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薄明研究所 第2話 アップデート

薄明研究所 第1話
薄明研究所 第3話


「くそ…なんでこう毎回毎回…」
その日シグマは苛立っていた。
そんなシグマの様子を見た室長のファイは、「眉間にシワ寄ってるよこぐまちゃん」と
言って両手の人差し指を上に向ける。

「ほーら、笑顔笑顔。スマーイル」
「はぁ…」

シグマはこの日最大のため息をついた。

=

宇宙からやってきた巨大生物との衝突により、地球は氷河期に突入していた。
ここ「薄明研究所」では、人類はコールドスリープをしながら、地球が再び目覚めるまで電脳世界 "テラ" で暮らしている。

シグマはそんな電脳世界 "テラ" を運営する薄明研究所の研究員だ。
彼の仕事は氷河期が終わるまで、電脳世界に住む人類をサポートすることだった。

=

シグマを苛立たせる原因は、今朝起きた事件にあった。
ゼータとファイは、もはや日常の景色の一環となっている光景に、「またか」という顔でシグマの様子を見ている。

世界初の自家発電付き電脳仮想世界 “テラ” は、人類を救う画期的な発明であったが、完璧ではなかった。氷河期がきてからの突貫工事で作られたその電脳世界には、欠陥が度々見つかるのだった。

問題発生時には、サポートチームである Terra Emergency Assistance (テラ緊急アシスタンス室。通称 TEA) のメンバーであるシグマ、ゼータ、ファイがまずはトラブルシューティングを行う。
その後、解決しなかった問題を、バグとしてテラ開発室に報告する、というのが通常の流れだった。

当然、テラが完璧でないことはシグマは百も承知であったため、バグが発生するくらいではイライラしたりはしない。ただ、シグマにはどうしても納得いかないことがあったのだ。

=

それは遡ること数時間前のこと。

「えっリリース今日?!」
今朝も TEA のメンバーが皆そろい、さぁ今日も仕事をはじめようとデスクについた時だった。
ゼータがパソコンに向かって悲痛な声で叫ぶ。その声にシグマとファイは一瞬びくっとするも、すぐにゼータのデスクの周りに集まる。

「どうしました?」
「ねぇ大変、もう夏になってる」
「え?」

シグマがパソコンをのぞき込むと、たしかにアップデートがあった形跡が確認できた。
テラは四季の移り変わりに合わせて 4半期に一度の大型アップデートがあるのだが、どうやらそれが突然やってきたようだった。

アップデートを担当している開発室へは、テラの住民への影響を考慮して必ず事前にリリース日を TEA に共有してほしいと何度も伝えてあったのだが、そのお願いは聞いてもらえることのほうが少なかった。
この度の出来事も、シグマたちが開発室へ進捗確認の連絡をしようと思っていた矢先に起きたことだったのだ。

「さすがに前回みたいなことは無いと思いたいけど…」

3人は 3か月前の出来事を思い出していた。春のアップデートの際には、はじめて桜の木を導入したところ、桜吹雪が止まらないというバグが発生していた。
その際には、問題が修正されるまで一時的に桜の木のエリアに住民の立ち入りを制限することで事なきを得たが、今回は果たしてどうか。     

「ちょっと俺、テラの様子見てきます」
頼む、何も問題が起きていないでくれと祈るような気持ちでシグマはテラへダイブする。
卵型のデバイスに乗り込むと、外からファイがケーブルをつなぐ。

すっと意識が遠のき、次に目を覚ますとそこはテラの中だった。ぴゅうと吹く風の冷たさに、シグマはぶるりと身震いをする。なんだか嫌な予感がした。

「…寒い?」

=

本来なら真夏のテラにたどり着いたはずのシグマは、転送先のプレハブ小屋から外に出た瞬間吹いてきた極寒の風に、さーっと顔が青ざめた。急いで通信機器で、テラの外にいるゼータとファイに連絡を取る。

『どうしたこぐまちゃん』
「室長、なんかおかしいです。めちゃくちゃ寒いです」
『寒い?』

シグマは腕時計型デバイスを見た。そこには気温2°Cと記載されている。

「こちらの気温 2℃です」
あちこちから、テラの住民が寒い寒いと小走りで室内に駆け込んでいく姿が見える。服だけ夏仕様にアップデートされてるもんだから、たまったものじゃないだろう。
かくいうシグマ自身の服装も、昨日までのシャツにスラックスから、アロハシャツに短パンという夏仕様の制服に変わっていた。

『あー原因わかったかも』
片耳につけた通信機器から、歯切れの悪いファイの声が聞こえてくる。

『これたぶん摂氏と華氏、間違ってるね』
「は?!」

ファイの話によると、アップデートにより摂氏 37℃に設定されるべきところが、何かしらの不具合により華氏37℉、つまり摂氏でいうところの2℃になってしまっているとのことだ。

『僕が開発室に連絡するから、こぐまちゃん、ゼータくんと連携して住民さんたちに案内お願いね』

=

その後、シグマとゼータは住民に部屋にいるよう案内し、午前いっぱいかけて全住民に毛布の配布を行った。そうこうしているうちに、開発チームから反応があり、夜までには修正ができるとのことだった。

