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普通の人のレアに出会う〜わたしのばあちゃん〜


今年誕生日を迎えると88歳、
いよいよ米寿のわたしのおばあちゃん。

おばあちゃんの「レア」を求めて話を聞いていく。


―おばば!
あ?おめぇは・・なっちゃんだっけか?

―そうだよ、おばば!帰ってきたよ!
そうか、そうか。もう孫の顔もわかんなくなっちゃなあ・・
もうね、腰が痛くて腰が痛くてあるってらんないの。毎日這いつくばって生きてんだよ。

と、若者間であるならば相当のサバイバーな発言だが、
88年間自分の体に鞭を打ってきたおばあちゃんはもちろんふかふかな椅子に座りながら顔を歪めてそう話す。

―ばあちゃんの若いころのことちょっと聞かせてよ。
ああ?若いころたって・・・そんなの聞いてどうすんだよ?もう忘れちゃったよ。

会話はこんな調子なのでかるくまとめてお伝えすることにする。

 私から見たばあちゃんのレアは「仕事」と「家庭」だ。
よくある2つのキーワードだが、今はきっとこんなことはうんと少なくなったんじゃないかと思う。
昔の農家にありがちな仕事と家庭がごちゃまぜで朝から晩まで働いて、朝は旦那(じいちゃん)が起きる前に働きに出る準備をし、夜は家族の誰よりも最後にお風呂に入ってみんなが寝静まって自分が寝る。

今流行りの「自分らし」さも何もあったもんじゃない。私から見るとやや奴隷寄りの生活である。

加えて、私のじいちゃんは優しく頭のいい人であったが、今から見ると完全な男尊女卑思考で、当時は当たり前だったのかもしれないが日々「お前はばかだ」「何をやってるんだ」など日々馬鹿にされて生きてきた。
実際、ばあちゃんはそんなに頭のいい方でなかったと思う。ただ、正直で・素直で・おおざっぱで小さいことは気にしない、人間であった。(まだ死んでない)

そんな生活を生き抜いた「忍耐力」、そこがレアであると思う。そこは現代っ子にはわかりえない文化・風習・考え方がもちろんあったかもしれない。それでも私は、今は孫の顔もわからない認知症になっているかもしれないが、尊敬の念を覚えざるを得ない。

もう少し詳しく話そう。

埼玉の片田舎、農家に生まれる、22歳で私のじいちゃんにあたる農家に嫁ぎ、朝は5時から夜は20時まで、農業に家事に育児とにかく何でも勤しんだそう。

「若いころはとにかく仕事ばっかりしてたんだから」と話すばあちゃんは腰痛を訴えながらも歩く速度はとても早く、その上腰がまがってるもんだから少し滑稽だが、農家ならではの足腰の強さは今も健在といえよう。それほどに仕事が体にしみついている。
夏はとうもろこしにきゅうり、トマト、スイカ、枝豆、なす・・・。
冬は大根、白菜、キャベツ、小松菜、とうがん、カボチャ・・・
とにかく色んな野菜をこしらえてきた。私も幼少期は遊び半分で手伝ったこともあるが、
高さ10センチほどのちゃちな椅子・・というか台にスポンジをくっつけて椅子の体を成し、
そこで畑で作業していたかと思えば、夜になると引き上げて、今度は出荷の作業、
段ボールづくりに、ビニール詰め・・・それが終わると出荷用のトランクに保管。
私の小学生のころすでに70を超えていたが、朝昼おやつ晩と一日4食が習慣だった。
それでも全く太ってなどいない、それほどに体力が必要な仕事を60年くらいしてきたんではないだろうか。

 週に1回はカラオケに行き、たまに聞こえてくるばあちゃんの歌の練習は身内のフィルターを差し引いてもきれいな歌声だったと思う。今はその歌声が聞けないのは寂しいが私は変わらずばあちゃんが大好きだ。

 ちなみに、ばあちゃんの人生史のようになったが、「小さいことは気にしない」と前述したインパクトのあるエピソードはこうだ。

犬の散歩中、トイレに行きたくなったばあちゃん(当時70歳ほど)。犬そっちのけで自分が道端の草むらに入って用を足し始めたことがあった。(犬か)(※住宅地です)

あとゴキブリを素手につぶしたり。

こっちの方がよっぽどレアだったかも

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