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やりたいことも生きる意味もわからず引きこもりになりかけたので、とりあえず寺に行ってみた

私は、今年の4月頃をきっかけに、アイデンティティークライシス(自己喪失)に陥ったのだと最近言葉にできた。✍

アイデンティティークライシスの起きた辺りの出来事を、noteに書き綴っておきたい。

【アイデンティティークライシス】
・・・自己同一性喪失の危機。自己の主体性や存在意識が薄弱になる不安定な状態。
若者に多くみられる自己同一性の喪失。 「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。

【わたしの迷走期の整理】

2019年 平成31年3月
ベンチャー企業を辞めた。(ここから迷走が始まる)
※アイデンティティークライシスに陥る(一回目)
同時に、知り合いの会社の事業を手伝う。

2019年 令和元年10月
大学へ行く意味を失い、大学を辞めた。

2020年 令和元年11月
知り合いの会社を一旦休み、フィリピンに行った。

2020年 令和2年1月
兵庫県豊岡市の城崎で住み込みバイト。

2020年 令和2年3月
フィリピンでホームステイ。

2020年 令和2年4月
コロナの影響でフィリピンへ働きに行くという計画がなくなった。
※アイデンティティークライシスに陥る(二回目)
なので、派遣で持続化給付金の事務をした。(9月まで)

(約2ヶ月のほぼニート生活を経る)

2020年 令和2年11月
高野山のお寺の宿坊で住み込みバイトをしている。(現在)


と、こんな感じで去年の3月から迷走しまくっている私で、「なんでこうなったのか」「あの時こうしてたら...」と過去を振り返るばかりだった。
しかし、今の私は「もしや、結構どれも必要な時期なんじゃないか」と思い始めている。

一年間は知り合いの会社の事業の仕事をしたり、大学に行く意味を失って大学を辞めたり、フィリピンにホームステイしたりしていた。

そんな一年間の迷走期を経て出した答えが、「フィリピンで働くこと」だったが、コロナの影響によって私の計画は呆気なく崩れていった。
そして私は、

『この一年間は何だったんだ...』
となり、二度目のアイデンティティークライシスとなり、再び迷走することになった。


アイデンティティークライシスに陥ると、
とにかく無気力になる。
感情の起伏もなくなる。
すべてに無関心になる。
すべてに「どうでもいいな」「なんでもいい」と思ってしまう。


自分が、アイデンティティークライシスに陥って考えたのは、「宗教」についてだ。

私達は、宗教についてないしは日本の歴史について知らないことだらけだ。

だが、私達の"今"の自分の立ち位置を知るには、私達が生まれたこの国の歴史ないしは宗教について知る必要があると考えた。
そうしなければ、「私は私の生きる答えが見つからないままだ」と確信した。

まだ、お寺に来て2週間も経ってないが、とりあえず寺に来て正解だったと感じる。

実は、お寺の求人を見つける前は転職活動をしていたのだが、うまくいかないのと、アイデンティティークライシスから抜け出せておらず、転職活動をしていても心ここにあらずといった感じて身に入らなかったのだ。
だから、そんな時に直感が働いたお寺を選んだ、というわけだった。

結果論かもしれないが、お寺に働きに来てる人は、やっぱりどこか自分と向き合う内省をしている人だったり、人生についてちょっと立ち止まって考えようとしている人もいて、結構安心した。

もちろん、そうでない人もいるのだが、仏教やお寺について詳しい人も多くて、なんだかとても話が合う。


コロナ下で、自分の考え方の根源的、根底的な部分を変えなければいけなくなってきている人は多いと思う。自分を変えるということは、物凄くエネルギーの要る作業だ。

そして、自分を変えるという作業に必要なのは、「現状の自分を受け入れること」だ。

私の場合は、noteに書いて晒すことで、「現状の自分を受け入れること」に繋がっている。noteは、私の宣言集のような場所になっている。

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