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[実録]この数年 〜シンカの軌跡 6 朝会がなくなると困る!理由

3/1から、
私とビジョナリーカンファレンス、
という軸にそって、
この1年半ほど取り組んでいる、
ビジョナリーカンファレンス、
とその前からの活動など、
この数年を振り返っています。

今日、
ガクさんと、
途中他の方もちょいちょい顔だして頂きながら
内容の整理をしました。

ガクさんが
「ヒーローズジャーニーに当てはめられそうだし
 それでストーリーをまとめたらどうか」
と、枠組みを持ってきてくださって。

せっかくなので、そこからのお話を。


なので、
たびたび予定の変更ですが、 笑
ホールパート法からV-PREPへ
のお話をまた明日以降にします。



なくなると、何がそんなに困るのか。


私は、自分を変えたい、
変わろう、

と思って、
この会(VC)の前身である
絶対達成社長の会(当時)に来ました。

何を求めていたのか、
何を手にしていたのか。

私はなぜこの活動にこんなにこだわっているのか。
失くなると困るのはどうしてなのか・だったのか


職場以外の居場所が必要


昔からの人生を振り返れば、
私は、いつも、
学校(のクラス)、
会社(の所属部署)
以外に、
何かのコミュニティに所属して
生活してきました。

保育所まではそもそも
ご近所さんがすごく仲良しで、
小学校で学童保育へ行き
中学から部活が始まり、
なんだかんだ、
高校・大学・大学院まで、
部活があったり
サークルがあったり
バイトがあったり
それ以外の活動があったり

とにかく、
家と学校の往復以外の居場所を
必ず持って生活してきていたんですね。

会社に入ってからは、
会社の中の「音楽部」がその代わりに。
軽音楽のバンド活動が
中心ではありつつも、
会社の忘年会での出し物を
数ヶ月かけて作り上げたり
ライブや合宿を、
最初は手伝い、
そこから本格的に企画運営するがわになったり
会社に出す活動の報告書・計画書を書くような
作業をして、ガッツリ関わっていました。

