごした。

任天マン

当時はまだmixiが主流だった。

一年の学期末に、東日本大震災が起きた。
世の中全体がぐちゃぐちゃになって、反原発だのイカれ思想が流行りはじめた頃だ。

「え〜シゲノさんは今週からしばらくお休みです。ご実家の都合で熊本県の方に帰省します」
シゲノは、震災後熊本県に帰省していた。

シゲノくんのmixiのアカウントは僕が見つけた。
「この任天マンって奴、シゲノじゃね?」

当時からネットが強いわけではなかったが、
アカウントを見つける事ぐらいは容易かった。彼のアカウントは、彼の両親らしきアカウントしか友達がいなかった。

そんな彼の親のページを興味本位で見てみると「反原発」「環境活動家」などと書かれていた。日記も読んだが支離滅裂でよく意味が分からなかった。

ただ、帰省する理由はなんとなく分かり、
少しだけ彼に同情した。

結局のところ

帰省が終わった後も、シゲノくんは卒業までキショい奴のまま学生生活を終えた。

彼の癇癪は受験期に近づくとひどくなり、
「自殺してやるー!自殺してやるー!」と絶叫する事も増えたし、サッカー部のイケメンは「じゃあ死ねよ!」とサッカー仕込みのクロスカウンターを何度も決めていた。

ギャハハキモいんだけど〜と笑うギャル。
対処の仕方がわからず、「落ち着け」しか言えない無能クソハゲ担任ことア○カタ先生。

人と距離をうまく取れないシゲノくんは、
ギャルのいじりを好意と見て告白するという事件もあった。

彼の事は下に見ていたけど、的確に処置されないシゲノくんは可哀想だった。

可哀想だったけど、肩を持つ事は出来なかった。僕自身そこまで学校に居場所がある訳じゃなくピエロを演じてなんとか存在していたので、力にはなれなかったし、きっと力になったとてただの偽善だっただろう。

本来は教師が気づくべきだが、大した事もできない無能ハゲ担任は、死んだ方がいいと今でも思っている。

ソイツは生徒をあだ名で呼ぶのだが、
僕とシゲノだけは何故か苗字のままだった。もしかしたら僕も、どうしようもない人間のカテゴリーだったのかもしれない!

死ねア○カタ!そして滅びろバカ進学校!!
川崎市教育委員会、そして全ての傍観者にクソデカい隕石が落ちます様に!!!!!

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