そして冒頭に戻り、テラから帰還したシグマは、険しい顔をして椅子の背もたれに身体を預けていた。

「くそっなんでこう毎回毎回…」
「眉間にシワ寄ってるよこぐまちゃん」
「室長、やっぱり開発室との連携をもっとちゃんとしないとだめですよ。問題が発生したときに事後対応しかできないのは歯がゆいです」

ファイは「うん、そうだね」と深く頷く。

「シグマの言ってることはただしいと思うよ」
「だったら…」

ファイはけどね、と優しく続けた。

「ただでさえ人手不足のなか、いわば彼らはテラの心臓なんだ。最悪僕らがいなくなったとしても、テラはきっとまわるだろう。けど彼らはそうはいかない。僕らにはわからないプレッシャーと常に戦っているんだよ」

テラ開発室は、様々な専門性をもつエンジニアたちが所属している精鋭集団で、電脳世界テラの新機能開発やパフォーマンス改善、技術研究などをはじめとしたテラを進化させることを目的としたチームだ。

「だから、僕らでカバーできるところは頑張っていこう」
「それはそうですけど…」

現在薄明研究所には、シグマ・ゼータ・ファイをはじめとして 25 名の研究員が働いている。全員に共通しているミッションは、「氷河期が終わるまで、電脳世界に住む人類を守り抜くこと」。そこに異を唱えるものはいなかった。
現に、限られた時間と環境のなかでテラの開発に成功したのは、この共通の目的があったのが大きいだろう。研究員各々は優秀で責任感が強く、お互いの仕事に対する信頼は非常に厚かった。

とはいえ、所詮は急遽寄せ集めで集められたチーム。
氷河期の地球、ただでさえ昼か夜かもよくわからない閉鎖的な世界のなかで、良好な人間関係を築くだけの余裕が無いメンバーが多かったのだ。

最初は皆集まって仕事をしていたが、次第に一人、また一人の自室にこもって業務を行うようになっていく。やがて、テラへの往来が必要な TEA のメンバー以外ほとんど姿を見せることがなくなっていた。

シグマはよくこの状況を “家庭内別居”と例えている。
要するに今薄明研究所は、研究員同士うっすらと仲が悪い状態であり、それによってチームワークが最悪という現状だった。
シグマはこんな現状を打破したいとずっと考えていた。

「やっぱり俺一回直接話してきます」
「やめときなって、顔合わせても揉めるだけだよ。何回も挑戦してもだめだったでしょ」

シグマは立ち上がり、白衣の上からマフラーをまく。

「俺たちサポートって、みんなが幸せに生きていけるよう手助けをするために存在してると思うんです」
「こぐまちゃん…」
「俺はやっぱりこんな関係はよくないと思う」

そう言い残すと、シグマは部屋をあとにする。

「私、こぐまちゃんのああいうところ結構好きなのよね」
「うん、僕もだよ」

=

シグマは薄暗い廊下を足早に歩いていた。目的地は、最も頻繁にやりとりをしている開発室メンバーの一人の自室だった。目当ての部屋が近づいてくると、話し声が聞こえてくる。

『ノアサン オネガイデスカラ ナニカタベテクダサイ』

廊下を曲がって見えてきたのは、目的の部屋の前で途方に暮れた給餌ロボットだ。
薄明研究所には、たくさんのロボットが働いており、掃除・洗濯・食事などは基本的に彼らが対応してくれている。

『ノアサン キョウモ セッシュカロリーガ タリテイマセン モットタベテ』
「あの…おつかれさま」

シグマは遠慮がちに話しかける。ロボットがウィーンとモーター音をたててシグマの方を見る。
『シグマサン!ゴキゲンヨウ』
「こいつ、何かあったの?」
シグマはドアを指さす。こいつ、というのはこの部屋の主を指していた。

『リョウリ ヲ オモチシタノ デスガ ゼンゼン テヲツケテナクテ…』
しゅんとしているロボットに、シグマははぁとため息をつき、目線をあわせるためにしゃがむ。

「心配かけてごめんな、俺が話してみるから」
シグマはロボットから食事を受け取ると、立ち上がりドアをノックする。
想定していたが、やはり何も返信はない。

「おーい開けるぞ…」
遠慮がちにドアをあけるシグマ。そろりそろりと足を踏み入れる。
室内は脱ぎ散らかされた衣服や本が散乱していた。

「まったくこんなに散らかし…」

はっとしてシグマは部屋の隅においてあるデスクを見やる。
そこにはパソコンの前に突っ伏している男の姿があった。足元には、飲みかけのコーヒーが入っていたであろうマグが転がっている

「おい!お前大丈夫か」

シグマは同僚の肩を揺するも、何も反応がない。
とっさに、「彼らはテラの心臓なんだ」というファイの言葉が頭をよぎり、シグマの背中に冷や汗が伝う。

「大丈夫か、ノア!ノア!」

つづく

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