そういう物が、
一定、下火になって。

担当する業務も、一定、固定になってきて。

簡単に言えば、
飽きた。
退屈していました。

このシリーズの2 でも書いたとおり、

参加動機は閉塞感・停滞感・危機感。

それで参加してみて、
皆さんに歓迎して頂いて、
もちろん最初は
色んな方々との人間関係の構築はこれから、
であっても、

よし、毎月ここに来よう、と決めて、
繰り返し参加するうちに、
皆さまとも顔なじみになり、
だんだん、「自分の居場所」というものが
できて来ます。

更には、
読書会にお声掛けを頂いたり

スパルタンチームに入ると
またそれでお近づきの方が増えて、
朝会でお会いしても
一層楽しくお喋りができたり。

お仲間さんの一人が企画なさった
イベントを、
みんなで盛り上げて、
その中でまた、新しい方々と
ご縁がつながったり広がったり。

そう。
繰り返し参加して、
いろんな方と関係を深めていくことで、
私は精神的に、
この活動の中に「居場所」を得ていました。

すごく打ち込んで、
たくさんの時間を使って、
たくさんの方々と出会ってきていて、
もちろん、
そこからスピンオフして、

「会本体がなくても
 続いていく人間関係」もありましたが、

私にとっては、
やっぱり、
会本体が、本番。

そこが、中心。

皆さまとのつながりの、拠点。

しかも、そこを起点にものすごい量の
変化と成長を自分にもたらしてくれた、「場」。

自分自身がそうなれたから、
きっと他の人にとっても、この場と
出会うことで、
人生がとっても楽しくなる人だって、いるはず。

そういう、希望の「場」でもある。

2020年、このままだと、あとすこしで
目標達成の会(当時) 朝会がなくなって、
大きなコミュニティが一つ消えてしまう
かもしれない、
となった時、

私は、
せっかくできた大好きな居場所を失ってしまうこと
大勢の方とのつながりのきっかけを失うこと
「家と会社の往復」の生活に戻ってしまいそうなこと、
がすごく

寂しくて悲しくて嫌でした。


ガチでワークを生活に使っていた


周りの方々と仲良くなって、居場所ができて、
「みんなに逢いたいから参加するようになる」

と、時々起きるのが、
そればかりになってしまうこと。

会で行うワークやそこからの気付き、
自分の行動について考えることなどが
ちょっと疎かになって
大好きな人達と楽しい時間を過ごすことが
優先になる。

人と会うことが大切で、
参加し続けられるくらいの絆というのは
とても素敵で、そうやって参加し続ける時期が
一定続いても、それも良いと思うのですが。

私は、
朝会のワークが好きでした。

というか、必要としていました。

私は、仕事は、
どっちゃりと常に持っているのが
定常で。
おそらく、そういう状態が、
ある部分で、好きなんだと思います。

与えられなくても、
あれこれと日頃の業務の中で、
気になるところが出てきて
改善策を考えて、と、
勝手に仕事をしていますし、
当然、人から求められる仕事も
大量にあります。

私にとっての朝会を、よく
「濁流に楔を打つ」と言ってきました。

あとから考えると、
楔じゃなくて、「杭」、じゃないかなー。。と
冷静に思うのですが 笑

訂正版で、「濁流に杭を打つ」で行きましょう 笑

日々の業務が濁流です。
杭が朝会です。

日々、大量の業務に揉まれて、何がなんだかわからなくなっています。
濁流の中で溺れている。

そこに、朝会の日が来ます。
朝会という杭が濁流の中に打ち込まれます。

朝会では、目標を立て、
それに対して、どういうアクションを取るか、
具体的にはこの先1ヶ月何をするか、というのを書きます。

達成できないような大きな目標を立てることが
推奨されていて、
私は例えば、自分の業務目標の中から
「しっかりやれたら、成果も大きいけれど、
 日々の雑務に紛れて着手されなさそうな、
 大きめの課題群(各種テーマ10個くらい)」
を取り出して、朝会の目標に据えて、
「他の業務をこなしつつ、
 どこでどう、虎視眈々と、
 そういう、「本当にやりたい仕事」を
 うまく進めて行くのか」
というのをずっと考え、実行していました。

私は、朝会でのワークの存在を、
非常に頼りにしていた。

だから、
濁流に、杭が、
私の生活に朝会が、
必要だったんです。

日々濁流で溺れている。
なんなら、立てた目標もうっかり忘れそうにもなっている。
だけど、朝会の日が来る。
その日だけは、仕事の時間を削って
自分に時間を与える。

ワークシートに書きながら、
振り返って、検証して、新しいアクションを考え、
来月までにどうする、を決める。
そしてそれをさらに、人の前で発表する。

日々の中で、なかなか一人では、取れない時間。

こうして、濁流に杭が打ち込まれる。

私はその「朝会」という杭に掴まることで、
濁流の中で、一つの場所にとどまって、
濁流の様子を見ることが、初めてできるように、なる。

この濁流、どうやって泳ぎ切ろうか、
濁流を避けて、どうやってやりたいことを
進めようか、
冷静に、考えることができる。

日々の業務を清流にするためにも、
まずは、濁流の中で、溺れているのをやめないといけない。
そのために、杭が、朝会が、必要でした。

最終的に、その年度末、
掲げた目標の完全達成までは届くことが
残念ながらできなかったのですが、

もし、朝会でその目標を、
取り上げて毎月取り組みを
やっていなかったら、

もっと重要度は低くても
緊急性の高い他の業務に押されて
まるで手を付けられずに年度末を
迎えていた可能性はかなり高い状態で
私はそういう自分が嫌でした。

逆に、難易度の高い業務であっても、
少しずつでも着実に進めて、
目指した10個をすべて実現はできなくても
その中の5つや6つはカタチにし、
いくつかは途中まででも進め、
いくつかは、こういう理由でやめることにした、とか
来年度に回すことにした、とか、
そういう検証を含めて何らかの対処を
全部について考えられている、
というのは、
上司や周囲からも、
「なかなかやるな」と、
評価をいただけていました。
 # 結果論でいえば、それが、のちの昇格に
 # つながる布石になったことも間違いないと思います。

それはまさに、
「毎月朝会があってくれたから、できたこと」
でした。
私には、朝会以外に、それに代わるような場が
ありません。

朝会のワークを、自分の会社員生活上、
ガチで使っている。
本気で生かしている。

これが、朝会がなくなると困ること、でした。




本番ではもう少しコンパクトにしないと
伝えられませんが、
まずは材料ということで。
言語化でした。


考えの言語化、整理、大切ですね。












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