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薄明研究所 第3話 ノアとシグマ

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薄明研究所 第2話


「い、今なんて…」
寒く薄暗い氷河期の世界で、シグマは久しぶりに冷や汗をかいていた。
絞り出すように出てきたその声は、冷たく無機質な薄明研究所内にかき消えていく。

つい先程、シグマはテラ開発室所属の同僚、ノアの部屋を訪れていた。

何度かドアをノックしても反応がなかったため、シグマは一言断りをいれ室内へ入る。そこで目に入ってきたのは手をだらんと垂らし、デスクに突っ伏す同僚の姿だった。足元にはマグカップが転がっており、飲みかけのコーヒーが床に染みをつくっていた。

「ひっ…」
シグマの顔がひきつる。明らかに様子のおかしい同僚の姿に、とても冷静ではいれなかった。「ノア」と何度か声をかけると、ようやくうっすらと返答が返ってくる。

「うるさ…へーき…」
そういうとノアは再び意識を手放す。これはだめだと思ったシグマは、ノアをベッドまで運び救護ロボットを呼んだ。

「い、今なんて…」
『ですから ねてただけですね ちょっとおつかれのようす』

ベッドに横たわるノアの様子を見るのは、ペンギン型救護ロボットだった。彼らは何かあるとすぐに駆けつけ、適切な診断と処置をしてくれる。

「は?!寝てただけ?」
「だから平気だといっただろう」
ベッドから冷たい声色が聞こえてくる。どうやらノアが目を覚ましたようだった。

「起きたのか」
「君はだいたい早とちりをする節があるな」
「なんだって?」

シグマはこめかみをぴくりとさせる。この中性的な見た目の金髪の男は、電脳世界テラを構築する開発室のソフトウェアエンジニアだ。この世界に欠かせない重要な人物ではあるが、実態はまさに無愛想を形にしたような男だった。

「まぎらわしい寝方してるお前がわるいだろ」
「あれが通常だ」
「え、本気?」
「本当に体調が悪化した場合であればこれが検知するだろう。心配無用だ」
「たしかにそうだけどさぁ…」

シグマは自身の手首を見る。研究員全員に腕時計型のデバイスが支給されており、それにより心拍数や酸素濃度をはじめ様々なデータが常にモニタリングされていた。何か身体に異常が起きた際には、このデバイスから救護室へ信号が送られる仕組みだ。
目線をあげると、ノアはすでに立ち上がってふらふらとデスクに向かおうとしていた。

「今日はなんの用だ。今朝のバグの件ならすでに修正したはずだが」
ノアは一度もシグマと目線を合わせようとしない。
「あ…いや…」
ノアに会ったらは仕事について色々と話そうと考えていたシグマだったが、その痩せて華奢な背中を見ると、今はその話をすべきではないと判断した。

「お前ちゃんと寝れてるの?」
「…話が無いなら帰ってくれ。仕事に戻る」

有無をいわさぬ雰囲気に、シグマはノアに従い部屋を出る。
ピシャリと追い出されるかと思いきや、パタン、と優しく閉められたドアを見つめながら、「意外と問題は根深いかもしれないな」とシグマは思った。

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「あーそれは過労かなぁ…」
TEA (テラ緊急アシスタンス室) に戻ってきたシグマは、室長のファイにノアの様子を話した。

シグマは窓の小窓の外を見る。今日も変わらず、吹雪が窓を打ち付けていた。
「やっぱり過酷ですね この世界は」
「ノアくんが限界なのも理解できるよ。ただでさえ彼の仕事はプレッシャーも大きいし、彼責任感も強いから」
「そうですね…」
「どうしても各々の裁量が多い分、休みも各自の判断に任せられているからねぇ。僕からは所長に研究員の有給取得率について話しておくよ」
「ありがとうございます」
「いやいや、これも僕の仕事だからね」

失礼します、とデスクに戻ろうとするシグマを「こぐまちゃん」と言って呼び止める。ファイはシグマの胸元に人差し指で小さな円を描いた。
「後の歴史からみたら僕らは世界を救った英雄かもしれない。けど僕らだってみんな所詮普通の人間なんだ」

だからね、とファイはウインクし続ける。

「こぐまちゃんは忘れないでね。人生には息抜きと楽しみが必要だってこと」

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ノアは夜が嫌いだった。正確には、暗闇が怖かったのだ。
真っ暗な空間でベッドに横たわると、嫌でも宇宙クジラが衝突したあとの地獄の7日間のことがフラッシュバックする。
汗だくで目が覚めると、水を飲み、ふらふらとパソコンの前に座る。
仕事をしている時だけは、嫌なことを考えなくてすむ。そうやって、今日も夜が更けていくのだった。

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「おーい、一緒に飯食おうぜ」
コンコン、とノック音がしたのでドアを開けたノアの目の前には、成人男性にしては小柄でふわふわな茶色の頭が特徴的な同僚が立っていた。
あの日から毎朝やってくるようになった同僚のシグマに、ノアはため息をついてピシャリとドアを閉める。

「お前しばらく日にあたってないだろ、紫外線浴びにいくぞ」
「暑いからやだ?じゃ筋トレしにいこうぜ」
「わかった、俺のやりたいことじゃなくてお前のやりたいことしよう。お前の趣味って何?」

