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記憶に寄り添う石岡瑛子の仕事

石岡瑛子展を観に行ってきた。東京都現代美術館(MOT)での「血が、汗が、涙がデザインできるか」展とギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)の「グラフィックデザインはサバイブできるか」(前期)の2つの展示でした。

石岡瑛子は生きていればわたしの母(存命)と同じ年齢です。なんだか石岡がこの年頃の時は、お見合いからの専業主婦をしていた母は何をしていたんだろう?とか考えて見ていた。彼女はわたしの母と同じころ、似たような場所に疎開に行ってたりもするし。

MOTでは冒頭に資生堂の広告の仕事が取り上げられていました。子どもの頃に母が使っていたホネケーキ!の1966年の広告。母は石岡の仕事に多分影響されていますね。さすがに1966年の広告はリアルタイムでは見れなかったですが、子どもの頃のわたしにとってホネケーキは巨大なルビーのような美しい化粧石鹸で大人の女性の象徴のような感じだった。

余談ですが今でも当時の色褪せたホネケーキのケースに実家の両親はゼムクリップを入れて使っています。現在ではケース付きは既に売ってないようですね。
思わずアマゾンでホネケーキを調べてしまった。欲しくなった。今頃、当時の石岡の広告に心を動かされておる。
(今もホネケーキが売っていること自体が凄いですが)ホネがハニーの意味だとは今まで知りませんでした。それから前田美波里のポスターの一群(1966)に鷲掴みにされ圧倒されたわたしの心よ。

その後の角川書店と石岡が組んだ仕事を観て思い出したこと。わたし、当時は一連の角川の装丁やキャンペーンが嫌いだったんだよなー。ってことです。なんなら角川文庫に挟まっている一枚の栞まで嫌いだった。
当時の、わたしが本に求めていたデザインでは全くなかったのです。
「文学少女は、もうマイナスのシンボルになってしまった」というコピーのポスターを見て、合点がいきました。当時のわたしは本当に典型的な文学少女(笑)だったので。
つまり、わたしは広告の訴求対象ではなかったんだなーって腑に落ちたわけです。
今見れば、実に優れた仕事だと思います。新しい読者を獲得するための、キャンペーンだったのですから。わたしは、キャンペーンで掴もうとしていた未来の読者ではなく、あくまで過去の既存の読者だったということ。その後の角川のメディアミックスぶりと石岡の仕事は、かっちり結びついている。

パルコの広告は、当時、はっきり言ってほとんど覚えていません。まだ、予定調和が好きな保守的な子どもだった頃なので。今見るとその斬新さやメッセージ性や研ぎ澄まされた表現の卓越さ加減に目をみはるばかりです。ジュリーのヌードとかはなぜか覚えているが…。ピンポイントで。


石岡瑛子の展示を見て思ったこと。それは「初期の作品ほど好きだ!」ってことです。つまり大御所になってからの作品は大御所感がなんとなく蜷川の舞台っぽいっていうか凄いし凄まじいし美意識溢れてるんだけど、なんか物々しいっていうか。誰も石岡瑛子に意見を述べる人がいない感じ。思う通りにできる感じ。その地位は、彼女が自分の力と努力でつかみ取ったものなのですが。

過剰っぽいけど上品でセンスが研ぎ澄まされていて、深ーく深ーく考え抜かれていて、水面下の準備量がとてつもない感じは変わっていません。本人の言葉を借りれば、超一流の「アスリート」のようです。そして多分時代の豊かさ、過渡期さにも裏打ちされている表現だったと思う。

その後、石岡瑛子の亜流のデザインを佃煮にできるほど見てきた人生だったなーってしみじみ思う。長く生きたし。それらの表現の古びっぷりには寂寥感を感じる。
しかし、石岡瑛子自身の表現はほとんど(個人的には角川の表現は古くなってるって思う)古びていないのは、やはりおそろしいし、もの凄いと思ったことでした。

とりあえず「MISHIMA」の海外版を衝動買いして届くのを待っている2020年年の瀬です。

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