「多様性」はストーリーテラーがいないと単なる烏合の衆を作ってしまうという話

人の集団は共有できる「物語」が無いとまとまらない。会社でも部活でも、「同じ仕事をしている仲間」とか「優勝を目指す」みたいな物語があるからコミュニケーションが成立する。これは言語ゲームと共同体の関係の話である。


ここでいう物語は別にドラマチックなものでなくてもいいし、多くの場合、そんなに意識もされてない。だがもし、なにか集団に歪みが生じたり、環境が変わってそれまでの物語がうまく機能しなくなった時に、多様性が重要になってくる。

色んな人がいて多様性があれば当然、色んな物語を作ることができる。様々な思惑や人間関係を抽象化し、そこから共通項を抜き出して新たな物語を変化に応じて適時、作り出せる。たとえば、これまで「日本人」は親が日本人である人のことを指していたが、少子高齢で在日外国人も受け入れなければいけなくなったときに、今後は日本語を話せる人のことを「日本人」とする、という物語を作ることがあるかもしれない。ここでもし、多様性があれば他に様々な共通項から多様な物語を作れるだろう。

こうした物語化をできる「ストーリーテラー」がいないと、集団は単一の物語しか作れないため、変化に対応できなくなる。これはSNSで「連帯」してた連中が、なにか失敗したときに急に瓦解するのを見てもよく分かる。

よく生物学などでは、環境変化に適応するためには種の多様性が大事だ、みたいな話がされるが、人間社会においては、変化に対応するには物語の多様性が大事だ、と言えるだろう。
さて、あとは実際にどうやってこの物語化を行うかだが……まあいつか書きたくなったら書きます。

にしてもこれ、すっげービジネス本っぽい話だわ。これからのリーダーシップ論、組織論にはストーリーテラーが必要だ!みたいな。 個人的にはあまり関心は無いのだけど、とても大事な話なのかもねえ。

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