人との会話が苦手なノアは、何度追い返しても毎朝やってくるシグマのことがさっぱり理解ができなかった。ひとつ言えるのは、毎朝定時に来る同僚のおかげで、規則正しい時間に起床するようになったことくらいだろう。

それでも眠れない夜は変わらずやってくる。ノアはベッドの隅にうずくまっていた。今日もいつものように、地獄の光景が蘇る。ただ今夜はいつもと少し違った。

(明日の朝も来るのかな…)
気がつくとノアのまぶたは自然と重くなってきていた。

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「また来たのか」
翌朝もこりずにやってきたシグマに、ノアは呆れた様子でドアをあける。そんなノアに、シグマはあれ?と首をかしげる。

「昨日はちょっと寝れた?」
「?」
「いつもより少し顔色が良い気がする」

ドアをしめようとするノアに、シグマは「まってまって」と慌てて止める。
「違うんだ!今日はノアに見てもらいたい問題があるんだ!」

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「問題というのはこれか?」
数分後、二人はテラ内の桟橋にいた。目の前には2人分の釣り竿が置いてある。

「住民から変な生き物が泳いでるって報告があったんだ。よかったら一緒に探さないかなと思って」
「そういうことなら君の仕事だろう。見つけたら報告してくれ」
ノアは立ち上がると、腕時計型デバイスを操作して帰ろうとする。
「あ、おい!今きたばっかりだろ」
ノアは無視して帰還操作をしている。

「そしたら釣り勝負しないか。変な生き物を釣り上げたほうが勝ち。負けたほうがひとつ言う事きくの」
ノアは無視して帰還操作をしている。

「もしかして、負けるのが怖いんだ。意外と弱虫なんだね」
「なっ」
カチンと来たノアはすとんと椅子に座る。
負けず嫌いめ、とシグマはほくそ笑んだ。作戦成功だ。

「…私が勝ったらもうつきまとうのはやめてもらおう」
シグマは「えー…」とあからさまに嫌そうな顔をする。

俺は何にしよっかなーと考えるシグマの様子を見て、ノアはふっと笑う。

「君は悩みがなさそうで羨ましいな」
「え?」
「あ、いや…」

ノアはしまったと思った。全員が何かを失ってここにいるのだ。悩みがないはずない。明るい様子のシグマとはいえ、言ってはいけない発言だったとノアは反省する。

「失言だった。すまない」
「別に俺は気にしないけど」
じっとシグマはノアを見つめる。

「ノアは何か悩んでるのか?」
シグマの大きな瞳に正面から見つめられると、ノアは居心地が悪かった。
なんだか隠し事をしてはいけないような気分になってくる。

「…君は夜が怖いと思ったことはあるか」
発言してからノアは変なことを聞いてしまったなと思った。いい年をして夜が怖いなんて、情けないと思われただろう。

「やっぱりなんでもな…」
「もちろんあるさ」
「…」
「不便だよな生身の身体って。テラみたいに嫌なこと思い出さない装置とかできないかな」

ノアは黙って聞いていた。同じような気持ちの仲間がいるというだけでも、少し気が軽くなったような気がする。シグマは続けた。

「けどな、そういうときは小さなことでもいい、明日の楽しみを見つけるんだ。そうしたら朝が来るのが楽しみになる。夜もちょっと怖くなくなる」
「明日の楽しみ…」

「あ!」
不意に顔の前でノアがぱちん、と手をうつ。ノアはびっくりして目を丸くした。

「そういえば来週テラで夏祭りがあるんだ。 TEA のみんなといくから俺が勝ったらノアも一緒に…」
「あっ」
その時、ぐわん、と突然ノアの手元の釣り竿が大きく揺れた。
ノアは反射的に釣り竿を強く掴む。大きく揺れる釣り竿に、ノアは身体ごと海にひきずりこまれそうになる感覚になる。「落ちる!」ととっさに目をぎゅっとつむったが、「ノア!」と自分を呼ぶ声にはっと後ろを振り向く。

「大丈夫、俺が支えるから!」
シグマはノアの身体を後ろからがしっと掴んでいた。二人でせーのと釣り竿をひっぱりあげる。現れたのは、自身たちの身体よりも遥かに大きな図体をした金魚だった。

「「え?」」
二人が同時に声を発した瞬間、重みに耐えきれずふたりとも桟橋から海に転げ落ちる。
ノアが水面に顔を出すと、目の前には釣り竿を掲げるシグマがいた。その糸の先には巨大な金魚がつながっていた。
「へへ 俺の勝ち」

=

数日後、テラの中では住民たちによる夏祭りが開催されていた。

「ねぇ あれどういうこと?」
ゼータはこっそりとファイに耳打ちをする。その手からは小さな金魚が入った袋が下げられていた。
視線の先には、シグマとノアがりんご飴を食べながら歩いている姿があった。

ファイは「こぐまちゃん、うまくやったみたいだね」と微笑んだ。

「ノア、あっちで射的やろうぜ」
「あっおいひっぱるな」

笑顔で楽しんでいる二人の様子を、ゼータとファイはほほえましく見ている。
「さぁ諸君 今日は人類のために いっぱい楽しもう」

=

ここは、地球の夜明けを待つ「薄明研究所」。
今日もまた、白黒の 1 日が過ぎていく。

つづく


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